2015-04-17から1日間の記事一覧

赤い顔の地蔵の話ですが、地蔵を信仰していた老婆のみが助かるという別バーションの話があります。同系統と考えた方がよいですか、それとも後世の勧善懲悪的な改作なのでしょうか。

昨年の特講は、まさにその伝承を扱ったものでした。参考文献にあげた私の論文が、後漢代の『淮南鴻烈解』を初見として中国全土、朝鮮半島、そして日本列島へ広がった伝承が、地域の事情や時代情況によってどう変容してきたかを追跡しています。つまり、信仰…

八百比丘尼の話は、中国の媽祖などと関係がありますか。

確かに、怪しいところはありますね。媽祖は神仙思想とも関わりがありますし、海難守護で漁業との関わりも深い。父親が死に、放浪し、仙人と出会って神となるあたり、全体的な構造が八百比丘尼のそれと類似しています。環東シナ海文化として九州や琉球には確…

関の姥さまの信仰は、なぜ千葉に多いのでしょう。また、「咳の病」は結核を連想させますが、具体的にはどういったものだったのでしょうか。

本当に千葉に多いことが確認できるのか、他地域に比べてどうなのか、ということはきちんと調べなければなりませんが、相次ぐ戦乱のなかで姥神の縁起が生まれやすかった、ということは一因と考えられるでしょう。千葉氏の平家物語である『源平闘諍録』から『…

八百比丘尼像の持物である椿が気になりました。花がまるごと落ちるので首が落ちるようで不吉、と聞いたことがありますが、葉の方に注目が集まったのでしょうか。

確かに、その類の伝承は列島中に広がっています。しかし、江戸初期には公家や武家の間で椿のコレクションが流行し、徳川秀忠もコレクターのひとりでした。「首が落ちる」系の忌避の傾向は、もう少し後の時代に、武家文化の定着と一般化のなかで生じたもので…

『信貴山縁起絵巻』の道祖神について、女性象徴の方は手厚く祀られている様子ですが、男性の方はそうではありません。何か理由があるのでしょうか。

あの一例からだけではなかなか難しいのですが、『信貴山縁起絵巻』の演出も考慮しなくてはなりません。下巻は、主人公である寂蓮法師の姉尼公が、弟を訪ねて奈良の都周辺を歩く内容です。すべての場面で、尼公の行動がクローズアップされています。紹介した…

1748年の『宮古島旧史』は、どのように形成されたのでしょうか。当時の琉球では琉球語が用いられていたことを考えると、どう調査し編纂したのか気になります。

これは説明が足りなかったですね。西村捨三は明治に沖縄県令となった人物で、彼が調査を行った際に発見した1748年の『宮古島旧史(旧記)』を、底本として史料として掲出したのです。実際の成立過程は少し複雑で、「忠導氏おやけ家の大主」なる好古博学の長…

『医心方』にはさまざまな医術に関する記載があると仰っていましたが、当時不治の病とされた病気はあったのでしょうか。またあったとしたら、その治療には祈るしかなかったのでしょうか。

これから追々話をしてゆくことになりますが、もちろん不治の病と考えられたものは多くありました。それに対してはいかに予防するか、感染するものである場合はいかにそれを防ぐか、悪化させない方法は何かなどが探究されてゆきます。もちろん、古代の医術は…

男女一対が基本とのことですが、地獄の入口にも奪衣婆と懸衣翁のコンビがいますね。遡ってしまいますが、ヒメ・ヒコ制度などとの関連はどうなんでしょうか。昔からのひとの意識には、そういった考えがあったのでしょうか? / 男女の生殖器崇拝というと子孫繁栄が目的であるように考えていたので、男女の仲が悪いという話には違和感を持ちました。

講義でお話しした事例は、折口や柳田の調査したものを参考にしていますので、どうしてもヒメ・ヒコ制、とくに男性は世俗政治、女性は宗教祭祀を担ったのだとする考え方に適合的になってしまいますね。現在の古代史研究においては、女性も世俗政治を担ってい…

当時はそれほど各地域間での交流や情報伝達手段は少なかったはずなのに、同じような価値観を持っていることに驚きを感じました。何か理由があるのでしょうか?

…と一般には考えられていますが、商品流通のことを考えてみてください。生活用具の材料となる物品の流通は、縄文時代の黒曜石を挙げるまでもなく、古い時代から確実にみられます。モノが移動するのですから、情報も移動するのです。また、列島社会は縄文以降…

観光地へ行ったときや日常で、先生が発見された道祖神のように、「あまり有名でないけれどいわくのありそうなもの」を発見しても、自分でどのように調べたらよいか分かりません。OPACで検索しても出て来ないようなピンポイントなものごと、造形物について知識を深めたい場合は、どのように調べたらよいでしょうか?

普通にネットで調べてみても何か引っかかってくると思いますが、まずはどのような用語で検索するかでしょうね。近くに説明板などがあればそれを利用すればよいですが、あとは地域・場所の名称、形態などをきちんとメモし、そのなかから特徴となる言葉を選ん…

石に生命が宿るとされ、地蔵などが例に挙げられたが、死者を祀る墓が石であることも関係あるのでしょうか。

仏像その他の素材として石が用いられるのは、やはり耐久性に重きが置かれたためでしょう。墓石に関しても同じことがいえるでしょうが、古代・中世では一般庶民に墓などなく、近世でもしっかりした墓石を持てるような人々は、社会的・経済的に上部の階層であ…

病や治療に関して、なぜ男性ではなく女性の像が多くみられるのでしょうか。

単純ですが、やはり生命を生むという力への畏敬の念が働いているのでしょう。いいかえると、実はそれだけ男性バイアスの強い社会であり文化なのだ、ということもできます。「原始女性は太陽であった」といういい方は、古代の女性尊重をいいあてたかのように…

八百比丘尼の話、面白かったです。私自身は、もしまわりの人々が死んでしまっても、悲しさよりも不老不死の憧れのほうが強いです。先生は不老不死についてどう思われますか?

それは、冗談とか嫌味とかではなく、あなたがいま本当に幸せだからだと思います。そして若いから。ぼくもそう簡単に死にたくはないし、生への執着は強い方だと思いますが、育った環境のなかで生命のはかなさ、死のありようは叩き込まれていますから、一般の…

人魚=女性というイメージがありますが、日本の伝説のなかには、男性の人魚も存在したのでしょうか?

日本における人魚の初見は、『日本書紀』推古天皇27年夏4月己亥朔壬寅条です。「近江国言していはく、『蒲生河に物有り、其の形人の如し』」。続いて同年秋7月条に、「摂津国に漁父有り、罟(あみ)を堀江に沈むるに、物有りて罟に入る。其の形は児の如し…