2016-11-30から1日間の記事一覧

蘇我蝦夷が、「天皇記」「国記」を燃やした意味がよく分かりませんでした。

「天皇記」「国記」が蘇我馬子主導で編纂されたとすれば、そこには、事実上蘇我氏を中心にした歴史が書かれていたと思われます。それをクーデター勢力に利用されれば、蘇我氏を貶める格好の材料になる。蝦夷はそのことを懸念し、葬り去ろうとしたのでしょう…

聖徳太子と蘇我氏の関係はやはり密接だなと感じますが、この両者があまり近い関係ではなかった印象が、何となくあります。聖徳太子が独立しているような……ただのイメージなんでしょうか。

『日本書紀』のなかには、「聖徳太子」と蘇我馬子が仲違いをしているという記述はありません。むしろ『書紀』の記述は、「太子、島大臣」と連結して記すことが多いので、共同して事に当たっているとの印象操作をしています。厩戸の夫人、長子である山背大兄…

『日本書紀』は、なぜ蘇我馬子の業績を削減し、「聖徳太子」の事跡としたのでしょう。その意図がよく分かりませんでした。

授業でもお話ししましたが、『日本書紀』の編纂を始めた天武朝〜奈良王朝は、一応は、乙巳の変により蘇我本宗家から政権を奪取した改新政府(孝徳〜天智朝)の正当性を引き継ぐものでした。それゆえに、乙巳の変を単なるクーデターとして歴史化することはで…

推古朝には摂政や皇太子は存在しなかったとのことですが、ではいつどのようなきっかけで出来たのでしょう。

皇太子は、持統朝の浄御原令制か、もしくは大宝令制によって規定されたと考えられています。持統天皇は、以降の皇位継承を、天武天皇と自分との間に生まれた草壁の皇統によって継承させようと考えました。それは、天武王権が天智の子大友王子からのクーデタ…

個人的な意見ですが、厩戸王の伝説がイエス・キリストのそれと酷似しているように感じました。何か関係があるのでしょうか。

このあいだの授業でも触れましたが、皆さんの抱いた疑問は、かつて〈抹殺史学〉の権化であった久米邦武も共有し、これは中国に入ったネストリウス派のキリスト教=大秦景教の影響とみて、『書紀』を批判する論文を書いています。その可能性はないわけではな…

「聖徳太子」の存在が疑われるようになったのは、最近のことなのでしょうか。

戦前、すでに津田左右吉が、『古事記及び日本書紀の研究』『神代史の研究』『日本上代史研究』『上代日本の社会及思想』などで『日本書紀』の史料性を批判的に検討し、「聖徳太子」の存在に疑義を呈しています。しかし1939年、そうした一連の研究が不敬罪に…

森博達説で、山田史三方が、分かれた二つの時代を書いていると考えられるのはなぜですか。

山田史三方ががというより、その前任者である続守言・薩弘恪の作業が、中途で断絶してしまったことが原因と考えられています。彼らはそれぞれ、ヤマト王権の画期である雄略朝以降の編纂、古代国家において最も重要だった大化の改新に関わる皇極朝以降の編纂…

『日本書紀』の思想で、倭から日本へ国号を変えたのには、どのような意味があるのでしょうか。

「日本」という国号が設定され東アジア世界に示されたのは、一般に、大宝2年(702)の遣唐使派遣においてだと考えられています。それ以前は、国内では自国をヤマトと呼んでいたと考えられますが、東アジア世界においてこれに付与された文字が「倭」であった…

『日本書紀』が中国や朝鮮を念頭に置いた記述を掲載しているなら、『古事記』など他の歴史書はどうなのでしょう。

『古事記』には、『書紀』のような中国的装飾は希薄です。文章の形式も主に変体漢文で、ヤマト言葉を一音表記した部分もあります。また、『書紀』は宮廷や氏族の神話伝承を一本化できず、「一書に曰く」を列挙して多くの異伝を示す形式になっていますが、『…

数多ある写本のなかで、優位性は存在するのでしょうか。存在するなら、それは誰がどのようにして決めるのでしょう。

校訂作業が充分に行われていない時代では、やはり書写したひと、所蔵している家が高位なほうが、写本のレベルも高いと認識されていました。しかし校訂作業が開始されるようになると、その価値付けは次第に、古さと正確さから判断されるようになってゆきます…

校訂に、現代のような校閲の作業はなかったのでしょうか。

例えば、奈良時代の国家的な写経事業のように、巨大な組織のなかで書写作業が行われる場合、校閲も厳密になされてゆきます。しかし、平安以降は個人的な書写作業が多くなってゆき、なかには専門家が校閲しているのに誤っている場合、校閲も行われない場合が…

今日の講義を受けるまで、校訂という作業があることを知りませんでした。私たちが今まで使っていた教科書に載っている漢文や古文は、この校訂というものがされたものだったのでしょうか。

そのとおりです。ただし、教科書や史料集によって依拠する校訂テクストが異なるので、比べてみると微妙に文字や表現が違っていたりします。学問レベルにおいては、史料を掲出する場合、いかなる校訂テクストに依拠したのかを明記しなければならないのですが…

もし、今日の授業でやったことがすべて教科書に載っていたら、自分は絶対に日本史を嫌いになっていたと思います。

どうぞ、嫌いになってください。間違ったものを愛するより、正しいことを知って嫌いになったほうがよい。他人に迷惑がかかりませんからね。そうして、なぜ自分が「嫌いだ」と思ったのか、じっくり考えてみてください。そこがいちばん重要です。

私は幼い頃から、歴史教育とは「先人の成功とともに過ちを学び、今後に活かす」ためのものとして教えられてきたが、ときに人々は、歴史を根拠にして平和とは逆の方向へ走ってしまうことがあるように思える。このことを踏まえて、先生の考える「歴史教育の目的」を教えて下さい。

それは、受講生の皆さんひとりひとりに、きちんと考えて、答えを出してもらいたいですね。あなたが考えていることも立派な歴史教育の目的だと思いますが、要するに歴史から教訓を得ようとする現在主義は、過去を現在のために利用する側面が、どうしても強く…