2016-04-25から1日間の記事一覧

自然環境への人間の意識が、崇拝から保護へと変わっていったのはなぜなのでしょうか?

保護は責任感の表れである一方で、やはり、人間の力が自然の力を上回ったという優越、傲慢がどこかで入り込むということでしょうね。一般的には近代の産業革命が当てはめられるでしょうが、実は古代においても、自然環境の開発を進めるためにその象徴である…

弥生時代の説明の際に、気候悪化と政情不安で大陸からはじき出された人々が渡来してくる、というお話がありましたが、渡来人という概念について正確に教えて下さい。

渡来人とは、単に日本列島へ渡来してきた人々、という程度の意味しかありません。狭義には、5世紀後半以降、大陸や朝鮮の知識・技術を担って訪れ、日本列島における古代国家建設に貢献した人々を指すこともありますが、現在では上記の使い方で用いるのが一…

現在よりも地球全体の気温が低いところで稲が生長していたのに、なぜ現代の北海道など寒冷な地域では稲作が難しいのだろうか。

古気温曲線はあくまで相対的なもので、絶対温度を計算することはできません。また、計測した地域の傾向は把握できますが、気温は局所的な要因も大きく関係しますので、おおよその傾向以外正確には分からないのが現状です。温暖化と寒冷化が繰り返し訪れる弥…

現在、米の産地は北陸や東北が多いのに、日本への稲作伝来が南方からというのが不思議でした。

東北や北海道で稲作が可能になったのは、絶えざる品種改良によって、南方品種のイネを寒冷地対応に変えていったためです。品種改良の歴史は平安時代から始まりますが、現在の東北・北陸の米所を生み出してゆく画期になったのは、近代の「陸羽132号」という品…

稲作の伝播について、稲は青苗で伝わったのでしょうか、それとも種籾で伝わったのでしょうか。

青苗の状態で海を渡ってくることは考えにくいので、やはり種籾であったと理解してよいでしょう。

新しい弥生時代の年代観は、年代的に議論はあるものの、大まかに四期に区分されるということでよろしいでしょうか?

そうですね、年代が遡る可能性が高いというだけで、4期区分については変更ありません。

縄文時代にも、狩猟場などをめぐり諍いがあったとしてもおかしくないと思うのですが、どうだったのでしょうか。

それはありえたでしょう。しかし、戦争は双方にとって大きな被害を生み、生存を維持するうえでは効率的ではないので、衝突が避けられる場合はあえて戦闘しないのが普通であったものと思われます。

なぜ農耕が始まる前には、上下関係が生まれなかったのでしょうか。

現在の狩猟民においてもそうなのですが、狩猟という共同作業によって得た肉は、それに関わった人々の間で平等に分配され、富の偏りが生じないようにする種々の規則が存在するのです。狩猟採集社会においては、あらゆる作業が集団で行われ、その分担も専門的…

別の授業でウッドサークルの写真をみたのですが、これはストーンサークルと同じようなものなのでしょうか。

ウッドサークルは、ストーンサークルのような墓由来の祭場ではありません。まず、現在みつかっている北陸地域の幾つかの以降でも、残っているのは柱穴、もしくは柱の下部の一部だけで、全体像がまったく分かっていないのです。つまり、情報に何らかの構造物…

自分の祖父のお墓とは別に「伊藤家代々」の祖先を祀るお墓のようなものが同じ寺院にあるのですが、それは墓域と関係があるのでしょうか?

詳細が分からないのですが、恐らく「代々」の方は、家の墓に入りきらなくなったお骨をまとめて納めたものか、あるいは逆にもともとの古い墓で墓室が一杯になってしまい、最近の死者のみ別の墓に収骨されるようになったということでしょう。

屈葬という文化は、環状墓域の展開などと併せて考えると、どの時期まで続くものなのですか? また、伸展葬への以降の契機は何だったのでしょうか?

縄文時代の円環に配置された墓域と、現在のお墓のあり方とは、どのように変遷して結びつくのでしょうか。

縄文時代の環状墓域は1万年前の話ですので、現在の家単位、個人単位の墓のあり方と直接的には結びつきません。歴史時代には、古代・中世時期のように、遺棄葬といって墓を必要としない葬送文化も存在しました。現在のような墓が作られるようになったのは、…

ストーンサークルの形状について、男女の性交渉がモチーフになっているとの話がありましたが、現在の墓石の形状も、概ねそれに近いと思います。やはり、死と再生という意味が込められているのでしょうか。

ははあ、確かに。現在の墓石は、古代から中世にかけて建てられた仏教の五輪塔、多宝塔などをモチーフしている場合が多いです。しかし、この仏塔=ストゥーパは、もともとは巨大な伏鉢型の構造物が塔をいただいたもので、女性象徴プラス男性象徴であるとみな…

縄文時代に死と再生の信仰があったとすると、死に対する恐怖はなかったのだろうか。当時の人々の死に対する意識がどのようなものであったか、気になった。

逆に、死に対する強烈な怖れがあったからこそ、再生への転換が願われたとみた方がよいでしょう。自然の生命エネルギーの支えがなければ、人間などすぐに失われてしまう。そうした認識が、生を希求する縄文文化の核をなしていったのだと考えられます。

縄文時代に、遺体が忌避すべきものから信仰の対象へ変化したのは、何を契機としたのでしょうか?

時間の関係できちんと説明できなかったのですが、縄文時代の前期から中期にかけては、巨大集落が離合集散して小集落となり、やがてまた集合して大規模集落が作られてゆく段階で、墓に納められていた骨を集めて合葬するという習俗が発生するのです。集落を離…

なぜ縄文時代の文化は、東日本の方が発展していたのでしょうか。イメージだと、九州から伝来している気がするのですが…。

歴史過程の偶然の積み重ねもありますので、うまく説明をするには限界がありますが、ひとつには縄文時代の温暖湿潤な気候状態があり、西日本は人間の適切な活動がなされるには気温が高すぎたといえるかもしれません。東日本の方が、植生的な意味でも豊かであ…

土偶の一部が破損しているのは、怪我などの回復を図る儀式的なものだと高校で習いました。なぜそうした考え方になるのでしょう。また、これは有力な学説なのですか?

上記のようなものの見方では、土偶が一部を損壊されている場合しか説明ができませんので、否定はできませんが、非常に有効範囲の狭い学説となります。発想の根本は、自分の病気の箇所をヒトガタなり墨書土器なりに移して取り除くという修祓でしょうが、これ…

生命を生み出す力ということで女性像が作られ、崇拝されたのは納得できるのですが、それですと女性中心に社会になりそうです。なぜ男性中心の社会が構築されたのでしょうか。

実は、女性の生命を生む力を信仰するということは、必ずしも女性の地位の高さを表すことにはならないのです。その意味で、平塚らいてうの「原始女性は太陽であった」という宣言は、幻想以外の何ものでもありません。世界中の女性/男性の表象をめぐる歴史、…

縄文晩期の土偶が抽象的な姿になっているのは、どのような意図が推測されるのでしょうか?

正直にいいますと、これはよく分かりません。ひとつには、土偶の機能が、携帯する護符のようなものに変わっていった、という解釈も存在します。あとは神観念の問題で、かつて人間をモチーフにしていた神霊が、より高度なものへ発展していったということかも…

昔は蛇が神的存在と思われていたようだが、現在ではそうしたイメージは周知されておらず、不思議に思った。

授業でもお話ししましたが、『旧約聖書』創世記の蛇を含め、蛇に対する信仰は古くから世界的に存在します。現在まで続く日本の神社信仰でも、飛鳥の大神神社、出雲の出雲大社、諏訪の諏訪大社など、蛇神を祀る神社は少なくありません。中世には、伊勢神宮の…

縄文時代に亀が信仰の対象になったのは、古代中国での亀卜などの風習が伝わったからでしょうか?

中国では、いわゆる亀卜が始まる殷帝国より以前の時代から、亀を神聖なものとする信仰がありました。約7000年前の河南省舞陽県賈湖村344号墓からは、小石の詰まった8個の亀甲器がみつかっており、最古の占いの道具ではないかと想定されています。しかし、縄…

水と陸で生活できる動物だとイモリが挙げられますが、イモリをレリーフにした土器はありますか?

縄文文化のなかには、管見の限りみたことがありません。しかし、弥生時代の銅鐸絵画には、トカゲかイモリ、あるいはヤモリを表した図像が残っています。やはりオオサンショウウオと同じ両生類ですが、縄文時代は、単純に生命力を認識しやすい「大きな個体」…

人間の生活の犠牲になったもの、非業の死を遂げた者が、怨霊になって祟りをなすとする発想はなかったのでしょうか。

プラスの精霊的存在があれば、マイナスのそれも存在する可能性は否定できません。どの程度のものが考えられていたのか、それを立証する材料はみつかっていませんが、怨霊か祟りかはともかく、人間に災禍をなす超越的存在は想像されていたでしょう。遺体に施…

自然信仰の風習は、現在でも東北などに残っているのでしょうか。また、東日本と西日本では相違がありますか?

授業でもお話ししましたが、東北といわず、日本列島中に残っています。神道などは自然信仰から発展を遂げたものですし、仏教も日本のそれの場合には自然信仰の要素が強くなっています。世界遺産に登録された富士山をめぐる信仰などは典型的ですし、日々の習…

アニミズムなど、なぜ当時の人々は、自然のなかに価値を見出したのでしょうか。

上記とも関係しますが、自分の生命が、そうした自然環境によって根拠付けられていることを自覚したからでしょうね。いいかえれば、その「支え」がなければ、自分たちは生きながらえることができない。そこで、「支え」が永久に持続するようにとの信仰を育て…

人間はなぜ信仰の対象を必要とするのでしょうか。自分の力ではどうにもならないものに対する尊敬・畏怖の念、また、自分自身がそれによってコントロールされているとの感覚があるからでしょうか?

極めて大きな問題ですねえ。難しいことを単純化していってしまえば、「よりどころがほしいから」でしょうね。その背景には、世界というのは苛酷であり、生命を維持するのは極めて困難である、という認識・自覚があるということだと思います。やはり、自分独…