2016-04-22から1日間の記事一覧
以前、日本でオウム真理教事件が起きたとき、ポアという概念が問題視されました。すなわち、その生命が将来的に悪業をなすと分かり、その影響で他の多くの生命が災禍を被ると分かっている場合、悪業によって自分自身を苦しめることになるその生命のためにも…
『一遍聖絵』は、現実の風景を推測を交えずに描いていることが多く、あまり象徴的意味は持っていないように思います。例えば釈迦堂前の雑踏の場面では、恐らくは北條氏の関係の武者の乗る白馬が描かれていますが、尻の辺りには「有」の文字がみえます。これ…
これまでの比較研究においては、北魏、南梁を例に取ることが一般的でした。それも、ほぼ政治体制と宗教制度のみを対象にしています。しかし、政治・社会・経済制度を含めて文化と規定した場合、それは明らかに、地域の自然環境との関係において育まれてゆき…
最終的に、完全には克服していません。しかし、面白いところでいえば、例えば初唐に活躍した道宣という僧侶は、その著書『集神州三宝感通録』に、インドの聖王アショカ王が支配地に建立したという阿育王塔が、中国にも存在するという逸話を数多く集めました…
大枠においては同じ、とみてよいでしょう。温暖湿潤なアジアの東部、東南部においては、蛇に対する信仰は非常に盛んで、日本もそのなかに含まれます。研究者のなかには、円錐状の山は蛇がとぐろを巻く姿に譬えられており、山の神は蛇神と把握されることが多…
ある意味では正しいのですが、ある意味では正しくありません。というのは、キリスト教が支配的な地域にも、複合宗教的な現象は存在するからです。例えばヨーロッパでは、近世から近代にかけて、ルルドをはじめとして、聖母の出現する奇跡の泉の物語が生まれ…
含まれます。「廟」とは本来祖霊祭祀の施設ですが、例えば祠廟という概念になると、日本の神社にほぼ等しい意味内容になります。
現在でも、「奇跡を信じる」という心理状態は成立しえます。例えば、あなたがいままで受けてきた教育の枠組みでは、とても理解しえないような事態が出来したとき、まずあなたは、そのことを否定しますか、それとも肯定しますか。現代科学に懐疑的であったり…
中国の西南地域では、現在でも、女系の少数民族が多く存在します。江南から南にかけての地域は女性の地位が高かったようで、仏教も道教もその世界観を反映し、六朝期には女性宗教者の活躍が非常に目立ちます。授業の最後で取り扱うつもりですが、梁の宝唱が…
『南詔図伝』は、あくまで南詔国が、その歴史の最末期に、自らの王権のあり方を正当化し衰亡を食い止めるため、「仏教に祝福された国家イメージ」を創り出そうとしたものです。すべてがフィクションではないでしょうが、史実というわけでもありません。チー…
次回また詳しくお話ししますが、『南詔図伝』の冒頭に出てくる「鉄柱」や、布教の過程に出てくる銅鼓は、在来信仰の痕跡を物語るものです。鉄柱は祖先信仰のシンボル、トーテム・ポールのようなもの。日本でも、古墳時代に祖霊祭祀の立柱が存在したことが分…
すでに南北朝頃から、夷狄とされた人びとが四夷表記・概念を自分のアイデンティティーのなかで捉え返す、というものの見方が始まっていました。仏教との関連でいうと、例えば後趙の3代皇帝石虎が、仏教の信奉を可とするかどうか群臣に諮問した際、中華の皇…
史料がないので具体的なことは分かりませんが、古代日本と同じような情況であったろうと思います。漢人を登用し、彼らから文字も含めて法律、制度を学び、国家体制を整備してゆく。唐王朝とは政治的に決別した時期があったものの、彼らがチベットやインドの…
非常に面白い指摘ですが、現存涅槃図ではそのような意味はないようです。あくまで中国の形式を踏襲しつつ、小さなものは中心へ、大きなものは周縁へといった、デザイン的な意味で配置を決めていたようです。ただし、「シャカから召集がかかったとき、鼠に欺…
賢い動物は、人間の言葉を理解できると捉えられていました。それは、生命の本体が人間と同質であるという意識に基づいています。そのあたりは、精霊の本体を人間と同じ姿にみるアニミズムとも通じていますね。しかし、頭の弱い動物に生まれてしまうと、やは…
仏教の経典には、割合にたくさんの動物たちが出てきます。例えば、『成実論』という書物には、どのような行いでいかなる存在に転生するかを書いた箇所に、「……もし人が善行に混じって不善の業をなすならば、そのために畜生に堕ちる。また煩悩が激しく盛んな…
餓鬼は飢えの世界で、何かを食べたいという渇望が横溢し、しかしそれを癒すことができない。一般には、痩せ衰えて腹だけが膨らんだ幽鬼のような「餓鬼」イメージが定着していますが、満たされない飢えの世界、飽くなき欲望の世界だということができるでしょ…
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