2015-10-01から1ヶ月間の記事一覧
今回の講義でも話をしましたが、近世〜近代にかけて、寒冷期の東北が稲作の実験場のようになっていったことと関係があるのだと思います。近世には、新田が開発されてゆく一方で、稲作依存の弊害から飢饉も繰り返し生じ、一方で農作物や食の多様化が目指され…
前にもお話ししたかもしれませんが、一作物に特化したような農耕文化、食文化は、あらゆる点で脆弱ですし、生物多様性の観点とも大きく食い違います。主食を規定せず、地域地域の環境に即した多様な生業、それに根ざした食文化を構築してゆくのがベストと思…
前回お話ししたハニ族の神話のように、アニミズムのなかには、農耕に特化した信仰の形、神話や祭祀も存在したと考えられます。あとあとお話ししてゆきますが、日本にもそうした形式は存在していました。そもそも神社の歴史的原型に当たるような祭祀遺跡は、…
必ずしも、すべてが逆ベクトルではありません。大山千枚田も、水源は山上にあって、流れのままにそれを使用しているはずです。ただし、雲南の棚田と比較して明確に異なるのが、雲南の方は生活拠点が山上にあり、棚田はその下部へ位置づけられているのに対し…
『古事記』のオホゲツヒメ/スサノヲの神話、『日本書紀』のウケモチ/ツクヨミの話は、ご指摘の通り〈殺された女神〉の神話です。ハイヌヴェレ神話から採り入れられたというより、列島のなかで機能していた、栽培植物起源神話、ひいては穀物起源神話の一バ…
そうでしょうね。中国のハイ・ソサエティーの人々が日本の無痛文明を志向するというのは、予想される事態ではあるでしょうが、恐ろしいことです。広大で環境も異なる中国が日本のようになることはありえず、社会や文化の格差、それに規定された認識・心性に…
三尸説ですね。授業でお話しした六斎日は、まさにこの三尸説と密接に絡みあいながら、中国の六朝時代に整備されてくるのです。いわば、道教と仏教との交渉の結果、仏教の東アジア化した姿ともいえます。日本ではこれが、庚申信仰という民俗となって、近代ま…
生命の循環という発想が基本にありますので、キリスト教などの自殺とは少し意味が違ってきます。菩薩行としての捨身は、生きとし生ける者のために行う救済の行動ですので、自殺とはみなされません。例えば講義でも紹介した、飢えた虎に自分の身体を与えると…
仏教は、今日お話ししたところを根源的な枠組みとして、宗派ごとにかなり細かな相違があります。最も異質なのは浄土教系統、かもしれません。日本でいちばん大きな教団は、この系統の浄土真宗ですが、衆生はすべて阿弥陀如来によって救済されており、現生の…
仏教では、子供/大人の区別を大きくは行いません。よって、子供も大人と同じように扱われます。現在、一般社会に至るまで不殺生戒を遵守しようとしているのは、一時期「国民総幸福量」で話題になったブータンですが、極めて道徳的・倫理的な子供が育ってい…
列島に住む人々は、おしなべて歴史認識が希薄です。重要な出来事も、ちょっとした弾みで忘却してしまう。その意味では、もともと「だめだった」のだということもできるでしょう。
やはり、古代以来の伝統を背負っているからでしょう。いわゆる『古事記』や『日本書紀』の神々は、畿内豪族の信仰する神格を中心に、同盟関係にあった各地方豪族の神々、あるいは中国や朝鮮から渡来してきた神々の物語が収められています。しかし、7世紀後…
神道政治家連盟という組織がありますが、神道云々以前に、保守のなかでも右翼的傾向の強い人々が集う場になっています。常に問題視される「日本会議」とも構成員が多く重複しているので、注意が必要でしょう。
「力を発揮する」というあり方は、ふと気がつくと国家目的のために「利用されていた」、なんてことになりかねません。専門研究者の役割のひとつは、自分の学問を武器として、常に権力のありようを監視することですね。
エリートたちみなナショナリストである、ということは間違っていません。しかし、彼らにも教育を受け背負ってきた伝統、ものの考え方や感じ方がありますので、「何をもって国益とするか」というその内容が相互に異なるわけです。維新政府は、天皇主義に貫か…
宗教の定義としては、教義・儀礼・教団などの要素を完備し、一定の道徳的・倫理的教えが祭儀などのセレモニーを通じて表現され、それを共有し信仰する社会集団がある、それらを継続的に維持してゆくための組織・施設がある、といった条件が挙げられます。神…
気をつけて聞いていただきたいのですが、そんなことは一言もいっていません。社会福祉は社会主義の考え方であり、資本主義、とくに現在アメリカが盛んに喧伝している新自由主義の発想にはない。多くの現代国家がそうしたセーフティネットを取り入れているの…
ワニについては、神話の南方系要素が残存したものとする見解、地域的呼称でサメを指すとする見解、想像上の動物であるとする見解などが出ています。実体はいかなるものか同定不明ですが、『古事記』や『書紀』の神話・伝承のなかにあって、海を代表する動物…
驚くかもしれませんが、南京大虐殺について、歴史学界ではほぼ議論に決着がついたと認識しています。南京大虐殺はあったとするのが定説であり、否定を唱える人々は極めて限られた、政治的に偏った思想を持つ人々だけです。彼らの掲げる論拠や資料は、学界で…
実証主義は、哲学的認識論のレベルでいえば、実は経験論なのです。確かに、史料の読み方や判断の仕方には基本的なセオリーがありますが、重要なのは「経験」。すなわち、どれだけたくさんの史料を読んでいるか、どれだけたくさんの参照材料、判断材料がある…
例えば、高校の日本史教科書でもわずかながら扱われる崇仏論争。一般には、百済からの仏教伝来をめぐって、その崇拝の可否を蘇我氏と物部氏が争い、最終的に前者が勝利して奉仏へ向かうとのストーリーですが、『書紀』が漢籍や仏典を援用して築き上げた、ほ…
ランケにおける神は、歴史の巨大な展開を考察したとき、そのうねりの原動力として〈神〉という言葉を使わざるをえなかったのだと思います。現在の宇宙物理学者でも、例えば「ビッグバンがなぜ起こったのか」という問いに対し、「神の御業としかいえない」と…
神話に関する文献で、イザナキを主神としているものはありません。イザナキがアマテラスを生むのは『古事記』ですが、そもそも古代においては、『古事記』は『日本書紀』を読むための副読本、参考書程度の意味しかありませんでした。また、イザナキがすべて…
確かに、批判の契機を作ったのは田口ですが、やはり久米論文の内容に、神道家や一般の人々の目に触れたときに問題となる要素は多かったのだ、と思われます。『史学雑誌』に掲載されたときに別段問題化されなかったのは、彼らの研究が歴史学者以外の目に触れ…
史書の体裁を持つものがまずカノンになるというのは、いわゆる宗教的目的や娯楽の意味を持って芸能的に発展した物語より、客観的な意味づけが強いという常識的判断からでした。当時の国家主義的なものの考え方において、ときの政府なり何なりが編纂機関を組…
やはり、それは前近代的要素なのだと考えるしかないでしょう。現代の価値観や枠組みで、切り刻んでも意味がないものです。ランケにとっては、個々の人間の力を超えて大きく作用してゆく時代のうねりが、「神」という言葉以外では説明できなかったのでしょう…
現在も基本は実証主義ですが、上に述べたように種々の問題点があるため、さまざまに修正されながら用いられています。いまの皆さんからすると驚くべきことかもしれませんが、1980年代までは、人文・社会系の多くの学問ではマルクス主義的な考え方が主流にな…
そのとおりですね。最初の授業でお話ししたように、過去そのものと歴史を混同してはいけません。「ありのままの過去」を歴史として叙述することなど不可能であって、それを可能だと考えた実証主義=本質主義には、そもそも大きな限界と問題点が内包されてい…
配付資料でおおむね分かっていただけると思うのですが、「史料」の意味で用いていることが多いですね。史料とはhistorical materialsで、歴史を構築・叙述するために用いる材料です。過去の時代のなかで、何ものかによって「書かれたもの」が中心です。
ぼくも理想的には、「そのとおり!」と思います。目的や理由付けは、必ずその時代や社会に束縛されてしまうので、あまりそれを重視して研究をしすぎると、時代や社会の風潮が変わったときに、まったく役に立たないものになってしまいます。しかし、学問とし…