2014-07-07から1日間の記事一覧

この時代の外交はみな「いっぱいいっぱい」の印象を受けますが、天皇が主権を握っていた時代、いちばんそつなく外交をこなしていたのは誰でしょうか。

まず、日本の古代国家では天皇専制の時期がほとんどないので、その都度の天皇が国家意思を代表して外交の舵取りをしている、という事例をほとんどみません。しかし、乙巳の変後の、孝徳・天智・天武は、それなりに外交に口を挟んだのではないかと思われます…

『梁職貢図』は、江戸時代に異国人を扱った瓦版などが作られたように、民間が作ったものですか。それとも、外国人の見分け方、権力を誇示するなどの目的で作られた公文書でしょうか。

講義で話題にした『梁職貢図』は、梁武帝(蕭衍)の第7子蕭繹(後の元帝)が、北朝からの防衛の要である西府の荊州刺史を務めていた時代に作成されたといわれています。蕭繹は学芸に秀でていて多くの蔵書を持ち、梁に来朝する使節の姿も、首都建康での調査…

秦氏についてですが、渡月橋の側の松尾大社に行ったとき、ここも秦氏と関係があると聞きました。中心としていた土地にも近いですが、どのような関わりがあるのでしょうか。

松尾大社は、葛野を本拠とする秦氏本宗家の氏神です。奉祀している神格は、大山咋神と市来嶋姫命の夫婦神。前者は日吉大社の祭神でもある山背地域の山の神で、後者は宗像大社の三女神の一柱です。ともに、秦氏として編成される渡来人が、玄界灘から瀬戸内航…

茨田連衫子ですが、「誓約をなし」とは、具体的にどのようなことをしているのですか。

資料にあるとおりです。これはウケヒといわれる言語呪術ですが、あることを実践し、その結果がAならばA’、BならばB’と誓約します。一種の供犠であって、自分を祭儀の供物として差し出すことで、自分も縛りつつ相手も縛るのです。ここでは瓢箪が重要なア…

人身供犠はいつ頃から始まったのでしょうか。 / 治水以外でも人身供犠の行われることはあったのでしょうか。

人身供犠が日本列島で本当にあったのかどうかは、古くから議論の絶えない問題です。最近では考古学の松井章氏が、高知県の居徳遺跡から出土した9体の人骨に執拗な人為的殺傷の痕跡が認められることから、縄文時代から戦争があった、もしくは人身供犠のよう…

跪伏礼などは、日本古来の礼なのでしょうか。それとも中国から伝来したものですか。

跪伏礼や匍匐礼は、実は中国にも事例があります。例えば、床面に叩頭する跪伏礼は、中国では皇帝に対する最敬礼でした。『魏書』東夷伝倭人条にも、邪馬台国の人々が跪伏礼を行っていたことがみられます。授業でも扱ったように、同書は邪馬台国について好意…

建物の配置まで中国を真似しようとした、ということの意味が分かりません。建物の配置に進歩している/していないは関係ないのではないかと思うのですが。

建物の配置には、建物が持つ以上の意味が含まれているのです。まず授業でもお話ししたように、正確な南北方位が採られているかどうか、という問題があります。中国では、天帝の住む紫微宮が北天に輝くため、地上の天子はこれを背負って南面するとの発想があ…

蘇我馬子を大王だったと捉える見解について、どう思いますか。

大山誠一さんなどもそうした意見ですが、可能性は否定できません。それはつまり、倭王権のなかで、大王位を継承しうるグループが実力をもって競合する状態が、乙巳の変に至るまで連続していたということを意味します。ただし、それを主張するためには、『書…

なぜ聖徳太子を創り出す必要があったのだろうか。 

これについては、さまざまな考え方がありうるでしょう。授業で扱ったのは、クーデターにより蘇我氏首班政権から政治の実権・仏法興隆権を奪った改新政府を、正当化するためであったという考え方です。そのために蘇我氏を専横の氏族として貶め、推古朝に政治…

聖徳太子を多分に潤色された人物とする説には根拠があるが、なぜこれまでは無批判に信じられていたのだろうか。

授業でも述べましたが、太子の存在が、日本という国家の国際的危機において、時代を超えて常に語り出される〈誇り〉の論拠であったためでしょう。日本に住む人々のアイデンティティーが動揺する際、大国隋と対等に渡り合ったという神話が、ナショナリズムの…

聖徳太子が、10人の話を一度に聞いて解答する、という逸話はどこから採られたのでしょうか。

聖徳太子に関する『書紀』の記述には誇張が多いというが、どこまでが事実でどこからが誇張、といった基準はあるのだろうか。 / 「皇太子」の記述などが虚偽であることは当時の人々でも分かったはずだが、なぜこのような分かりやすい改竄を行ったのでしょうか。

すべての事例に適応できる基準というのはありません。個々の史料に即して、当時の政治情況を考古、中国史・朝鮮史、前後の関係から具体的に復原していったときに、何か矛盾はないか。

中国でいう禅譲のような事例は、日本にはなかったのですか。

生前に譲位するという形式は、歴代の大王、天皇のなかで何度か減少しています。授業で扱ったなかでは皇極大王→孝徳大王がそうでしたし、奈良時代にも、元明天皇→元正天皇、元正天皇→聖武天皇、聖武天皇→孝謙天皇、孝謙天皇→淳仁天皇が生前譲位しています。「…

〈王殺し〉は世界的に広がりのある現象でしょうか。 / 〈王殺し〉が実践されていたとすると、寿命が近づき衰えた王は、みな殺されてしまうのではありませんか。 / 王についての神秘的な考え方がなくなり、〈王殺し〉がなくなったのはいつ頃でしょうか。

授業でもお話ししたと思いますが、普遍的な事例でした。フレーザーが収集したなかからいえば、アフリカの王たち =コンゴのガンガ・シトメ(大地の神と称され、当然の権利として初収穫を得る。最期を感じると門弟から継承者を選び、自分を絞め殺させる)・エ…

日本は、アジアのなかで中国に支配されなかった国と聞きました。遣隋使の時代に、日本が中国文化の傘下にあるとアピールしていた時代は、支配には当たらないのでしょうか。 / 中国に従う立場にあった日本に、独自の政策などを作ることが許されていたのですか。

朝貢していることを支配ととるのか、という問題がありますね。それですと、いわゆる足利義満による勘合貿易の時期も、明の冊封を受けた「支配下」にあったということになります。しかし一般にいう支配は、他の国家によって当国の自治が侵害されることだと思…

渡来人が中国思想を日本へ導入し、日本の人々の考え方を変容させたとあるが、具体的にはどうやって喧伝したのだろうか。

講義でもお話ししていますが、別に渡来人が独自に喧伝し日本人の心性を変容させたわけではありません。あくまで国家がかかる思想を導入し、社会・文化を中国的に改変すべく喧伝していったのです。例えば授業でも扱った神殺しですが、多くは開発などの現場で…

仏教が伝来した際、日本古来の神道や自然信仰と共存することができた大きな要因は何でしょうか。

講義でも少しお話ししましたが、外来の宗教が在来の宗教と共存する、混淆して定着する、といった事例は日本固有の現象ではありません。よく、多神教と一神教を二項対立的にみて、一神教は排他的云々と語る言説も見受けられますが、例えばキリスト教文化の広…