2015-11-11から1日間の記事一覧

日本人のルーツはどこにあると、先生はお考えですか?

授業でもお話ししましたが、ルーツを語ろうとするところに、何か「日本人」なる自明のものが存在するような誤解が生じてしまいます。「日本人」といったとき、何がその枠組みの根拠になるのでしょうか。どこからどこまでの領域が日本なのでしょうか。北海道…

博物館レポートに関してですが、野球博物館など特定の分野に関わる施設のレポートでも構いませんか?

もちろん構いません。お任せします。

先生は時折、過去の皇国史観などの歴史観に対して、否定的な立場を取られますが、私は歴史叙述に関しても、パラダイム論が採用されるべきと考えています。過去の歴史観について、現代のパラダイムから評価を下してもよいのでしょうか?

戦前・戦中の皇国史観について、パラダイム論でみることはできません。なぜなら、昭和20年代頃までの認識と現在の認識とでは、パラダイム・シフトが起きるほどの変化はなく、むしろ連続性の方が大きいからです。皇国史観自体も、現時点で種々の形で残存して…

高校の歴史の授業では、ほとんどの生徒はテストに出る内容や教科書に載っている内容を重視する傾向が高いと思います。そうなっている原因は、教える側が生徒に歴史の面白さに触れさせる機会を作っていないからでしょう。すべての先生がそうだとは思いませんが、北條先生はいまの高校の教師についてどのような考えをお持ちですか?

初回の授業でもある程度お話ししましたが、現在、中高の教員の置かれている情況は苛酷です。授業のほかに、部活指導を含む煩瑣な校務があり、残業に次ぐ残業、帰宅してからも仕事の続きで、なかなか休む暇もないと思います。そのうえ、主体的に授業の取り組…

講義の冒頭で、死に対する考え方の相違について話されたとき、古代・中世は遺棄葬だったとのお話がありましたが、では縄文時代の屈葬や伸展葬はどういう位置づけになるのでしょうか。

歴史学者がふつう「古代」というと、考古でいう縄文・弥生は指さないことが多いのです。しかし、縄文から歴史時代までは1万年という開きがありますので、死や喪葬に対するものの考え方も変わってきます。死と再生のサイクルを信仰していた縄文の人々にとっ…

先生が、貴族文化を克服したところに真の国風文化があるのでは?と仰っていましたが、それは一体どういう意味でしょうか。貴族文化の存在を民衆が認知し、民衆にとって主要な文化の再構築を図るということでしょうか?

そうはいっていません。レジュメもよく確認していただきたいのですが、私の考えではなく、あくまで石母田正の思想です。石母田はマルクス主義者ですので、彼の考え方としては、貴族文化はあくまで民衆の収奪によって成り立っている表面的な文化に過ぎず、煌…

『詳説日本史B』(2014年)では、あたかも唐の衰退によって日本独自を作る動きが強まったかのように記述されていますが、『詳説日本史研究』(2008年)では、そこが断絶されたわけではないとしっかり書かれています。この相違は、両者の書かれた年代に原因があると思うのですが、どうでしょうか?

『詳説日本史B』の方でも、遣唐使廃止が国風文化を作ったとは書いていません。論旨の順番から、そのような誤解を生みやすくなってしまっているだけです。教科書としては、だんだんと学界の認識に近い内容に変わってきてはいます。ただし、解説本である『詳…

戦後の日本は、愛国心があまりいいものとはされていない気がします。それは、戦中の行き過ぎた愛国教育が原因でしょう。しかし、愛国心を持つことは本来当たり前のことで、国風文化について広く知ってもらうことで、私たち日本人に再び国への誇りを持ってほしかったのではないでしょうか。

これまでにも事例を挙げてお話をしてきましたが、愛国心を持つことは「当たり前のこと」ではありません。それは、国民国家という一時的な統治システムが、自己を維持するために国民を訓育してゆこうとする過程で作られてゆくものに過ぎません。前近代にあっ…

戦後から半世紀経ちますが、なぜ未だに教科書の改変は右寄りなのでしょうか。

右寄りというより、やはり国家が国民を生産するための装置ですので、その同一性を相対化するような要素はできるだけ排除したい、という意識はあるのでしょう。また、ガイダンスのときにもお話ししたように、現政権は戦後政治のなかでも卓越して国権を強化す…

東歌や防人歌などの一般庶民の歌が『万葉集』などに入るのは、貴族文化による農民文化の理解とみていいのでしょうか。

ある意味ではそうだと思います。東歌など、音韻に当時の東国の方言が反映されていますから、その在地性、史料的価値は極めて高いものです。しかし、古代王権の芸能に対するものの見方を勘案すると、ちょっと事情は違ってきます。すなわち、『万葉集』の編纂…

国風文化は貴族を中心とする文化だと思いますが、民衆の間から生まれて貴族に伝わっていった文化などはあるのでしょうか。

例えば『蜻蛉日記』『源氏物語』などのなかに、中央貴族たちの宇治における別荘で、周囲の山川で生活する「山がつ」と呼ばれる人々が、別荘に奉仕して周辺の産物を届けたり、自然物や生業に関する情報を提供したりするシーンがみられます。また、中世後期の…

国風文化に限らず、自国の歴史を美しくみせようとするのは、日本だけなのでしょうか。日本人の、そのような見栄を張る性格が原因でしょうか。

日本だけ、ということはありません。例えば中国では、古代から連綿と中華思想が機能しています。これは、中国王朝の持つ文化こそが世界の中心に位置する重要なもので、文化を持たない周辺の蛮族へも普及させ、これを訓育してゆかなければならないとの考え方…

浄土教が唱えた「来世の極楽往生」を実現するためには、どんな具体的な方法があるのでしょうか?

例えば王朝文化全盛期の平安貴族たちが信じていたのは、世俗的な栄達が往生の形式にも直結するという発想です。すなわち、生前絢爛たる寺院建築を建造したり、寺院や僧侶に寄進し仏教の保護に努めた人間は、死後もよりよい形での成仏ができる。例えば、良源…

「独自」という言葉は、いったい何を意味するのでしょう。

これも、その意味をハッキリ定義して用いないと誤解を招きますね。皆さんのコメントにあったように、中国や朝鮮の影響を受けていないという意味なら、国風文化を列島「独自」の文化とするのは間違いです。しかし、それらと交渉しつつオリジナルとは異なる形…

「国風文化」の成立は、律令国家体制の内的な変質に帰因するのでしょうか?

王朝国家体制と軌を一にしているとはいわれています。すなわち、ちょうど菅原道真による寛平の改革以降、例えば税制についても、これまで人民に課していた税を土地に課すという大転換をなし、種々の制度が大きく変革されてゆきます。その結果として王権や有…

教科書の記述の仕方について、例えば一方向からの断言や決めつけはおかしいというようなことを、学界から文科省に申し入れたりはしないのでしょうか。 / 先生は、この国風文化論に対する誤解を是正するために、どうしたらよいとお考えですか?

内閣府の特別機関として日本学術会議があり、その第一部が人文科学で、科学の発達と社会への還元の問題について議論を重ね、内閣府へ答申を出すことも行っています。日本史の関連でいえば、これまで中高の歴史教育の思考型への転換、教科書の件についても答…

文化とは、どこまで浸透すれば文化なのでしょうか。

私の専攻する環境文化史の観点からいえば、人間の営みのすべてが文化です。まったく社会に一般化していないような、個人が孤立して持つものも文化です。文化は、個、家族や村落、地域、国家といった大小の集団などによって、それぞれ特徴(ある程度の共通性…