2015-04-27から1日間の記事一覧

資料にミミズク土偶が載っていますが、ミミズクも食べるものの象徴とされていたのでしょうか?

資料に載っているミミズク土偶は、形状がミミズクに似ているためそう呼称しているだけで、実際にミミズクを模したものだとは考えられていません。しかし北海道では、実際にミミズクをモチーフにしたらしい土製品もみつかっているようです。アイヌ文化におい…

殺された「女神」ではありませんが、例えばギリシャ神話におけるアドニスのように、死んで花や木になるというエピソードは多く残ります。これらは「殺された女神」のヴァリエーションと考えていいものでしょうか?

ギリシア神話と日本神話を比較する場合、実は神話としてのステージがまるで違うので、充分に注意する必要があります。現在我々の知るギリシア神話は、多く叙事詩や演劇など文芸化したものであり、一方日本神話とされるものは、『古事記』『日本書紀』など国…

施朱についてですが、骨を土葬にして腐らせた後にしたのか、それとも火葬にしたのでしょうか。 / 施朱の赤色は、何をもとに作ったのですか。

縄文時代の施朱は、骨にしてから散布したのではなく、死体を埋葬する際に直接行ったようです。確かに縄文時代にも再葬はあるのですが、一度解散した集落が再び集まる際にどうも骨を結合のよりどころにしたようで、埋葬して骨になったものを保持していた形跡…

縄文時代のどのあたりから、自然に依存する考えが変わり始めたのでしょうか。 / どうして怖ろしい存在だった人骨が、聖なるものへ変化したのでしょうか? / 縄文時代まで祖先信仰が生まれなかったのはなぜでしょうか?

やはり、後期・晩期あたりから始まる寒冷化が、大きな原因のひとつだったでしょう。それまで自然環境へ依存している情況で充分な生活を得られていたものが、ある程度の働きかけを行わなければそれまでの人口規模を維持できない状態になってゆく。そのあたり…

儀式で人を殺すことは昔はずいぶん多かったのかと思いますが、いつ頃からそれはなくなっていったのでしょうか。動物を殺すことと人を殺すことは、どちらが重く心に響くのでしょうか。

神霊に何らかの犠牲を捧げる祭祀や儀式は、「供犠」と呼ばれます。一般に文化人類学や宗教学では、犠牲にはそれを捧げる主体にとって最も大切な存在であるべきで、当初は人間、しかも家族や肉親が選ばれたとみられています。しかし、祭祀自体の世俗化に伴っ…

土偶が生命を生み出すもの=女性として信仰されていたとすると、縄文時代の集落のなかで女性の地位は高かったのでしょうか。

縄文社会は、授業でも説明したように、概ね階層化していない平準な社会でしたので、性別による格差はあまり存在しなかったようです。男性には男性の役割とそれを遂行する能力が求められ、女性にも同じように性別に沿った貢献が期待された。異なることが尊重…

土偶やストーンサークルは性を命の象徴として扱っていますが、現代では性はいかがわしいものとされています。性を命の象徴と尊ぶのは古代だけなのでしょうか。また、そうした考えはいつ頃変化したのでしょうか? / 生殖器信仰はなぜ主流ではなくなっていったのでしょうか。とくに、キリスト教のような禁欲的な宗教が生まれる背景を知りたいです。

日本では近世に至るまで、性的なことがらについて非常に寛容でした。現在でも生殖器信仰の祭祀、年中行事は残っていますし、欧米に対して性に関する禁忌も曖昧です(それが売春/買春などの横行を許容している一要因にもなっていますが)。一般にそうした風…

縄文時代の信仰の話を聞き、レヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』を思い出した。古代日本についても同じような研究があれば紹介してほしい。

構造主義については、本来「日常生活における社会的機能を保持している」神話が多く採集されていなければ分析作業が行えないため、古代神話へ適用するのは難しいという方法論的制約があります。レヴィ=ストロース自身は『構造人類学』のなかでオイディプス…

縄文時代の自然信仰について、世界で同じような動物が信仰されるのは、似た考えがあったからなのでしょうか。どこからか伝わったということはないのですか。 / 外国の神話と日本の神話で似ているときがありますが、それは偶然なのかそれとも伝播してきたのか、または人間の心の奥に共通して存在している考えなのでしょうか。

同様な環境下ではどうような文化が営まれるという見方、どこからかひとつの形式が伝播してきたという考え方の、両極的な説明の仕方が存在しますが、実際はその折衷でしょう。例えば照葉樹林文化論という考え方では、植生を同じ照葉樹林とする地域では、基礎…

縄文時代では、食べる対象を信仰し、それを食べることでそれが持つパワーをもらい、あるいは本体である精霊を送り返すことで殺害を正当化していたとのことですが、そのように考える具体的な根拠にはどんなものがありますか。 / 文献など、文字を扱うものならば多くの文献から整合性をつきつめることができるだろうが、文献のない縄文時代の神話や土偶祭式論などは、真実をつきつめる歴史学なのだろうか。

縄文時代は歴史学の範疇ではなく、考古学の対象とする時代です。とうぜん、歴史学とは方法論も蓋然性の追求の仕方も相違がありますので、その点注意が必要でしょう。例えば、縄文時代の社会や文化のあり方について、遺跡や遺物だけではどうしても推測するこ…

三内丸山遺跡に行ったことがあります。そこで気になったのですが、縄文時代には「道」は作られていたのでしょうか。

古代の舗装道路としては、細かな石を敷き詰めた舗装道路が存在し、これは縄文時代からみることができます。例えば三内丸山遺跡でも、粘土で舗装した道路がみつかっていますし、新潟県の奥三面遺跡では、小規模の環状配石と石敷き道路が検出されています。

大規模集落に環境が耐えられなくなるとは、具体的にどういうことですか。

人間が集住する場合は、その狩猟採集の領域も、居住地を中心とした限られた領域に固定されてゆきます。もちろん、前回お話ししたように縄文は弥生以後よりその範囲が「広い」わけですが、それでも集落の人口が増加してくれば、その領域を拡大してゆく以外に…

自然環境の大きな変化によって、縄文時代の人間はどのようにコミュニケーションをとり、変化していったのか。

以下の各質問への回答に、その具体的な答えがあるはずです。

縄文時代に戦争はなかったとのことですが、どのように工夫をして平和を維持していたのでしょうか。

まず、貧富の差やそれに基づく階級の発生を防ぐ、皆殺しになるような大規模な戦争を防ぐ、という工夫が存在したものと思います。前者については、とにかく狩猟や採集によって獲得したものを平等に分配する、という規則が徹底されていたはずです。集団で狩猟…