2015-05-11から1日間の記事一覧
やはり、いちばん怖がっているのは、自分と同じ立場の学生でしょうね。あるいは、自分が所属している社会といってもいい。そのなかで孤立すること、疎外されること、自分の居場所が確保できないことが、最も怖ろしい。それは現代の若者たちにとって、社会的…
そういってしまっても、必ずしも間違いではないと思います。『日本書紀』くらいの段階になると、鹿と猪は神の使いとして物語的に表現されるようになります。これは『もののけ姫』と非常によく似ていて(宮崎駿が勉強したんですね)、鹿は概ね人間と親和的に…
稲木への稲掛けですね。弥生時代の土器絵画は、季節をしっかりと描いていることが多いので、この場合もその点に注意する必要があります。まず、鹿が水田に現れるのは主に苗を食べるためなので、季節として春です。水田に魚が描かれていますが、淡水魚のフナ…
狩猟採集時代の動物の主神話も、非常に両義的なものです。人間が狩猟対象とする獣のほか、大きな力を持った存在を主として捉えて信仰しますので、そのなかには人間に危害を加えうるものも存在します。イノシシやクマなどは典型的でしょう。そうした存在と契…
性象徴を用いた呪術は、農耕社会以降も長く認めることができます。縄文時代ほどの盛行はありませんが、やはり男女の性交渉が新しい生命を生み出すとの知識が、農耕の豊穣予祝へ結びついてゆくのです。これから授業でみせてゆく鹿や鳥の象徴は、いずれも稲作…
後期の離合集散は、多くの集落の解体を生じます。例えば近畿では、中期まで代表的な大規模集落であった池上曽根遺跡なども廃絶してしまいます。しかし、楼閣の描かれた土器絵画の出土で有名になったヤマトの唐古・鍵遺跡など、やはり生き残ってゆくものもあ…
残念ながら、中国式の宮殿建築、寺院建築などが伝わる以前の列島の建物は、あまり派手な祭式の痕跡は認められません。縄文時代にも、一部に呪術的な文様を用いることはあったと思いますが、全体を彩色することはなかったであろうと思います(しかし、縄文時…
次回触れることになると思いますが、有力首長が発生しその権限が増してゆくひとつの過程として、複数の集団の利害調節がある個人に委託される段階、やがてそれが世襲されてゆく段階、という流れが考えられています。方形周溝墓は有力な家族の墓で、中央に戸…
クニというヤマト言葉には、「国」「邦」など複数の字が当てられますが、実はそのことによって特定の意味が付与されてしまいます。弥生時代の当時には、クニという言葉があったのか分かりませんが、もしあったとしても文字は普及していませんから、オーラル…
環濠集落は、防備のための環濠を持った弥生時代に一般的な集落形態で、主に平地に築かれています。高地性集落は瀬戸内海地域を中心に丘陵状地形に築かれたもので、水田耕地とは隔絶しますが、周囲を見渡せる地政学的に重要な位置を占めています。かつてはそ…
貝塚文化は沖縄、続縄文文化は北海道を中心とした地域を指しますが、授業でもお話ししたとおり、縄文系弥生文化は本州の弥生文化における地域間の差異を指すものです。すなわち、弥生文化といえど列島全域で均質なわけではなく、地域間で大きな相違がある。…
確かに、九州南部では、他の地域に比べて水田耕作化がなかなか進みませんでした。しかしそれは、「発展が遅れてしまった」わけではなく、南部の土壌的特質であるシラス地質が、栄養価が少なく水はけが良すぎて水田に不適だったためであり、集落を営むのによ…
鳥取県の青谷上寺地遺跡からは、弥生時代の人々の脳3つが検出されています。現在、日本列島で発掘された脳の遺物としては最古のものです。人類の進化過程からすれば1800年前というのはわずかなものなので、基本的な構造は現代人のそれと違いがありません。…
もちろん分かります。大腿骨が残っていれば、他の骨との比率などからだいたいの身長を推定できるのです。授業で話題にした青谷上寺地遺跡の場合、平均身長は男性が162cm、女性が148cmで、縄文期の人々、また弥生時代にあっても縄文的特徴を残した人々と比べ…
言葉が通じないから戦争をする、ということにはなりません。現在の考古学的成果では、弥生期の波状的な渡来は、列島在来の人々を圧倒するような大規模な集団ではなかったとみられています。それぞれ小規模な集団が断続的に訪れたもので、稲作農耕による人口…
まず誤解のないようにしておきたいのは、現在私たちが食べている米は長い時間をかけて品種改良されたものであって、古代の米とは違います。縄文時代から列島へ入っていた米は熱帯ジャポニカ種、弥生時代に入ってきたものは温帯ジャポニカ種ですが、現時点で…