2016-10-12から1日間の記事一覧

江戸期民間の人々が信じた物語や伝承の類は、信憑性としてはどの程度あるのでしょうか?

伝承研究という学問の立場からすれば、そこに語られている内容が客観的な事実かどうかは、さほど大きな問題ではありません。どのような形で語られているか、当時、誰によって何がどういう形で信じられていたのか、なぜそう考えられていたのかが重要です。伝…

江戸期の人々の歴史観は軍記物などを通じて形作られていたとのことだが、そこに政権の意向は何らかの形で反映したのか?

『太平記』や『平家物語』は、例えば儒教的価値観を語る部分においては幕府の統治思想と一致をするので、とくだんの問題は含みません。しかし、その書物を通じて例えば勤王思想が強まり、幕府への批判が高まったりすると、非常に都合が悪いということになり…

文明が「自然状態から解放される」ことを含意するとは、初めて聞きました。自然からの解放=進歩とは、果たしてよいことなのでしょうか?

上の進歩史観においては、「よいこと」といえるでしょうが、必ずしもそうとばかりはいえません。自然との関係において「解放」を最前とし、そのうえで自然から「収奪」しようとする意識こそが、地球上に種々の環境問題を生じ、全生態系的な危機を発現させて…

文明史学と文化史とは違うものなのでしょうか?

お話ししたように、文明史学は非常に啓蒙思想的かつ功利主義的な歴史観で、人間の進歩が文明によって可能になることを描き出すものです。そうした進歩史観では、常に現在の状態が最良であり、過去へ遡るほど、野蛮で未開な状態に近付くこととなります。すな…

清朝考証学という言葉は初めて聞きました。これが現在の国文学に繋がっているということですか?

中国は紀元前から文字を操っている国なので、厖大な書物をどのように読解するか、という注釈・考証の学問が著しく発展しました。清朝考証学はそのひとつの到達点で、多くの古典テクストを対照するなかから正当な解釈を導き出そうとします。江戸期の厖大かつ…

ナショナル・ヒストリーとして日本史を学ぶことは分かったが、それではなぜ世界史を学ぶのだろうか。

もちろん、世界の成り立ちを知り、世界の人々と交流し、世界のなかで生きてゆくためです。一方でそれは、国家の国際戦略とも関わりがありますが、一方でナショナル・ヒストリーを相対化する力も持っています。一時期、世界史未履修などの問題もありましたが…

私が中学や高校で学んだ日本史には、圧力によって歪められた部分があるのでしょうか?

あからさまな権力の介入によって歪曲された記述は、今のところ目立っては存在しません。しかし例えば聖徳太子の評価のように、戦前・戦中に日本の大陸進出を正当化するために作られたイメージ(大国隋と渡り合い対等外交を実現させたなど)が、未だに教科書…

ナショナル・ヒストリーの一部として教科書があり、国民統合のアイデンティティに大きな影響を与えているとのことですが、それが近隣諸国との間に軋轢を引き起こしていることも事実です。それに対し、歴史学からはどのように批判をすることができますか?

前回の講義でも、今回の講義でもお話ししましたが、歴史学研究がナショナル・ヒストリーという形式自体を批判しています。現在の教科書制度についても、現状を少しでもよくすべくその制度のもとで実践をしながら、問題点の指摘や批判を常に行い、教科書の記…

ナショナル・ヒストリーが構築される際に、例えば公家と農民のような階層差を前提にしたとすると、農民の考え、意志のような反映されたのでしょうか?

ナショナル・ヒストリーは国民統合の歴史ですが、それは統治システムである国民国家が構築するものであって、それぞれの階層が話し合い、それぞれの意見を反映した結果として打ち出してゆくものではありません。後者はパブリック・ヒストリーと呼ばれ、よう…

現在中学校や高校で使われている教科書は民間会社が作ったものですが、会社によって記述が異なる場合があるのはなぜなのでしょうか。国民統合の手段ならば、教科書の記述も統一した方が効果的と思います。

それをしてしまったら、もはや全体主義ですね。民間で教科書を作成する必要はなく、戦前・戦中のように、国定教科書を配布すれば済むことです。ガイダンスの際にもお話ししたのですが、戦後の教育改革はこの反省から出発し、民間から自主的に教科書の作成・…