2016-05-02から1日間の記事一覧

『豊後国風土記』頸峯の話は、狩猟することで農耕の豊穣を得る展開に解釈されていましたが、物語としては結局鹿を狩っていないのではないでしょうか?

確かに、明確な意味での狩猟ではありません。あくまで、害獣が守護神に転換する参照例として掲げたものです。農耕と狩猟が並列して行われた日本列島の生業において、狩猟は害獣の駆除に繋がる。よって、狩猟が農耕予祝の神事に転化してゆくのです。その際、…

弥生時代に人口の増加があったことは、なぜ分かるのでしょうか。

遺跡から判明する村落の規模・数量、墓の数などから推算しています。

縄文社会が弥生の変化を受け入れることができた、その「基盤」とは何だろうか。

1万年の長期を経て醸成されてきた縄文社会、縄文文化が、渡来系の弥生社会、弥生文化によって駆逐されたのではなく、融合し現在に至ったことは、各地域の文化の重層性と多様性、縄文的傾向によって明らかにされています。また、現在日本列島に暮らしている…

後期の寒冷化への対応として、縄文時代には生殖器崇拝などが進んだのに対し、弥生時代には戦争が起きています。この相違は何から来るのでしょうか。

社会のあり方が異なるので単純に比較はできませんが、やはり自然環境への向き合い方が大きく変わってしまったのだといえるでしょう。縄文時代においては、根底的なところで人々の自然環境への信頼が存在し、それゆえに依存する部分が大きかったものと思われ…

弥生時代の社会には、貧富の差を是正しよう、貧しい者へ分け与えようという発想はなかったのでしょうか。

現在も存在する狩猟採集社会においては、富の偏重と権力の発生を抑止しようとする共同体規制が多く存在します。そうした偏りが発生すると共同体内部が不安定になり、生業の完遂などに支障を来すためです。原始社会にも恐らく同様の規制は存在したはずなので…

アニミズムとは、擬人化の一種なのではないか。人間が他の生物とは異なる存在だ、という認識が明確になるのはいつからだろうか。

そのとおりです。これは、人間が他の動物との間に明確な境界を持たなかったことと当時に、人間の想像力の限界をも意味しています。少なくとも狩猟採集が生業の中心をなしていた段階では、人間は他の動物との対称的な関係を維持していました。民族社会におけ…

蛇について、一方ではヤマタノヲロチのように怪物とされ、一方では神として崇められています。地域によってこのような相違があるのはなぜですか。

地域の歴史性や、時代的な変化によるものです。ヤマタノヲロチは、古代出雲の怪物とされますが、中央政府の編纂した『古事記』にのみ現れて、『出雲国風土記』には登場しません。記事をみると、明らかに斐伊川の流れる山を総体として神格化したものです。斐…

弥生時代から古墳時代にかけて、宗教的な王よりも武人的な王が選ばれるようになるのはなぜなのでしょうか。

本当にそう考えることができるのかも、併せて確認しておく必要があるでしょう。卑弥呼は宗教的な王だとの見解がありますが、祭政一致の王であるだけで宗教に特化した統治を行っていたわけではない。むしろ近年では、男弟の補佐を受けながらも政治的実権を掌…

弥生時代の社会で、最終的に抗争や戦争が選択される契機とは何でしょうか。

やはり、最終的には、他の集団を除かなければ自分の集団が維持できない、滅びてしまうと認識したときでしょう。実は、戦争は両勢力にとって最も効率的ではないアクションなので、やはり通常では実現しえない選択肢なのです。それを選ばなければならないのは…

弥生時代後期、気温が低下するに伴ってイネの収穫量が低下し、それに対応して技術発展がなされることで、クニの誕生に繋がったとありますが、具体的にどのようなことが行われたのでしょうか。

イネの品種改良は、日本では平安時代に初めて史料的に確認されます。この時点では、朝鮮半島から先進的な知識・技術を導入し、農耕具の改良、耕地や灌漑設備の改良、耕地面積の拡大、労働力を集約しまた組織力を高め効率化を図る、といった程度でしょう。し…

当時は、何をもって婚姻関係が成立したと考えられたのでしょうか?

縄文時代末期から弥生時代初期にかけての社会においては、女性が出自集団から他集団へ移動する理由は極めて限定されてきます。まず普通に考えられるのが婚姻で、例えば列島へ渡来してきたような規模の集団においては、列島内で他集団から女性を確保しなけれ…

何かを象徴するような動物は、どのような契機で生まれるのでしょうか?

歴史的な文化事象は、長い時間をかけて各地域で試みられたことの総合として現れますので、なかなか契機を見出すことは難しいですね。しかし例えば、鳥が稲を生育させるエネルギーを運んでくるという場合、渡り鳥が冬の間に水田地帯に止まっていること(銅鐸…

授業でみた独立棟持柱建物の屋根に、鳥の模型のようなものがありましたが、あれも水田の文化と関係あるのでしょうか?

あれは、発掘によって明らかになったものではなく、復原の際に現在の研究者が推測で付加したものにすぎません。お話ししたような稲と鳥との関わりから、祭殿のデザインに組み込んだのでしょう。

墓が時代によって徐々に大きくなってゆくのは、支配力の強さを示していると分かるのですが、形が変遷してゆくのはなぜでしょうか。四隅突出型などは特徴的な形状ですが、何か元になるものはあったのでしょうか。

墳丘墓の形状の相違は、それこそ各地域の歴史・文化の結晶ですので、多様性が出て当たり前なのです。しかし、弥生の方形周溝墓から前方後円墳への変化については、地域を通じて一定の法則性を見出すことができます。それは、周溝にかかる陸橋の変形です。方…

鳥が稲と関連づけられるのは、鳥の出した糞が肥料として役立った面もあるのでしょうか?

面白いですね。肥料として使用されたというより(それだけ鳥の糞を集めるには、彼らを飼育して採取しなければなりません)、糞に草花の種などが含まれていて、発芽するということを経験的に知っていたためでしょう。また、上の方で触れた水田と鳥の結びつけ…

古代ギリシャや古代エジプトで描かれた絵画では、人物像の顔に目や口や鼻があるのに、なぜ弥生時代の絵画には、人間にも動物にも顔が表現されていないのでしょうか。

これは面白いですね。単純に技術的な問題もあるでしょうが、確かに、人間にも動物にも目鼻がありません。縄文時代の土偶や、土器絵画には存在するのに…。日本の弥生社会では、顔というものの持つ機能が、それほど重視されていなかったのかもしれません。これ…

土器の地域ごとの特徴は、気候と関係しているのでしょうか。

というより、自然環境全般と関連しているのでしょうね。土器には製作者の自然に対するイメージが託されることが多いので、縄文期の複雑かつ多様な形状と、弥生期の淡泊な形状とを比較すると、両者に反映された自然観の相違に寒気さえ覚えます。

古代において神聖視しているものは、一種の「捧げ物」であると捉えてよいのでしょうか。その場合、捧げる対象は自然界だと思うのですが、その象徴が鹿であり鳥なのでしょうか。

祭祀において、「供犠」という概念があります。神的な存在へ祈願するうえで、自分の最も大切なものを捧げるというのが原義です。ですから、最もオリジナルに近い形は人身供犠でした。それも、王であったり、祈願者の血族であったりが生け贄にされる。それが…

縄文時代から弥生時代の転換期に、低湿地林を伐採してしまうような技術、道具があったのでしょうか。

樹木の伐採は、縄文時代の石斧で充分に可能なのです(実験でも確認されています。http://goshono-iseki.com/investigate/1827)。前回写真で確認したように、縄文前期の三内丸山遺跡の時点で、すでに栗の大径木を構造材に用いた巨大建造物が作られています。…

弥生時代のケガをしていたり、武器によって殺されたりした遺体は男性のものだけですか? それとも女性の遺体もあるのでしょうか?

女性の遺体もあります。例えば、鳥取県の海岸沿いに展開した交易拠点ともいえる集落跡、青谷上寺地遺跡では、頭部を刃物で突き刺され殺傷された女性の遺体がみつかっています。同遺跡からは治癒痕のない、すなわちその傷がもとで死んだと推測される傷を持つ…

弥生時代の主食は米ですが、奈良・平安時代の庶民の主食は粟などですよね? どのような理由で、主食が変化したのですか?

「主食」という概念に問題があるのかもしれませんね。いったい、どの階層がどの程度食べていたものを「主食」というのか。世間一般、一日二〜三食と規定するなら、米が日本の「主食」になったのは近代以降といえるでしょう。弥生時代は確かに米を食べていま…

縄文系のムラと弥生系のムラとは、どのようにコミュニケーションをとっていたのでしょうか。

現代人におけるコミュニケーションでも、実は言葉によるそれは、全体の10%にも足りません。言語以外のさまざまな要素、声のトーンやスピード、話し方、表情、身振り手振りなどの総合的なメッセージが、相手に種々の情報として伝わっているのです。民族社会に…

縄文系と弥生系が調和的に移行をしたと聞いて驚いた。沖縄と北海道では縄文系が続いたと昔習ったが、大陸にまあまあ近い沖縄でなぜ縄文系が続いたのでしょうか。

縄文系が続いたというより、縄文時代の後期以降は、琉球列島は貝塚時代前期〜後期といった独自の狩猟採集社会に入ります。交易関係は一部九州のみに限られ、台湾も含め他の地域とはほとんど交流していません。珊瑚礁が周囲を取り巻く特徴的な環境のもと、多…

私も日本は自然と共生していると思っていましたが、逆にその考えはいつ頃から広まったのでしょうか。

現在いわれるような形で喧伝されたのは、1990年代、バブル崩壊の前後からです。すなわち、経済大国としての地位が失墜しアジア諸国に肉迫された日本が、経済以外で自分たちの「誇り」を充足させてくれる価値を探した結果、「共生文化」が再発見されてゆくの…

金属器の輸入に対する輸出品としては、何があったのでしょうか。 / 朝鮮半島と日本とは、弥生時代にどのような船で行き来していたのですか。

ポリネシアでは丸木舟で太平洋を航行していますし、実際に海を渡って文物が往来していることは、考古学的に確認されています。いまだ巨大な構造船ではなく、簡素な造りの小舟で船団を組んでいたのでしょう。朝鮮半島の南端部と日本列島の中国地方の間では、…

鹿や猪など、古来からの動物に対する信仰心が、現在の日本にほとんど残っていないことに驚いた。礼儀を重んじる儒教的な精神など、古来から「日本人的な思考様式」として残っているものがある一方で、こういった動物信仰が残らなかったのはなぜだろうか。 / 蛇は多くの神社でご神体になっていますが、鹿や鳥にはそうした例はあるのですか。

確かに、近現代になって動物に対する信仰は衰えているかもしれませんが、それは宗教全般の衰亡という傾向のなかでのことであって、神社や寺院その他における動物信仰は各地域に濃厚に確認できます。まず鹿については、藤原氏の氏神である奈良の春日大社、茨…

日本各地で出土している人骨は、どんな形で出現するのですか。

それはもちろん、遺跡の性質によってさまざまです。戦争で傷を負った遺体が埋葬された事例もあれば、戦場で殺された遺体が何体かまとまって出てくる事例もあります。その出土情況から、どのような性格の遺構なのか、遺骨なのかを推測してゆくわけです。しか…

弥生時代になると、人を殺すための武器が出現するとありますが、何を以て対人用だと分かるのですか。

弥生時代の金属器の武器は、形態としては、中国・朝鮮で使われたものが、ほぼそのまま入ってきます。槍・矛・戟・戈・剣などですね。槍は狩猟道具から発展したものですが、他はほとんど兵器として発明されたもので、人間を殺傷する道具です。武器とともに、…