2015-01-01から1ヶ月間の記事一覧

まず、リクエストがありましたので、これまでの配付プリントをダウンロードできるようにしておきます。今日から1週間程度で消されてしまいますので、注意を。

ガイダンス >http://urx2.nu/gbz8日本史の枠組みの形成 >http://urx2.nu/gbzd日本史研究/教育の乖離:古代 >http://urx2.nu/gbzi日本史研究/教育の乖離:中世 >http://urx2.nu/gbzs

先生は、今後日本人はどのように環境問題を捉えるべきだと思いますか。 / いま現在の情況で、将来はどのような自然環境になると思われますか。

IPCCの未来予測では、主に地球温暖化によって、数十年後にはかなり破滅的な情況が予測されています。現在気象の震幅が極端になる異常気象が各地で起き、災害も多発していますが、人為的影響による環境の急激な変化がもたらす現象なのでしょう。早急に我々の…

ソメイヨシノの話には驚きました。でも、文化は形が変わるものだと思うので、桜を愛でるのは古来からかと思います。 / 桜がソメイヨシノばかりになり、それに対する花見をみなが「伝統文化」と感じるのに対し、日本人が負うべき責任とは何でしょうか。

そうですね、花見の文化は古くからあります。生物多様性の観点からクローンのソメイヨシノばかりが増えてゆくこと、それを慈しむことがあたかも日本的伝統であるかのように誤解していることが問題なのです。「責任」は、誰に対するものかによって考え方が変…

第二次世界大戦中、日本は油の確保のために赤松を伐採し、かわりに杉を植えたので、現在は松が減り杉の多い植生になったと聞いたことがあります。それは本当でしょうか。

松根油ですね。確かに戦時中、これを確保するために松が根こそぎ掘り採られ、比較的広汎に存在していた松林が激減したことは確かです。 スギの植林に関しては、戦中というよりも戦後の復興過程で計画・実施されたものがほとんどでしょう。これも、もともとの…

比叡山は仏教の聖地だと思うのですが、当時はそのような宗教的な場所ですら保護されていなかったのでしょうか。それとも、信仰心の薄い住民が勝手に伐採してしまったのですか。 / 寺社の周辺に住んでいるからといって、その寺社を信仰しているとは限らないということですか。 / 寺社周辺は、当時は共利の地だったのでしょうか。後にそれらの森林が寺社所有になるとすれば、それはいつ頃からですか。

中世の段階であれば、所在の在地領主などの寄進により、境内地はもちろん、周辺の広大な領域が寺社の所有になっていることが多かったはずです。当然、寺社はこれを管理し勝手な伐採を禁じていましたが、周辺の庶民、場合によっては武士団などが狼藉を働き、…

「芝」「柴」「草」の違いは何ですか。

実は、生物学的に明確な区別はないのです。「柴」は低植生灌木類の総称、「芝」は主にイネ科の草類を指すと考えられています。『善光寺名所図会』では木々の枝も落としているので、細かな枝の類も「柴」と呼んだ可能性はあります。「草」はそれ以外の草類で…

日本の場合、草肥が主流だったと聞いて驚きました。堆肥はそれほど使われていなかったのでしょうか。 / 草肥はコストパフォーマンスが悪いと思うのですが、なぜそれほど選択されたのでしょうか。

このあたり、まだ不明確な部分も大きいようです。草山や芝山の実態が明らかになる以前は、研究者の間でも、草肥の需要はそれほど高くはなく、堆肥が主流であると考えられていました。都市周辺では家畜や人間の糞尿が金銭で売買され、農村が貨幣経済に取り込…

安土桃山から江戸初期にかけてが、日本列島の歴史のなかで最も森林が少なく、白神山地も伐採されていたとのことに驚きました。白神のブナ林は、森林回復の時代に植林されたものなのですね。

こちらの説明が不充分だったかもしれませんが、ブナは植林されたわけではありません。江戸初期までは、ブナも自生していたものの、針葉樹林が支配的な植生だったのです。それが、木材として需要のあった針葉樹が伐採され、不要であったブナが残されたために…

天孫降臨した神々は、なぜ天から来るのでしょうか。昔の人は、天にいる存在をスゴイものと考えたのでしょうか。

天には太陽があり、日光と雨という、生き物が生存してゆくために必要なものを授けてくれます。ゆえに、天にあるものは人類の歴史のかなり早くから、世界中で神聖化されてきました。太陽はもちろん、月、星もしかりです。アジアの先進文化発信地であった中国…

今回、条里制について初めて知りましたが、「田」という漢字はその形に由来するのではないでしょうか。

「田」という字自体は条里制以前から存在しますので、必ずしも条里制を形象化したものではありません。中国では「田猟」という言葉があり、「田」は狩猟の意味でも用いられます。しかし、ひとりの人間が何らかのものを生産できる範囲を指すことは確かであっ…

自分には水稲耕作以外の、日本列島の気候に適した食料生産手段が想像できません。何か他の作物または手段があったら紹介していただきたいです。

前回のコメントにも書きましたが、日本列島の食生活は、歴史的には非常に複合的な状態で成り立っていました。必ずしも、稲作や米が主流ではなかったのです。他の五穀や各種のイモをはじめとする根菜類、果樹その他、多くの食物が作られていました。水田以外…

里山でも、人と自然が共生できているのなら構わないのではありませんか。

構いません。しかし、里山とはいかなる状態を指しているのか、草山を前提とした世界か、現在のイメージか、共生とは一体いかなることをいうのか、というのが今回の単元のテーマです。草山を前提とした世界であれば、過度な環境改変は災害を頻発させる結果に…

現在の日本人の里山的な自然に対する考え方が間違っているのは分かりますが、縄文時代の開発まで批判的な考えを持ってしまったら、きりがないのではないですか。

講義をよく聞いていただきたいのですが、ぼくは列島における開発の展開を否定しているわけではありません。縄文時代の件についても、縄文を共生のユートピアのように位置づけるのは間違っていると説明しただけです。かつての環境考古学者のなかには、縄文の…

開発を思想史の観点からみることはできないでしょうか。また、日本における思想操作を、ヨーロッパにおけるキリスト教の変化(開墾の正当化)と関連づけることも必要ではないでしょうか。 / 欧米と比較したとき、日本の自然への踏み込み方は軽いのでしょうか、それともどの国も変わらないのでしょうか。

ぼくが専門としているのは、まさにそうした領域です。多少はアジア、ヨーロッパとの比較もしていますので、授業で紹介した文献などを読んでみてください。自然への踏み込み方がどう違うか、ということは、それぞれの自然環境とそのなかで営まれてきた歴史、…

人の手がまったく入っていない自然は、存在するのでしょうか。

オゾン層の破壊や地球温暖化、放射能の垂れ流しなどの問題を考えると、地球上のあらゆる領域が人間活動の影響を受けていることは否定できません。その意味で、地球上に「人跡未踏の地」はなくなってしまったといえるでしょう。少なくとも、地表においては。

人間が知能を持ち、自然が破壊されていること自体を、「自然」とはみられないのでしょうか。人類の存在を逸脱したものと考えるのは、逆に特別視してしまうことになると思いますが。

近代に至って自然/人間の乖離が進み、そのことに危機感が生じてくることによって、逆に前近代はそうではなかったのではないか、人間は自然と一体感をもって生活していたのではないかとの考えが生まれてきますが、個人的には、それは幻想であると思っていま…

「自然破壊」をどう定義するのでしょうか。どこまでは許され、どこからが許されないのですか。

さまざまな立場が存在すると思いますが、ぼくの場合は、生態系のバランスを攪乱してしまう自体は、程度の差に関係なく「破壊」と認識します。それが良いのか悪いのか、許されるのか許されないのかという価値付けは、また別の問題になってくるでしょう。

日本の棚田の灌漑方法などを、もっと詳しく教えてください。

山間部に田を開くことは、古代から中世にかけてだんだんと進行し、現在みることのできる景観は、主に近世から近代にかけて成立したと考えられています。当初は、付近を谷川が流れている、豊富な湧水があるなど灌漑しやすい地域から開発され、井堰の設置や用…

日本の森林面積の部分で、林野が総土地面積に占める割合が、スライドとレジュメで違っていました。どちらが正しいのでしょう。

計算してみていただくと分かるのですが、プリントの方にミスがあったようです。訂正させていただきます。 ・現在(2011)の列島の森林面積 →林野面積約2486万㌶/総土地面積約3779万㌶ →林野は総土地面積の65.8%(内訳:森林約2447万㌶・草生地約39万㌶)・…

欧米の歴史教育では、過去と現在を連結させ思考させる教育が一般的になされているとのことですが、それは例えばどのような教育でしょうか。

いわゆる思考型の授業です。単に歴史の事象を記憶し、その説明について理解するだけではなく、なぜそのようになったのかを、自分の生きる現代社会に照らして考える、ということがよく行われます。例えば、日本でいえば、それこそ南京大虐殺や慰安婦問題のよ…

古気温曲線をみていると、これまで温暖な時期と寒冷な時期が繰り返し到来している。この先の地球も、必ずしも温暖化の一途を辿るとは限らないのではないか。

現在問題になっている地球温暖化は、主に二酸化炭素ガスの排出による温室効果を問題としたもので、これまで地球が経験してきたような自然現象ではなく、人為的要因によってもたらされる危険性があるものです。よって、過去の気候変動と同列に論じることはで…

最近流行している言葉に、「里山資本主義」というものがあります。現代人がより生活しやすいように、自然の力を弱めてゆくという動きでしょうか。

現在の日本列島の人口を里山的システムで維持することは不可能ですので、里山資本主義という考え方は、まったく実現の可能性のない絵空事と思います。まず、この構想には、環境史的な問題追究の視点がまったく欠落しており、例えば里山が形成された中世後期…

富山さんの主張は、先生のご指摘の通り確かに間違いであると思いますが、富山さんの主張では、植林をするなどの原始的な概念の定着について話をしているのであって、先生は、そうした概念の定着後の問題について話をしているように思えました。

こちらの説明が不充分でした、といいますか、次回に回してしまったので誤解を招きました。まず、富山さんの、「日本人は太古から木を植えてきた民族」という提言自体が、まったくのでたらめなのです。植林が一般化するのは近世以降で、古代においても、例え…

人間を自然の一部と捉えれば、里山などは太古からではないにしても、昔からの「自然」の風景として教えることもできるのではないでしょうか。 / 稲が租税として定められなければ、雑穀ももっと豊かに作られていたかも知れませんが、それは環境破壊にならないのでしょうか。

確かに、人間を自然の一部とみる視点も存在し、また重要な意味も持っています。しかし、こと環境破壊に関しては、そう見方を変えることでいかなる意味があるのか、再考してみなければなりません。エコナショナリズムと同様に、問題を単純化し思考停止を招く…

自然環境の破壊は、権力者の行動より庶民による行動の方が影響力が大きいと仰いましたが、米を税として庶民に納入させたのが権力であるならば、権力者も日本の自然環境に大きな影響を及ぼしているのではありませんか。

ああ、それはそうかもしれません。ちょっと表現が矛盾していましたね。権力の作った枠組みのなかで民衆がどう行動するか、ということですので、そういう意味では権力の力も大きいといえます。しかし、その部分だけを強調しすぎると、戦争責任などの問題と同…

「原風景」や「伝統」というものについて考えさせられた。先生は、「原風景」や「伝統」はいつできるとお考えですか? それとも、それらができあがることはないと思われますか?

「原風景」にしても「伝統」にしても、本来時間のなかで変化し続ける事象を、ある時間(多くは現代)を絶対化することで停止させてしまう概念です。「原風景」は、絶対化した時代の祖型といえるものを遡って位置づけたもの、「伝統」は、多くが近年になって…

気候の変動によって農業の形態にも変化があるのでしょうか。

もちろん、変動があります。生業全般ということでいいかえておきますが、例えば縄文時代には、温暖化に伴い針葉樹林や氷原が減少して狩猟対象であった大型哺乳類が消え、逆に海進により入り江が多く形成され堅果類を落とす温帯森林が復活したため、漁撈や採…

よく「平安時代は寒かったため、重ね着をしたことで十二単が生まれた」と聞きますが、古気温曲線をみる限りそうはいえないように思いました。実際はどうなのでしょうか。

寒冷化に適応した衣裳ではないでしょうね、寝殿造の構造からみても、当時は温暖であったのです。十二単は、薄い絹を何枚も重ね着し、その裏・表の色合い、襟元や袖口からみえる諸色の取り合わせによって、個性やセンスを表現したものです。経済的な意味では…