2015-06-01から1ヶ月間の記事一覧

江戸時代のドラマ、映画での小話的なものはありますか?

藤原不比等が、『日本書紀』段階では「史」と書かれ、中国的教養を修めた人とされていましたが、やはり当時は文字が書けること、中国的教養を身に付けていることが、政治を左右するほど重要だったのでしょうか。

律令体制のもとでの「友情」は、交流という意味では現在と同じと考えてよいでしょうか。

古代の心性史をめぐっては、どのように研究が進んでいるのでしょうか。

前回の授業で新羅に女王が出てきたり、日本でも持統天皇などの女帝が出てきました。アジアの中心の中国では女帝はほぼ存在しなかったと思いますが、周辺世界ではそうではなかったということでしょうか。 / 奈良時代までは女帝の姿をみることができますが、その後いつ頃から「女帝はだめ」ということになったのでしょうか。

宮廷で、障がいを持った子供や奇形の子供が立て続けに生まれた場合、祈祷などを行ったりしたのでしょうか。

皇位継承の世代が行ったり来たりで、とても複雑な印象を受けました。これは、日本だけの現象なのでしょうか。

日本には、なぜその後も城壁都市が築かれなかったのでしょうか。

芥川龍之介の「羅生門」で、当時災害や飢饉で羅生門周辺に屍が溜まっていたとの内容がありましたが、それは事実だったのでしょうか。

平城京のメインストリートの清掃担当は、そこの面している家宅の人だったのか、それとも国の役人だったのでしょうか。

幅80メートルの朱雀大路は、夏など、日陰もなくて大変だったのではないでしょうか。

平城京が造営されたとき、以前は都だった場所はどうなったのでしょうか。

完成したての藤原京は、人口などの規模はどの程度だったのでしょうか。

人間の開発による環境破壊という概念は、飛鳥時代や奈良時代から存在したということでしょうか。

中国的都城の発想は、渡来人から得たものでしょうか。

もちろん渡来人による伝聞もあるでしょうが、中国王朝と国交が開かれていた時代には、使者が直接現地へ行って目撃してきています。唐長安城をめぐる最新の情報は入手することができず、そのため藤原京は充分な「中国の再現」には至っていませんが、少なから…

天皇の神格化が何度も出てきたが、「神」として民衆に浸透するためには、神話だけではなく「奇跡」も必要だったのではないかと思う。

奇跡というのならば、藤原京などが完成すること自体が奇跡です。また、多くの奇跡が「伝聞」によって形成されるように、伝説や神話の類も奇跡を構成しうるのです。天皇の権威を受けて行われる神殺しなどは、まさにその類のものでしょう。また『日本書紀』を…

天皇の国風諡号は、近代以降の天皇にはないのでしょうか。

国風諡号も漢風諡号も、平安時代には途絶してしまいます。以降の天皇は、居所や所縁の深い場所に因む追号を贈られるのみになってゆきます。近代以降は一代一元の制度のもと、皇位に就いていた元号がそのまま諡として使用されているわけです。

天皇の諡などに正統性・正当性を込めるのは、誰に対して行っているのでしょうか。文字の読めない民衆に対してなら、意味がないと思うのですが。

国風諡号はヤマト言葉で作られているので、もともとの発想としては、必ずしも文字を伴う必要はなかったと思われます(その根源は諱であるか、あるいは宮号など公的な場で用いる号であったのでしょう)。一般民衆が神の名を呼ぶように、恐れ憚りつつ口にする…

天皇称号の利用は、7世紀後半頃中国や新羅でもあったとのことですが、ならばなぜ日本にのみ残存したのでしょうか。 / 日本は、唐に合わせて天皇号を用いたということでしょうか。

当時、日本が律令を制定するとき、儒教の影響がありましたが、その特徴が表れている条文、または影響を及ぼした儒学者は誰でしょうか。

律令は法家思想と儒家思想の融合からなっていますが、法律を支える思想、倫理・道徳自体は儒教のものです。よって、条文のあらゆる点に儒教の発想をみてとれます。位階について定めた官位令、位階や場所、儀式などに応じて服装を定めた衣服令、故人との関係…

壬申の乱と戸籍作成との関係が気になりました。このような個別人身支配が共同体の不満を生じるという現象は、他の地域などにも一般化できるのでしょうか。

古代の日韓関係の通史についてレポートを書いているのですが、日本が当時朝鮮の諸国に対して持っていたイメージの示されている史資料はありませんか。

史料というのであれば、やはり『日本書紀』が明確です。百済関係の文献も引用されており、研究が進んでいます。岩波書店の日本古典文学大系や小学館の新編日本古典文学全集など、注釈書も充実しています。ただし分量が多いので、何か朝鮮半島との関係を研究…

レポートについてなのですが、縄文時代頃の死生観に興味を持っていたので、死生観・宗教観からみた通史ということでも大丈夫でしょうか。

大丈夫です。これまで他の質問にも答えてきたように、問題意識を明確に書く、古代のなかでなぜ死生観、宗教観をテーマにする必要があるのか、その正当性をしっかり述べることが大事です。

レポートのなかに、「授業を踏まえて書く」ということが、どうしたらいいか分からなかった。

何度か説明しましたが、古代の事例を扱う限り、講義で触れた内容は必ず絡んでくる。そのとき、授業でどのような説明の仕方をしていたかがきちんと踏まえて書かれているかどうか、ということです。歴史に対するものの見方、例えば東アジアの視点でみてゆくと…

最初にみたビデオの情報を教えてください。

国立歴史民俗博物館の松尾恒一先生が製作した、『薬師寺 花会式−行法と支える人々−』です。非売品ですので、頒布を受けた人、施設しか所有していないものです。

志怪小説について、当時の人々は収録されているハナシを事実として認識していたのだろうか。もしそうなら、なぜ「小説」と呼ばれたのか。

いわゆる「古小説」というジャンルは、novelの訳語に相当するような近代小説ではなく、世間話や噂話、伝承など広い範囲の物語(ナラティヴ)を意味します。六朝には、主に志怪、志人の2つのカテゴリーがあり、前者は怪異譚、後者は人物の逸話を収録していま…

自然を畏れる道教のあり方は、日本人にも適合しそうですが、なぜ日本であまり定着しなかったのでしょうか。

儒教や仏教と異なり、日本には道教が体系的に輸入されませんでした。というのは、六朝以前の道教が多く民衆反乱の温床となったためです。よって道教経典は、日本へ入ってこなかったのです。しかし、中国道教は医書や仏書とも融合していましたので、断片的知…

これまで扱った病は、やはり食道系のものが多い気がしました。そこから、水に繋がるということはないのでしょうか。

確かに古くから、下痢や嘔吐を伴う病は悪い水によるとの認識があり、それによって水によくないものが存在する、という発想が生まれてきたことは確かでしょう。あとは、洪水に関する経験ですね。このあたりは以前何度か書いたことがあるので、例えば『歴史家…

『抱朴子』の入山心得は、修験道などとも関連しますか。

最後に少し扱いたいと思うのですが、『抱朴子』は日本ではよく読まれます。修験道には、仏教や陰陽道が影響を与えていますが、これらを介し、間接的には大きな影響があったと考えるべきでしょう。

山に入るには忌日を避けるとあったが、それは例えばどんなものですか。

今回授業でもお話ししましたが、主に陰陽五行の論理に基づく干支で決められます。例えば保日、伐日などですね。十干を五行で分類すると、木=甲乙:火=丙丁:土=戊己:金=庚辛:水=壬癸。十二支は少し複雑で、2つ進むごとに「中央」を意味する土が入り…