2015-06-15から1日間の記事一覧

飛鳥〜奈良時代は、他の時代と比べて女帝が多いと思います。何か理由があるのでしょうか。

以前は女帝の問題をきちんと扱っていたのですが、平安時代までゆくために割愛してしまいました。指摘のとおりで、7〜8世紀は女帝が集中しています。かつては、本命の男性天皇が即位するまでの「中継ぎ」論が一般的でしたが、推古朝は蘇我馬子らによる中国…

古韓音はなぜ残ったのでしょうか。

古韓音は、具体的には、ガ(奇・宜)、キ甲(支)、ケ乙(挙・希・居)、ソ甲(巷・嗽)・タ(侈)・チ(至)・ヌ(蕤)・ヘ甲(俾)・マ(明)・ヤ(移)・ヨ乙(已)・ロ乙(里)などの音です。渡来人の関与したとみられる推古朝遺文や、『書紀』のなかで…

各豪族が独自に朝鮮半島の交流を持っていたということは、政権自体も容認していたのだろうか。

王権や政権に対して著しく被害を与えない限りは、容認し利用していたものと思われます。平安時代には、遣唐使が停止された後も、民間レベルでの交易が続き、平安貴族の間に高価な舶来の品々が愛好されたことは、近年よく知られるようになってきました。後に…

地図がないのに、どうやって外国へ行けるのでしょうか。

朝鮮半島と倭との関係は極めて深く、半島の南には前方後円墳も幾つか発見されていて、倭から渉ってきて帰国せず、朝鮮の王朝に奉仕した人々の墓であったとみられています。倭が東海(日本海)を渡った先にあるという認識は、ある程度共有されていたとみられ…

渡来人について、さしたる知識や技術のない一般的な人々は、どのように日本へ受け容れられていったのでしょうか。

幾つかの氏族や村、あるいは戸に編成されて、各地に開墾農民として移住させられています。私たちの住む関東などは、6世紀後半から渡来人集団の移配が盛んに行われたところで、各地に朝鮮系の地名、その地域文化に依拠した神社などが建っています。高麗(コ…

日本に渡来してきた中国系の人々は、中国のなかでも異質だったのでしょうか。 / 塢堡は、なぜ移動してきたのでしょうか。

異質、ということはありません。南北朝時代は、とにかく北朝の胡族政権と南朝の漢人政権の対立が激しく、小競り合いが頻繁に生じていました。それぞれの王朝の内部でも、部族同士や王位継承をめぐる内乱が相次ぎ、社会不安が倍増されていたのです。塢堡は、…

8氏族の担う役割が重複していますが、分担関係、協力関係はどのようになっていたのでしょうか。

主に内政・外交の重要な機能を担っている氏族が、最終的に王権に密接に関与する8氏族をなしたのだ、といった方が事実に近いでしょう。いずれにしろ、合議のトップは大臣や大連ですので、その統括のもとで諸々の業務を分掌しているわけです。勢力の大きさに…

神殺しの言説について、この自然環境を開発してゆくという考え方は、西洋で起こった自然を支配できるとする考え方と同様のものなのでしょうか。 / 神殺しについて、庶民はもちろんですが、王権を構成している氏族たちは、それまでの自然観を簡単に払拭できたのでしょうか。 / 神殺しはうまくいったのだろうか、人々の信仰をそう簡単に変えられるのだろうか。 / 現在、神殺しのような思想はみられないように思いますが、いつ転換したのでしょうか。

もちろん、日本列島には、現在に至るまで自然環境に神霊の働きをみるような心性が残っていますので、古代のこの時期に自然神への畏怖がまったく焼失してしまうということはありません。藤原京や平城京の工事に参加し、山を削り、森林を伐採し、河川を埋め立…

礼制の導入により、現代にある日本人のお辞儀が生まれたのかなと思いました。しかし、それが中国由来とすると、なぜ中国ではお辞儀をする習慣がなくなってしまったのでしょうか。

狭い国土である程度の一般化がなされている日本列島と、広大で56の民族が住む中国とを、単純に比較することはできません。お辞儀に関わらず、礼儀は儒教的秩序を前提とするものですので、主に王権や国家からの矯正が行き届いた地域で社会的に浸透してゆきま…

先日のNHK『歴史秘話ヒストリア』で、持統が跪伏礼から立礼へ変更を行ったと放送されていましたが、聖徳太子の頃に変わったのですか。 / 中国清朝では、三跪九叩頭の礼をさせていましたが、これは日本文化が逆輸入されたものなのでしょうか。

『ヒストリア』は何でもかんでも持統にしてしまっていましたは、正確には匍匐礼・跪礼が立礼に改められるのは天武朝です。また、その際に「難波朝庭の立礼に更たむ」と出てきますので、孝徳朝の改新政治の折には、一度実行されていたものと考えられます。そ…

隋への国書の件、なぜ東西信仰が南北信仰より未開とされたのでしょうか。考え方に違いはあれ、優劣はありませんよね?

当時の東アジアでは、中国王朝の政治・文化が価値の基準でした。文字どおりその文化は東アジアのなかで最高水準であり、それゆえに隣国はこれと冊封体制を結んで文物を輸入、消化しようとしてきたわけです。中国でも古代王朝の殷の頃には太陽信仰でしたが、…

煬帝の不快を招いた国書は、どのように書けば正解だったのでしょうか。当時の礼節をしっかり踏まえていれば、不快にさせずに済んだのでしょうか。 / 幼い頃読んだ伝記のなかに、小野妹子が礼制の無視をフォローしたと書いてありましたが、これは間違いでしょうか。 / 渡来系氏族を用いていたにもかかわらず、なぜ外交の失敗をしてしまったのでしょうか。

その伝記にどのような意味でフォローしたと書いてあったのか分かりませんが、実は小野妹子は、煬帝が激怒した国書への返信と思われる国書を、帰国中に百済で盗まれ紛失してしまったと奏上しています。本当なら恐るべき大失態ですが、彼は罪に問われません。…

日本は古代において、多くの先進的システムを大陸から輸入しています。そのなかに礼制や仏教がありますが、これは模範とした中国が、儒仏習合の制度を古来から形成していたとみてよいのでしょうか。

中国に仏教が伝来し、次第に浸透してゆくのは後漢以降、本格的に受容と消化が進むのは南北朝期となります。この間、梁や隋のように仏教治国策を採る王朝もありましたが、北魏や北周では大規模な廃仏があり、老子の子孫を標榜する唐でも国家的廃仏が企図され…

飛鳥時代の初め、日本は隋や半島に後れを取り孤立してきたといっていましたが、それはなぜですか。

日本列島は、古代においては、おしなべて東アジアの後進国です。中国や、それと直結する朝鮮諸国から先進的文化を摂取することで、成長してきたといって間違いありません。この時期には、南北朝の動乱のなか、倭の五王以降は中国王朝と直接連携が図れず、中…

期末レポートで、中臣鎌足から藤原頼通までの藤原氏の歴史を扱いたいのですが、可能でしょうか。 / レポートについて、氏族の流れをテーマにするのは構いませんか。

いずれも、日本古代の通史において、なぜそれが中心的テーマとして設定できるのか、きちんと説明できていれば大丈夫です。