2015-07-10から1日間の記事一覧

朝鮮の医学には、学術的価値はありますか。

もちろん、大いにあると思います。そもそも古代の日本へ漢方医学が伝わったのは、公式には朝鮮半島を介してです。三国時代の医学史料は残念ながらあまり残っていませんが、高麗、朝鮮王朝のものは豊富に存在します。ぼくはこのあたりまだあまり詳しくないの…

病の捉え方について、「観察」は書かれないのでしょうか。脈や顔立ち、事に当たっての反応など、漢方の先生はよく観察するようですが。

もちろん、顔の色、むくみなどの状態、目の色・動きなどなど、多くの処方において、病の特定をする際には顔の状態の観察をします。脈診も、早くから発達し、専門の経典ができている技術のひとつですね。顔については、やがて医術と占術とが融合して、顔相を…

葬儀の際にも、出産のときのような儀礼がさまざまにあるのでしょうか。また、現代は出産に関する儀礼は残っていませんが、何か理由があるのですか。

葬儀は、だんだんと斂葬・埋葬に収斂してゆきますが、例えば殯(モガリ)が存在した頃には、長期の場合1年をかけて子供・近縁者・家臣などの誄奉上が行われ、生きているときと同じように、妻が遺体に奉仕するといった手順が行われていました。現在でも中国…

川に遺体を流してしまうという話を聞いて、ガンジス川に葬儀として遺体を流す光景を思い浮かべました。何か関係があるのでしょうか。 / 死体を捨てる場所は、当時、暗黙の了解として決まっていたのでしょうか。衛生問題にもなりそうですが。

以前何らかの形で書いたと思うのですが、人間の葬法は、それぞれの地域、自然環境とそれに根ざした文化の相関関係のなかで、まったく異なる様相を持っています。森林では土葬、樹木葬、風葬などが盛んで在り、海辺や海上では水葬が多く採用されます。インド…

『権記』の27〜28日条で、「亡」「没」を使い分けていますが、何か意味があるのでしょうか。

字義的には、そもそも「亡」字は死者の象形であり、「没」は人が水に沈む状態を表現しています。『権記』段階ではそれほど厳密に使い分けてはいないだろうと思いますが、そもそもは葬儀の形式、他界観などの関係で使い分けをすることがあったのかもしれませ…

逆子の習俗について、何か特徴的なものはありますか。

妊婦の禁忌に関連する習俗で、「○○すると逆子が生まれる」などの話はよくあります。異常分娩に関する「言い訳」のひとつであり、難産や死産を納得しなければならないとき、「こうした禁忌を破ってしまったんだから、仕方がない」と諦める工夫のひとつと思わ…

「八月子」ですが、『権記』に妊娠した時の記録はなかったのでしょうか?

残念ながら、出ていないのです。それがはっきりしていれば、話が早いんですけどね。

前近代において、障がいを持つ人々はどのような生活を送っていたのだろうか。

差別と崇拝の両義的扱いをみることができますが、崇拝が一般社会からの疎外を意味するとすれば、やはり差別の構造のなかに位置づけられていたとみられるでしょう。共同体や国家の制度には、もちろんこれらを補助する、現代でいう福祉的な要素も存在しました…

男性は、出産に対してどのような感情を抱いていたのでしょうか。

授業でもお話ししましたが、一般的にいわれるのは「恐怖」ということですね。これはマーガレット・ミードの分析ですが、男性は自らの機能にはない女性の出産能力に畏怖を感じ、だからこそそれを崇めつつ差別してゆく。世界の多くの地域で、女性そのものや月…

『古事記』では、アマテラス・ツクヨミ・スサノヲはイザナギから生まれて来ますが、男が出産に携わっていると考えられないだろうか。

『古事記』には、やや男性上位的視点がみうけられます。イザナミが亡くなったあと、黄泉国から帰ったイザナキが禊ぎを通じてアマテラス・ツクヨミ・スサノヲを生み出すのは、ケガレの強大な力がプラスの方向に転換される両義性を示すとともに、男性のみで生…

イザナミ・イザナキの婚姻の問題ですが、話しかける順番だけではなく、回り方の問題もあったと思います。これはどのような意味を持つのでしょうか?

大樹や山、柱の周囲を回るというモチーフも、広くアジアの兄妹婚姻神話に出てきます。回り方は、イザナキがイザナミに、「汝は左から回れ、私は右から回る」という宣言をしますので、タブー破りには繋がってきません。しかし、左と右のどちらを尊貴とするか…

イザナミ・イザナキに関するアジアの類話について、それは各地域で自発的に生まれたものですか、それとも互いに影響し合っていたのでしょうか。

やはり影響しあっていますね。少数民族の神話では、兄妹婚姻によって生まれてきた子供たちを、それぞれ自民族と、隣接する民族の祖とする話型も存在します。交流によって話型が伝播し、それぞれの地域の自然環境と文化との関わりのなかで変質し、定着してゆ…

伏羲・女禍の半人半蛇という姿が、葛洪らの蛇に対する感覚と矛盾するように思いました。

文化というのはおしなべて重層的であり、また多様ですから、例えば蛇に対する認識、感性・心性にしても、ある単一な視角のみでは捉えることができません。例えば、蛇に対する認識がマイナスのもののみであったなら、これをモチーフにした龍などが、漢民族の…

当時の国司層を除いて、貴族が海をみる機会はあったのでしょうか。

確かに、国司として任地へ赴く人間以外、平安貴族は、平安京のなかからまったく外へ出なかったような印象がありますね。しかし、そうした貴族の生活にも、折に触れて旅に出る、海をみるといった機会もなくはなかったのです。とくに10世紀以降になりますと、…

紫式部は、医術=呪術をめぐる観念連合について、書物を通じて知ったのでしょうか。

彼女はかなりいろいろなものを読んでいますので、やはり書籍でしょうね。当時一流の有職故実に関する知識人、藤原実資が彰子を訪ねてくる際には、必ず紫式部が対応したといわれる存在です。散文の物語りのなかに種々の漢籍的要素を分解し、忍ばせている可能…