2015-04-01から1ヶ月間の記事一覧

資料にミミズク土偶が載っていますが、ミミズクも食べるものの象徴とされていたのでしょうか?

資料に載っているミミズク土偶は、形状がミミズクに似ているためそう呼称しているだけで、実際にミミズクを模したものだとは考えられていません。しかし北海道では、実際にミミズクをモチーフにしたらしい土製品もみつかっているようです。アイヌ文化におい…

殺された「女神」ではありませんが、例えばギリシャ神話におけるアドニスのように、死んで花や木になるというエピソードは多く残ります。これらは「殺された女神」のヴァリエーションと考えていいものでしょうか?

ギリシア神話と日本神話を比較する場合、実は神話としてのステージがまるで違うので、充分に注意する必要があります。現在我々の知るギリシア神話は、多く叙事詩や演劇など文芸化したものであり、一方日本神話とされるものは、『古事記』『日本書紀』など国…

施朱についてですが、骨を土葬にして腐らせた後にしたのか、それとも火葬にしたのでしょうか。 / 施朱の赤色は、何をもとに作ったのですか。

縄文時代の施朱は、骨にしてから散布したのではなく、死体を埋葬する際に直接行ったようです。確かに縄文時代にも再葬はあるのですが、一度解散した集落が再び集まる際にどうも骨を結合のよりどころにしたようで、埋葬して骨になったものを保持していた形跡…

縄文時代のどのあたりから、自然に依存する考えが変わり始めたのでしょうか。 / どうして怖ろしい存在だった人骨が、聖なるものへ変化したのでしょうか? / 縄文時代まで祖先信仰が生まれなかったのはなぜでしょうか?

やはり、後期・晩期あたりから始まる寒冷化が、大きな原因のひとつだったでしょう。それまで自然環境へ依存している情況で充分な生活を得られていたものが、ある程度の働きかけを行わなければそれまでの人口規模を維持できない状態になってゆく。そのあたり…

儀式で人を殺すことは昔はずいぶん多かったのかと思いますが、いつ頃からそれはなくなっていったのでしょうか。動物を殺すことと人を殺すことは、どちらが重く心に響くのでしょうか。

神霊に何らかの犠牲を捧げる祭祀や儀式は、「供犠」と呼ばれます。一般に文化人類学や宗教学では、犠牲にはそれを捧げる主体にとって最も大切な存在であるべきで、当初は人間、しかも家族や肉親が選ばれたとみられています。しかし、祭祀自体の世俗化に伴っ…

土偶が生命を生み出すもの=女性として信仰されていたとすると、縄文時代の集落のなかで女性の地位は高かったのでしょうか。

縄文社会は、授業でも説明したように、概ね階層化していない平準な社会でしたので、性別による格差はあまり存在しなかったようです。男性には男性の役割とそれを遂行する能力が求められ、女性にも同じように性別に沿った貢献が期待された。異なることが尊重…

土偶やストーンサークルは性を命の象徴として扱っていますが、現代では性はいかがわしいものとされています。性を命の象徴と尊ぶのは古代だけなのでしょうか。また、そうした考えはいつ頃変化したのでしょうか? / 生殖器信仰はなぜ主流ではなくなっていったのでしょうか。とくに、キリスト教のような禁欲的な宗教が生まれる背景を知りたいです。

日本では近世に至るまで、性的なことがらについて非常に寛容でした。現在でも生殖器信仰の祭祀、年中行事は残っていますし、欧米に対して性に関する禁忌も曖昧です(それが売春/買春などの横行を許容している一要因にもなっていますが)。一般にそうした風…

縄文時代の信仰の話を聞き、レヴィ=ストロースの『悲しき熱帯』を思い出した。古代日本についても同じような研究があれば紹介してほしい。

構造主義については、本来「日常生活における社会的機能を保持している」神話が多く採集されていなければ分析作業が行えないため、古代神話へ適用するのは難しいという方法論的制約があります。レヴィ=ストロース自身は『構造人類学』のなかでオイディプス…

縄文時代の自然信仰について、世界で同じような動物が信仰されるのは、似た考えがあったからなのでしょうか。どこからか伝わったということはないのですか。 / 外国の神話と日本の神話で似ているときがありますが、それは偶然なのかそれとも伝播してきたのか、または人間の心の奥に共通して存在している考えなのでしょうか。

同様な環境下ではどうような文化が営まれるという見方、どこからかひとつの形式が伝播してきたという考え方の、両極的な説明の仕方が存在しますが、実際はその折衷でしょう。例えば照葉樹林文化論という考え方では、植生を同じ照葉樹林とする地域では、基礎…

縄文時代では、食べる対象を信仰し、それを食べることでそれが持つパワーをもらい、あるいは本体である精霊を送り返すことで殺害を正当化していたとのことですが、そのように考える具体的な根拠にはどんなものがありますか。 / 文献など、文字を扱うものならば多くの文献から整合性をつきつめることができるだろうが、文献のない縄文時代の神話や土偶祭式論などは、真実をつきつめる歴史学なのだろうか。

縄文時代は歴史学の範疇ではなく、考古学の対象とする時代です。とうぜん、歴史学とは方法論も蓋然性の追求の仕方も相違がありますので、その点注意が必要でしょう。例えば、縄文時代の社会や文化のあり方について、遺跡や遺物だけではどうしても推測するこ…

三内丸山遺跡に行ったことがあります。そこで気になったのですが、縄文時代には「道」は作られていたのでしょうか。

古代の舗装道路としては、細かな石を敷き詰めた舗装道路が存在し、これは縄文時代からみることができます。例えば三内丸山遺跡でも、粘土で舗装した道路がみつかっていますし、新潟県の奥三面遺跡では、小規模の環状配石と石敷き道路が検出されています。

大規模集落に環境が耐えられなくなるとは、具体的にどういうことですか。

人間が集住する場合は、その狩猟採集の領域も、居住地を中心とした限られた領域に固定されてゆきます。もちろん、前回お話ししたように縄文は弥生以後よりその範囲が「広い」わけですが、それでも集落の人口が増加してくれば、その領域を拡大してゆく以外に…

自然環境の大きな変化によって、縄文時代の人間はどのようにコミュニケーションをとり、変化していったのか。

以下の各質問への回答に、その具体的な答えがあるはずです。

縄文時代に戦争はなかったとのことですが、どのように工夫をして平和を維持していたのでしょうか。

まず、貧富の差やそれに基づく階級の発生を防ぐ、皆殺しになるような大規模な戦争を防ぐ、という工夫が存在したものと思います。前者については、とにかく狩猟や採集によって獲得したものを平等に分配する、という規則が徹底されていたはずです。集団で狩猟…

スペイン風邪ですが、最近ではドラマ『ダウントン・アビー』で出てきたのが印象的でした。

ぼくも毎週観ています。あの作品は、第一次世界大戦で問題化した兵士の心的外傷の問題、大量死の問題などをきちんと表現していたうえ、スペイン風邪の流行までしっかり押さえていたので、安心してみることができました。しかし、ダウントンは世界の縮図です…

「セクシュアリティの悩みか、ジェンダーの悩みか」のところで、先生はほとんどがジェンダーの悩みだと仰いましたが、私は中学生の頃、「男性性器が付いているという理解不能な感覚」にもの凄く関心を持ち、それが知りたくてさまざまに調べたり、とりあえず今生では知りえないと分かり悩んだりしました。これはどちらの悩みに属するのでしょう?

おーっ、それは難しいですねえ。精神分析のまねごとになってしまいますが、異性への関心・興味と自性に対する欠落感が同時に生じているようですね。どこかで(無意識的にでも)自性への圧迫感を感じており、それが異性への一種の憧れとなって表現されている…

日本列島は、他国との全体的な関わりが少ない社会・文化であったと思うのですが、そうすると、日本人は伝染病のようなものに非常に弱いのではないでしょうか。開国後に他国との関わりが増えた後、多くの病が流行するといったことはなかったのでしょうか。

現在の歴史学では、閉鎖的に考えられていた日本列島でも他世界と密接な交流があった、という位置づけに変わってきています。それでも、常に外敵の侵入に怯えながら、それでも多くの文物を吸収し展開させてきたヨーロッパ、アジアの国々と比べれば、閉鎖的だ…

仏教は国家的廃仏を北魏・北周によって受けたとのことですが、そもそも他教との「競合」という概念が生まれたのは、他教に脅かされることを恐れたからでしょうか。

例えば北魏の廃仏などは、寇謙之という道士の唱える天師道=道教を国教にしようとした崔浩が、太武帝を唆し、廃仏を断行させたという経緯があります。仏教は教線を拡大するために、儒教や道教としばしば論争を重ねてきており、そうした経験の果てに「業病」…

ハンセン病や天然痘に罹った人が快癒した場合、彼らに施しをすることによって功徳が積まれるということは、実際にあったのでしょうか。それとも、弾圧の方が強かったのでしょうか。

もちろん、圧倒的に差別され、排除される部分の方が大きいですが、例えば中世説教節『小栗判官』が示すように、その救済に結縁することで善業を積もうという意識も存在したようです。『小栗』では、冥界から蘇った小栗が餓鬼阿弥=ハンセン病者の姿となり、…

帝国医療のところで、「植民地が頼らざるをえなくなる」という話がありましたが、それは戦略として故意に流行させたのでしょうか?

後にはそういう展開もあったかもしれませんが、もともとは開発の展開が偶発的に病の流行を引き起こし、近代医療が投下されるという方策が採られたもので、帝国側の無策と場当たり的な対処を示しています。しかしその循環のなかで、次第に調和を保っていた病…

中国が医療において細かくとっていたデータなどは、きちんと一般へ還元されていたのでしょうか。それとも、特権階級のみが蒙る恩恵だったのでしょうか。

多くの医書に書かれ、一般へも流通していました。しかし、高価な医薬を用いる処方は庶民には施せないわけで、その点には自ずから処方の相違が発生してきます。ひとつの病から生まれた処方でも、患者がどのような経済状態、社会的・政治的地位にあるかによっ…

現在の日本の病への認識などは、昔のものと共通するようなところがあるのでしょうか。

やはり思い出すのは、放射能関連の差別ですね。福島から避難してきた子供たちが学校でいじめにあったり、共同体などで心ない扱いを受けたりする。精神科医の斎藤環さんは、これを「現代のケガレ」と位置づけています。すなわち、古代・中世の人々がケガレを…

「業病」ですが、仏教界の高い地位の人が病にかかった場合、破門になったりするのでしょうか?

実際は、その人物の集める崇敬によって多様性があるでしょうが、『今昔物語集』巻20-35話に、ちょうとズバリの話が残っています。比叡山の心懐は美濃守の信頼を受け「一の供奉」と尊ばれていたが、美濃における疫病流行に際して招かれた懐国の法会を嫉妬によ…

西洋では、ペストの流行が水道の整備など衛生面の充実に繋がったことがあったようですが、天然痘ではそのようなことはありましたか。

これについては、次回以降の講義でお話ししましょう。

中国南北朝時代の疾病交換の話が出ましたが、その半世紀頃前のゲルマン民族の大移動の際には、そのような疾病の流行はなかったように思います。民族移動の際にパンデミックが起きるきっかけは、何かあるのでしょうか。

南北朝の時代の天然痘の初出も、恐らくは、それほど大きなパンデミックにはなっていないのではないか、と思います。戦争が相次ぎ衛生的に劣悪な情況が散発的に生じ、国家・社会機能の混乱により充分な予防や治療が受けられないとなれば、感染は拡大します。…

レポートは、歴史関連の美術展の展示でも構いませんか?

小レポート(15回目の差し替え)の件ですね。構いません。大丈夫です。

縄文時代の時代区分は土器の形式によって行うと仰っていましたが、日本の地域ごとに土器の形式は違うと思います。どの地域の土器が区分のベースとなるのでしょう。

現在の日本人は縄文期の人からなるなら、大和族とアイヌ人は同じ縄文期の人になるのでしょうか?昔は同じ人種だったということですか? / 氷河期の終わりに北方・南方からの人々が縄文期の担い手になったと仰っていましたが、北方からの人は弥生人、南方からの人は縄文人の特徴を持っていたのでしょうか? / 縄文時代の人々と弥生時代の人々は、結果的にどちらも大陸から来た人ということになりますが、顔立ちがかなり違うともいいます。どちらも中国の沿岸や朝鮮半島から来たと思うのですが、どうして顔立ちが異なるのでしょう。

民族と人種とは違います。民族は社会・文化的概念で、まったく同じ人種でも異なる民族、ということがあるわけです。人種は、一応は生物学的な概念ですが、長期にわたって交配が進んでいるので、やはり純粋に区別することは難しい。縄文人も、そう名づけるの…

南北大陸などから現在の列島に渡り、残った人々が縄文期の担い手となったというが、例えば大陸棚などに残っているという人類の痕跡から、より詳しい移動のルートや、それらの人々の構成などは分かっているのでしょうか。

何せ海底ですので、詳しい網羅的な調査は行われていません。しかし、例えばマレー半島東岸からインドシナ半島に至る大陸棚は、かつて陸地であったことが確認されており、スンダランドという名称で呼ばれています。この地は、東南アジアから東アジアにかけて…

植物が人間の生活に大きな影響を持っているということには賛同できました。しかし、ではなぜヨーロッパの石の文化と日本などの木の文化といった差が生まれるのでしょうか。ドイツなどにも森林地帯はあったと思うのですが…。

古ヨーロッパなどでも、木の文化がまったく存在しなかったわけではありません。ガリアやゲルマンの基層信仰であるケルト、ドルイド教では、聖なるオークに供犠を行う樹木信仰が発達していました。ギリシアの古典文化でも、木材が大量に利用されていたことが…