2015-05-18から1日間の記事一覧

先日本屋で、「邪馬台国は千葉にあった」という眉唾物の本をみかけました。先生はこういった書物をどう思いますか?

うーん、実害がない範囲でならご自由にどうぞ、と思いますが。学生さんがはまってしまうと困りますね。

卑彌呼は主に西日本を治めていたと聞きますが、では当時の東日本はどのような情況だったのでしょうか。

これは邪馬台国の位置をどこに比定するか、という議論によりますね。例えば、畿内説に立つ最近の岸本直文さんの論文では、倭人伝で邪馬台国と抗争関係にあったと書かれる狗奴国を、東海地域に当てはめています。他の発掘事例によると、弥生の初回にもお話し…

邪馬台国は恐らくヤマト王権そのものではないのに、卑彌呼の業績を神功皇后のそれにすることで、何かメリットがあったのでしょうか。

『日本書紀』は中国的文脈に沿うように作成してある史書ですので、中国の史書に載る倭の記述を吸収しようとしたものでしょう。しかし、例えば倭の五王が『書紀』記載の大王にそれぞれ対応されているわけではないので、その編纂方針にはぶれがあります。

銅鐸はヒレを立てて埋納されるとのことですが、その行為に何か意味があるのでしょうか。

何でしょうねえ。これはぼくも知りたい。最初に銅鐸の埋納情況をみたとき思い出したのは、縄文時代に、食べた獣の骨を儀礼的に配置して埋納した遺構です。猪や熊の頭蓋骨を丁寧に積み重ねるように配置したり、あるいはクジラの脊髄を軸にイルカや猪の頭蓋骨…

青銅器の埋納については、自分は贈与説に近い考えを持っているが、贈与の対象は大王なのではないか。

青銅器祭祀の段階では、未だ「大王」と呼べるような権力者は存在しません。むしろ、青銅器祭祀を放棄した地域に墳丘墓が発展してゆきますので、青銅器祭祀を続けた地域は共同体的・合議的性格の強い社会、青銅器を放棄した地域が特定個人・家族へ権力が集中…

青銅器埋納の贈与説について、いかにたくさんの質の良いものを「贈与」しようが、埋めてしまったら分からないのではないか。

まずは神霊に対するものですので、埋納しても宗教的意味は達成されます。また、埋納時には何らかの祭儀を伴ったはずですので、どれだけ質・量のものが蕩尽されたかということは、情報として近隣に伝えられたと考えられます。

集落のなかに首長が出てきたことで、生活レベルの差というのはあったのでしょうか。政治的な力は持っていても、例えば食べ物を優先的に貰えたり、大きな水田を使用できたとか…。

なぜ出雲などの地域は、早期に青銅器祭祀を放棄したのでしょうか。

かつてイースター島では、各部族の間で神霊的存在へモアイ像を贈与する競争が起こりました。これは一種の蕩尽になって、結局文明の崩壊を将来してしまいます。出雲地域方は、加茂岩倉遺跡や荒神谷遺跡などから、とりわけ多くの青銅器埋納が行われた地域であ…

青銅器祭祀の盛行期の図で、近畿南部がどこにも属していないのが気になりました。

銅鐸が兵庫や島根、滋賀の主な近畿地域に分布しているのが分かりましたが、形も似ているし集中した地域で見つかっていることから、村々での交流があったのではないか。銅鐸の製造を伝えあっていたのではないか。

これは説明の仕方が悪かったと思いますが、同じ文化圏内での青銅器の供給は、特定地域での製造・分配によっています。形態・形式が似ているのはそのためです。もちろん、センターが一つに限られるわけではありませんが、複数の場所で生産されたものが、原料…

青銅器が共同体の象徴となっていたとすれば、戦争などで勝利すると、敵の青銅器を破壊したりするのでしょうか。

青銅器製の武器と鉄器製の武器を持つ人々との間で戦争などはあったのでしょうか。

地元の横須賀市夏島からは、縄文の犬の骨が発掘されています。犬は今と同じように、人のパートナーとしての役割を果たしていたのですか。

イヌは、動物のなかで最も早くに家畜化が進み、狩猟などのパートナーとして共生が進んだものと考えられています。縄文時代には、人間と同じような埋葬がなされたもの、人間とともに埋葬されたもの、ケガなどの治療痕が骨にあり狩猟などの活動をともにした可…

神岡5号銅鐸の長脚鳥の横に描かれていた動物は、カメにみえるのですが何ですか。また、当時から「長生き」のような発想があったのでしょうか。

これは縄文のときにも、弥生の時間にもお話ししたと思いますが、補足的に。銅鐸に描かれているのはカメで、やはり水田周辺でみられた動物と思われます。当時、亀に対する神聖性がどの程度あったかは分かりませんが、中国や半島から何らかの知識が入っていた…

鳥形木製品を挿し立てていたのが、環濠や集落の縁辺部であったのはなぜですか。

ひとつには、飛翔する鳥型木製品には他の鳥=穂落神を呼ぶ機能が期待されていたのではないか、ということ。稲を生育させるエネルギー=稲魂を持った鳥たちが、鳥形木製品を仲間だと思って集まってくれることを望んだのでしょう。神社の鳥居の原型のひとつ、…

神道における初詣などの形式は、自然が対象なのでしょうか、それとも人間が対象なのでしょうか。

現代的レベルでは、地域の氏神や産土神でない限り、参拝客の多くはその神社の祭神が何であるかを認識していません。神は漠然とした「聖なるもの」であり、人間を崇めるというより自然を崇めているのに近いだろうと思います。しかし個々の神社の成り立ちを調…

鹿が害獣であったのと同じように、鳥に対してもマイナスの認識はなかったのでしょうか。

弥生時代に限定はできませんが、例えば上にも挙げたカラスの例があります。広島の厳島神社には、カラスによる御烏喰神事があって、海に浮かべた供物を神使いの烏が食べるかどうかで、願いごとの成就や吉凶を占います。これなどは、烏が作物その他を奪ってゆ…

古代では鳥や鹿や自然を一種の発想の転換によって神聖視していたが、現代日本ではどうしてそのような考え方がなくなってしまったのだろうか。

確かに薄らいではいるのですが、社会的な調査によると、自然環境や自然現象に神聖性を感じるかどうかという点では、いわゆる「先進国」と呼ばれる国々のなかで、日本は突出として高く、アニミズム的雰囲気が残っている社会・文化と捉えられています。日本で…

古代の人々は、なぜ動物を擬人化したイメージを持つのでしょうか。自分はネコや鳥ではないと分かっているのに、なぜそれになりうると思うのでしょうか。 / 鳥に扮装した人間ではなく、「鳥人」のような存在への信仰はなかったのだろうか。

アニミズム的な精神世界においては、多く、個々の動物は本体の精霊がまるで衣服を着るように毛皮を身に着けた存在である、と考えられていることが分かっています。そして注意すべきことに、その本体は人間とまったく同じ姿をしているのです。ゆえに、人間が…

青銅器絵画についてですが、多様性を持っているようでありながら画一性もある。当時の価値観の画一性はどこから来るのでしょうか。

注意しなければいけないのは、あくまで銅鐸の話ですので、限られた流通圏にしか通用しないということです。また、例えば近畿系銅鐸の製作地は近畿中央部に限定されてきますので、その形式はほぼその周辺で決定されていることになります。銅鐸を共同体のシン…

文物の輸入は大変なことだと思うのですが、この時代の渡航の危険性はどうだったのでしょうか。

瀬戸内海においてさえ遭難してしまうような時代ですから、もちろん常に危険は付いて回ります。しかし、例えば壱岐→対馬→朝鮮半島のルートであれば、一定程度の交流ができるような情況にはありました。古代における「漢委奴国王」の金印や近世の出島の影響か…