2015-10-14から1日間の記事一覧
列島に住む人々は、おしなべて歴史認識が希薄です。重要な出来事も、ちょっとした弾みで忘却してしまう。その意味では、もともと「だめだった」のだということもできるでしょう。
やはり、古代以来の伝統を背負っているからでしょう。いわゆる『古事記』や『日本書紀』の神々は、畿内豪族の信仰する神格を中心に、同盟関係にあった各地方豪族の神々、あるいは中国や朝鮮から渡来してきた神々の物語が収められています。しかし、7世紀後…
神道政治家連盟という組織がありますが、神道云々以前に、保守のなかでも右翼的傾向の強い人々が集う場になっています。常に問題視される「日本会議」とも構成員が多く重複しているので、注意が必要でしょう。
「力を発揮する」というあり方は、ふと気がつくと国家目的のために「利用されていた」、なんてことになりかねません。専門研究者の役割のひとつは、自分の学問を武器として、常に権力のありようを監視することですね。
エリートたちみなナショナリストである、ということは間違っていません。しかし、彼らにも教育を受け背負ってきた伝統、ものの考え方や感じ方がありますので、「何をもって国益とするか」というその内容が相互に異なるわけです。維新政府は、天皇主義に貫か…
宗教の定義としては、教義・儀礼・教団などの要素を完備し、一定の道徳的・倫理的教えが祭儀などのセレモニーを通じて表現され、それを共有し信仰する社会集団がある、それらを継続的に維持してゆくための組織・施設がある、といった条件が挙げられます。神…
気をつけて聞いていただきたいのですが、そんなことは一言もいっていません。社会福祉は社会主義の考え方であり、資本主義、とくに現在アメリカが盛んに喧伝している新自由主義の発想にはない。多くの現代国家がそうしたセーフティネットを取り入れているの…
ワニについては、神話の南方系要素が残存したものとする見解、地域的呼称でサメを指すとする見解、想像上の動物であるとする見解などが出ています。実体はいかなるものか同定不明ですが、『古事記』や『書紀』の神話・伝承のなかにあって、海を代表する動物…
驚くかもしれませんが、南京大虐殺について、歴史学界ではほぼ議論に決着がついたと認識しています。南京大虐殺はあったとするのが定説であり、否定を唱える人々は極めて限られた、政治的に偏った思想を持つ人々だけです。彼らの掲げる論拠や資料は、学界で…
実証主義は、哲学的認識論のレベルでいえば、実は経験論なのです。確かに、史料の読み方や判断の仕方には基本的なセオリーがありますが、重要なのは「経験」。すなわち、どれだけたくさんの史料を読んでいるか、どれだけたくさんの参照材料、判断材料がある…
例えば、高校の日本史教科書でもわずかながら扱われる崇仏論争。一般には、百済からの仏教伝来をめぐって、その崇拝の可否を蘇我氏と物部氏が争い、最終的に前者が勝利して奉仏へ向かうとのストーリーですが、『書紀』が漢籍や仏典を援用して築き上げた、ほ…
ランケにおける神は、歴史の巨大な展開を考察したとき、そのうねりの原動力として〈神〉という言葉を使わざるをえなかったのだと思います。現在の宇宙物理学者でも、例えば「ビッグバンがなぜ起こったのか」という問いに対し、「神の御業としかいえない」と…
神話に関する文献で、イザナキを主神としているものはありません。イザナキがアマテラスを生むのは『古事記』ですが、そもそも古代においては、『古事記』は『日本書紀』を読むための副読本、参考書程度の意味しかありませんでした。また、イザナキがすべて…
確かに、批判の契機を作ったのは田口ですが、やはり久米論文の内容に、神道家や一般の人々の目に触れたときに問題となる要素は多かったのだ、と思われます。『史学雑誌』に掲載されたときに別段問題化されなかったのは、彼らの研究が歴史学者以外の目に触れ…
史書の体裁を持つものがまずカノンになるというのは、いわゆる宗教的目的や娯楽の意味を持って芸能的に発展した物語より、客観的な意味づけが強いという常識的判断からでした。当時の国家主義的なものの考え方において、ときの政府なり何なりが編纂機関を組…
やはり、それは前近代的要素なのだと考えるしかないでしょう。現代の価値観や枠組みで、切り刻んでも意味がないものです。ランケにとっては、個々の人間の力を超えて大きく作用してゆく時代のうねりが、「神」という言葉以外では説明できなかったのでしょう…
現在も基本は実証主義ですが、上に述べたように種々の問題点があるため、さまざまに修正されながら用いられています。いまの皆さんからすると驚くべきことかもしれませんが、1980年代までは、人文・社会系の多くの学問ではマルクス主義的な考え方が主流にな…
そのとおりですね。最初の授業でお話ししたように、過去そのものと歴史を混同してはいけません。「ありのままの過去」を歴史として叙述することなど不可能であって、それを可能だと考えた実証主義=本質主義には、そもそも大きな限界と問題点が内包されてい…
配付資料でおおむね分かっていただけると思うのですが、「史料」の意味で用いていることが多いですね。史料とはhistorical materialsで、歴史を構築・叙述するために用いる材料です。過去の時代のなかで、何ものかによって「書かれたもの」が中心です。
ぼくも理想的には、「そのとおり!」と思います。目的や理由付けは、必ずその時代や社会に束縛されてしまうので、あまりそれを重視して研究をしすぎると、時代や社会の風潮が変わったときに、まったく役に立たないものになってしまいます。しかし、学問とし…
べつだん、どちらの方が評価が高く、どちらの方が評価が低い、ということはありません。1つのトピックしか書かれていなくても、それが講義の内容、中核的部分を精確に捉え、深く論評していれば高く評価します。また逆に、講義の内容を広く説明していても、…