2015-06-01から1日間の記事一覧

『古事記』について、関心が湧きました。分かりやすい解説の本、先生のお薦めの本などはありますか。

まず、口語訳として、三浦佑之『口語訳 古事記』(文春文庫)が、内容を追ったものとしては秀逸と思います。それから、神話の読み方については、斎藤英喜『古事記 成長する神々』(ビイング・ネット・プレス)。シャーマニズムの視点から、神語りとしての『…

古墳時代にも、列島各地には多くのクニが存在したと思いますが、それぞれのクニにおけるカミの定義は多種多様だったのでしょうか。

前回も少し書いたのですが、地域的多様性を持ちつつも、だんだんと画一性を持ってゆくようになります。それは、6世紀のヤマト王権に神祇祭祀を統一的に扱う部署が発生し、自然神に対する神祭りの方法を、滑石製模造品の3点セット(刀剣・有孔円板=鏡・玉…

月や乗り物と聞いて『竹取物語』を思い出したのですが、あの物語も再生の象徴として使用されているのでしょうか。

もちろんそうです。再生というよりも、不老不死に関係のある物語ですね。月は不老不死の神仙世界であり、そこから訪れたかぐや姫も不死の仙女です。しかし、『竹取』はそこへの憧れを宿しつつも地上性を重視する内容になっており、例えば姫から仙薬を贈られ…

『古事記』の黄泉国神話には三途の川が出てきませんでしたが、あれはいつ頃普及した概念なのでしょうか。

三途の川は仏教的な概念ですが、もともとの仏教ではなく、宋代に成立した偽経の『地蔵十王経』に基づくものとされています。10〜11世紀頃から諸書にみえはじめますので、他界に関する概念としては新しい部類に属するものです。

死者の国の食べ物を食べると、生者の世界に戻れなくなるということですが、どうして戻れなくなるのでしょう。

民族社会の通過儀礼にも、例えば婿に入った男性にその家の竃で作った料理を食べさせることで、本当の家族として組み込むというものがあったらしく、平安貴族の間でも露顕(ところあらわし。披露宴のこと)の夜に、妻方一族の有力者(父や兄)が、婿に餅を含…

黄泉国神話で、最後になぜ男神のイザナキに生殖が結び付けられ、逆に女神のイザナミに死が結び付けられるのでしょうか。

実はこの神話には、女性を穢れとみて排除してゆく、非常に家父長制的なニュアンスが認められます。授業で紹介した部分のあとに、イザナキは黄泉国の穢れを落とすために禊ぎを行いますが、その折に誕生したのがアマテラス・ツクヨミ・スサノヲの3貴神だとい…

鳥が他界への水先案内人になったとありますが、どうして鳥なのでしょうか。当時の人々にとって、鳥は空へ飛んでゆき、どこへ行くのか分からなかったからでしょうか。また、弥生時代までの、大地を象徴する鹿や天空を象徴する鳥のイメージは、どこへ行ってしまったのでしょうか。

むしろ、鳥が稲を実らせるエネルギー=稲魂を運んでくるという信仰があったからこそ、死者を導く鳥、死者の魂を運ぶ鳥というイメージが定着していったのだと考えられます。興味深いことに、古墳の周囲からも、弥生時代に環濠集落の縁辺から出土していた鳥形…

月と蛙の関係について、以前授業で鹿の角や蛇についても再生の問題が議論されていたが、アジアで強かったのは蛙なのだろうか。

縄文時代にもカエルの図像が存在したことは、授業で扱ったと思います。どの象徴が支配的だったのか、というと難しいですが、喪葬や他界観に関わる範囲では、月=蛙の結びつきが強かったといえるでしょう。それは、日本の装飾古墳が模倣とした朝鮮、つきつめ…

古墳などに書かれた絵は、何を使って書かれたのでしょうか。

多くは、岩石を砕いて生成した顔料によるものです。顔料には、赤、青、黄、緑、黒、灰、白などがありますが、古墳時代にはすでに漆器もあり、刷毛目を持った土器が出土していることからハケのような道具があったことは確実で、それらを利用して描かれたとみ…

石室は神聖な場所だと思いますが、横穴式石室において、石室内に入れるのは決まった人だけだったのでしょうか。

この問題を立証できる材料がありませんので、何ともいいがたいのですが、後の宮廷における葬儀の形式、モガリの儀礼などを参考に考えてみると、祭祀者・埋葬従事者とごく近い家族に限定されていたと考えられます。『書紀』において、敏達天皇の殯宮には皇后…

そもそも、竪穴式石室から横穴式石室に構造が変化したのはなぜなのでしょう。何がきっかけで、死者観や他界観は変化するのでしょうか。

難しい問題ですが、まずは、前期から中期にかけて、死者が呪術的な存在から次第に身近な存在へと変化しつつあったことが挙げられます。古墳の被葬者は現首長の権威の根源となるものでしょうが、古墳に対する儀礼が現世と他界を区切る喪葬的なものから、カミ…

前期と後期で古墳の副葬品は異なると習いましたが、墓に対する見方と関係がありますか。

授業でも少し触れましたが、後期古墳になると、装身具や調度品など、いわゆる生活用具のようなものが副葬品に増えてきます。そのなかには、恐らく生前の愛用品も含まれているでしょう。これは、辟邪の呪具・武具を中心とした前期の副葬品とは対照的で、恐ら…

辟邪というのは、死者を守るためのものなのでしょうか。それとも死者を遠ざけるものですか? 途中から混乱してしまいました。 / 辟邪からは、崇敬は生まれないのでは亡いでしょうか。

前期古墳の場合は、死体に対して崇敬/畏怖という両義的(相反する性格を併有すること)な感情が抱かれているので、辟邪についても、死体を邪気から守る機能と、死体の力が外部へ影響をもたらすことを防ぐ機能の、2つが期待されたと考えられます。いまでも…

遺体の周囲に施した朱は、血を象徴していると思うのですが、血にも聖なるイメージがあったのでしょうか。

世界的にみて、血は生命の象徴であり、巨大なエネルギーを秘めたものと考えるのが一般的です。そもそも、辟邪に赤色を用いるのは、血からの発想と考えられます。鳥居や寺社の欄干、地蔵の前掛けなど、すべて同源のものです。しかし、エネルギーの強いものは…

古墳時代にも再生を強く意識していることがよく分かりました。古代に再生を意識するのは、医療技術がないため寿命が短かったからでしょうか。しかしそうなると、古墳に大量の殉葬者を埋めるのはなぜでしょうか。

日本列島における供犠や殉葬の習俗については、現実に存在したという立場と、伝承のなかだけに書かれていることで現実にはなかった、とする立場が存在します。近年では、多少の「殉葬らしき例」がみつかっていますが、『魏志倭人伝』や『日本書紀』にみるよ…

古墳の数は、日本にあった権力者のいる集落の数と一致するのでしょうか。

考え方とすればむしろ逆で、集落などの遺跡が発見されている場所のそばから大規模墳丘墓=首長墓が発見されることによって、その地域社会の階層化、権力の存在形態が判明するわけです。すなわち、首長墓を持たない集落も存在し、その場合は有力な首長を持た…

平安京以降は、ずっといまの京都の位置に都が置かれていますが、奈良や飛鳥は流通センターとしてどのような限界があったのでしょうか。

後々言及することになると思うのですが、飛鳥や平城京が放棄されたのは主に政治的理由によるもので、流通センターとしての限界によるものではありません。例えば飛鳥朝末期の段階で、日本は中国より都城制を導入しますが、飛鳥は土地面積的に大規模な都城を…

ヤマト王権とヤマト政権の相違は何でしょうか。

政権とは政治権力のことですが、その指し示すイメージは非常に近代的です。古代は、宗教や呪術、政治などが未分化に表明され、そのこと自体が権力として現れることが多いので、そのあたりの研究が進んでゆくにつれ、「政権」という言葉がだんだんと馴染まな…