2015-07-03から1日間の記事一覧

木が語るのではなくて木に宿る精霊が語るのだというのは仏教的考えの表れ、とのことですが、これが道教の考えを示すとすると、また何か変わってくるのでしょうか。

仏教では、「主託神」という概念になります。アニミズムの本当に原始的な形では、動物そのもの、植物そのものを神と捉える段階があると思うのですが、それから少し展開すると、動物は人間と同じ姿をした精霊が毛皮を被っているもの、樹木はやはり人間と同じ…

途中で仰っていた、「カラスの鳴き声で行う占い」がとても興味深かったです。詳細を教えていただけないでしょうか。

以下、昨年の『上智史学』に載せた例会報告の要旨になります。もっと詳しいことが知りたければ、研究室をご訪問ください。東巴経典の実物もおみせします。「環東シナ海の動物表象をめぐるラフ・スケッチ―東巴経典『以烏鴉叫声占卜』をめぐって―」 二〇一三年…

伯夷と対座した十人の犬が、金を賭けて双六をしたというのが気になった。当時の双六とはどのようなものなのだろうか。

鎌倉頃の絵巻『長谷雄草紙』に、羅生門の鬼が紀長谷雄に双六の勝負を挑む、というモチーフがあります。双六はいまのバックギャモンのようなもので、やはりお金を賭けたりして行われるので、ときどき禁令が出ています。以後や双六といったゲームの類は、勝負…

中島敦の「山月記」でも、主人公が虎になりますが、中国では虎はどのような位置づけをされた動物なのでしょうか。 / 結局、踵の有無というのは、どのような根拠なのでしょうか。 / このような話でよく虎や犬が出てきますが、身近な動物であったということですか。 / 自分たちの祖先を虎と考えていたトーテミズムは、転病という虎に変身してしまう病と、何か関係があったのでしょうか。

虎については、山岳に暮らす少数民族にとっては、やはり神であり祖先である存在ですね。ただし、農耕民化した漢民族の間では、虎に襲われる「虎害」が深刻化し、やがてこれらをほぼ絶滅に追い込むような掃討作戦を実行してゆくので、畏怖され忌避されました…

志怪小説や志人小説について、ほかにどのようなものがあり、どのような逸話・伝承があったのか気になりました。日本の『霊異記』や『古今著聞集』のようなものなのでしょうか。 / 日本の昔話のようでした。『抱朴子』と日本の昔話は、何か関係があるのでしょうか。

六朝の志怪小説には、『捜神記』のように民族誌的感覚で読めるものから、『幽明録』や『宣験記』、『冥祥記』といった仏教系のものまで、たくさんの種類のものが作られました。しかし、上にも書いたようにその大部分は散逸してしまっています。魯迅は『中国…

民族誌/民俗誌的な意味を持つ志怪小説は、その内容の非科学性からフィクションになった、という理解でよろしいでしょうか。

現実はもう少し複雑です。もともと神話や民間伝承、世間話などを対象としていた志怪小説は、仏教の影響を受けた仏教系志怪小説が生み出される過程で、上記に説明した説話のニュアンスを強めてゆきます。つまり、意図的なフィクションの度合いが高まるという…

「小説」と「説話」の違いはありますか?

「説話」とは、もともとは仏教の教えを譬喩を使って説明した物語のことをいいます。大乗仏典にはこの手のエピソードが多く収められていますし、釈迦の前世譚であるジャータカなども、説話の一種といえるでしょう。しかし、東アジアにおいて実際に作成されて…

◎35にかけて、山のなかで出会った「官吏」を判断することは可能だろうが、「胡人」や「秦人」を識別することは可能だったのだろうか。

確かに、難しいでしょうね。秦人というのは西方地域、胡族は北方遊牧民なので、話をしてみれば言葉遣い、イントネーションなどで判別できるのだろうとは思いますが、いずれにしろ曖昧な要素が強い。ゆえに差別的なニュアンスが強いのだ、ともいえそうです。

名を呼ぶことでコントロールできるという思想は、東アジア共通なのでしょうか。

そうですね、東アジアに留まらず、案外世界的に確認できる事例なのではないかと思います。ジェームズ・フレイザーによる呪術の類別に、「類感呪術」と「感染呪術」があります。前者は類似したものはお互いに作用を及ぼすという思考、後者は一度接触したもの…

自分の身を守る、隠すという遁甲などの術で、方角が詳細に用いられている理由は何でしょうか。また、禹歩が重視された理由はどこにありますか。

身を隠すということは空間の問題になりますので、空間の位置を特定するツールとしては、やはり中国前近代では六十干支による方角指定が一般的なのだと思います。これは現在の風水にも流れ込んできますが、宅地から墓地の占定にも用いられる知識・技術です。…

葦が生命力の象徴ならば、「葦原中つ国」との表現も、神が創造した日本列島の生命力の大きさを象徴するものだったのだろうか。

もちろん、それはそうだろうと思います。もうひとつ学説として存在するのは、葦原が日本の古代国家の故地のひとつともいえる、難波の低湿地の風景だったのではないかということですね。これは、古代王権の発生をどのように考えるかにも左右されますので、普…

◎33に「近代の達者」という言葉がありました。中国ではいつ頃から時代区分論的な考え方が出てくるのでしょうか。

前代/近代という捉え方は、早くから成立していたと思います。例えば、漢代に『史記』が作られる歴史観を考えてゆくと、夏・殷・周という聖代、さらにそれ以前の神話的世代を、現在と対比する見方が存在した。『春秋』段階でも、先祖の時代のあり方を現代の…

日本では女性の山伏がいたと思いますが、中国にも女性の修行者はいましたか?

度々話に出て来る陶弘景の茅山道教は、女性修行者の多い教団でした。その思想を詳細に述べた『真誥』という経典によりますと、そもそも茅山道教の始祖で昇仙して神になる南岳魏夫人自体が女性であり、他にも神仙世界で役職につく女性が多くみられます。むし…

中国では、神と仙人は区別されていなかったのでしょうか。

中国での神霊は、本来人間を超越した存在でしたが、秦の始皇帝が「神」を名乗り「神殺し」を多々行ってから、漢代以降、人間化が進んでゆくことになります。天界にも冥界にも人間世界の秩序が投影され、同様の国家機構が存在すると考えられました。地上の王…

岩肌の露出した山が信仰の対象になる、という理由はなんでしょうか。

非常に近代的な説明の仕方になりますが、例えば木々が鬱蒼とした景観が連綿と続いていると、どこも同じような印象になってしまいランドマークを定めることが難しい。そのようなとき、樹木から岩肌が露出したような場所があると、心理的に記憶に残りやすくな…