2016-12-14から1日間の記事一覧

農業が衰退したくらいで、森林が復活するのでしょうか。植林はまったく行っていなかったのですか?

授業でもお話ししましたが、戦後、林業を国策的に拡大する目的で、杉の植林を大規模に行っています。しかし最近は、他国の安価な木材に圧されて林業も衰退、これを管理する労働が放棄されて、荒れ放題の山林が日本中に存在しています。ここ十数年の間にも、…

熊沢蕃山など、高校日本史でも学ぶような有名な人物が日本の森林について発言しているのに、それらの事実が教科書などで教えられないのには、何か理由があるのでしょうか。

環境史研究があえて排除されているからではなく、やはりナショナル・ヒストリーにおいて重要なのは政治史である、他の分野の研究の参照は最小限に止める、ということなのでしょうね。そうした考え方が、未だに旧態依然の状態で残っているわけです。

先生が木材のことを、「樹木の遺体」といっていることに、違和感を覚えました。

えっ、遺体ですよね、木材も含めて。皆さんの食べている肉は、動物の遺体ですよね。皆さんは、生命の遺体のなかで暮らしているわけですよね、概ね。

江戸幕府や諸藩が、植生についてこれほどしっかり調査をしていたのは、問題意識が高かったためですか。

正確に土地の生産力を調査し、租税をしっかりと徴収するためです。ゆえに正保の国絵図・郷帳を生み出した検地は、中近世移行期の人々の自然観、心性を大きく転換する画期であったと思います。

野焼きをするということは、辺り一面を焼くことで多くの樹木を失わせてしまう。野焼きを考えた人は、自然に対してどのような思いを持っていたのか、気になりました。

野焼きは、際限なく周囲を焼き尽くしてしまうわけではありません。予め焼く範囲を決め、その周囲の木々を伐り倒し、燃焼性のものを取り除くなどして、延焼を防ぐ手立てを講じておきます。野焼き後の土壌は化学変化を生じ、植物の育成に適した状態となるので…

和歌や文学作品に登場する山は、森林ではなく草山や柴山だったのでしょうか。

例えば『万葉集』など、自然との精神的な繋がりを歌うものが多いとされていますが、その歌が多く詠まれた藤原京の時代などは、周辺の山林の大径木が枯渇状態にあったらしいことは、すでに判明しています。すでに藤原京造営の時期から、遠く離れた近江の山林…

森林が減ると地球温暖化が進行すると思うのですが、例えば授業で扱っていた、17世紀の情況などはどうだったのでしょうか。

地球の温暖化は、森林の枯渇だけで起きるわけでもなければ、日本のみの環境状態で左右されるわけでもありません。まず前提として、地球にエネルギーを供給する太陽活動の変化、オゾン層に代表されるような大気に内在する諸要因、噴火によるエーロゾルの増加…

寒冷期は樹木を犠牲に得た稲からの恩恵も少なく、さらに暖をとるための薪炭材も必要であったと思いますが、どのようにバランスをとったのでしょうか。バランスがとれなかったから、はげ山ばかりだったのですか。

時期や地域による相違もあると思いますが、次の回の講義でお話ししたように、草肥=刈敷を得るための柴草山が大規模に展開するなかで、各地で災害が相次ぎ、バランスは崩れかけていました。幕府や諸藩が禁止令を出し、植林を奨励するなかで、ギリギリのとこ…

古代の環境破壊は、自然を使いつつも共存するという意識が、人々の内にあったのではないかと思います。

現在でも、自然との共生を願って抑制的な生活をしている人もいれば、環境破壊を何とも思わない人もいます。古代においても、いろいろな考え方を持った人がいたでしょう。すでに自然のバランスを崩すのはよくないという発想は、紀元前の中国に存在しますので…

古墳には木々が生えているイメージなのですが、あそこに生えている木は、もとからあったのではなく、あとから形成されたのでしょうか?

あとから形成されたものです。古墳の墳丘は、例えばある程度の規模の前方後円墳などでは、幾つかの段からなる幾何学的な設計・構造で、表面はほぼ石敷き、そのうえに埴輪や装飾用の木製品が立て並べられています。現在のようなこんもり緑の茂った姿は、そう…

水田や古墳を造るために山を切り崩したと仰っていたが、今でも山を崩すためには重機が必要なのに、そうしたものがない弥生時代、古墳時代にどのようにして開発を行っていたのか疑問に思った。

重機などは便利ですが、その便利さの内実は何かといえば、大勢の人間が長時間かけてしなければできないことを操縦者1人いれば短時間でできる、その効率性にあります。逆にいうと、現代的感覚で求められるような効率性を度外視すれば、大勢の人間が長時間を…

都などを造るにあたって、労働力はどのように確保していたのでしょう。戦などをして手に入れたのでしょうか。

古代、ということでしょうか。古代であれば、「役民」と呼ばれる労働力として、強制的に差発されました。基本的には雇役の形式で、諸国の国司を通して徴発され、中央へ派遣されて必要な現場へ配属、決められた日数で労働に奉仕します。その間、賃金である功…

移動から定住へ向かうには、川や海の近くの土地が重視されたことは理解できる。しかし古代において、どうして山がちで、大坂などより気温差の大きい奈良や京都に都が作られたのでしょうか。

そのとおり、縄文期に定住が開始されるのは、水の周辺においてです。春から夏は漁労を行える水場に近い場所に、秋から冬は最終や狩猟が行いやすい山麓・森林地帯に生活するという、半定住が始まってゆくわけです。なお、奈良・山城の盆地を大きく「海と離れ…

北方の寒冷な地域ほど、自然環境が豊かであるという印象を受けますが、それが事実とすると、それは単に地理的要因からだけでしょうか。

確かに、寒冷な地域ほど人間の活動が限定されますので、人間の自然への圧力は小さいということはあります。しかし、それは熱帯地方も同じで、赤道周辺の熱帯雨林が人間活動を阻み、地球における最も大きな酸素供給地帯になっていることは、よく知られている…

自然に生えているマツは、病気になったり枯れてしまうこともあると思います。そうすると、マツの花粉量は少なくなってしまうと思うのですが、測定に影響を及ぼすことはないのでしょうか。

1万年に及ぶようなデータを集積してゆきますので、前後の情況から、異常事態があれば推測できるわけです。寒冷化や温暖化は数百年のスパンで変動しますので、病気などによる限定的な変化は、さほど問題になりません。それこそ、異常事態として認識できるよ…

私の父は、秋田県で製材業をしているのですが、父はある程度の伐採は必要であると話します。森林伐採に対してマイナスのイメージを持っていたのですが、効率よく伐採して若い木の成長を促進させるには、実は環境に優しいそうです。

これはですね、あくまで林業を展開する価値観において、ということなのです。林業のために植林をし、一種類の樹木に特化した山は、それだけでかなり無理のある環境なのです。下草をとって杉が生育しやすいようにし、また間伐を行って、限られた栄養のなかで…

環境史の研究は、世界ではどのようになっているのでしょうか。

進んでいます。日本研究の歴史のところでも少しお話ししましたが、歴史学の世界的な展開においては、日本はむしろ立ち後れていて、社会史の関係のなかで勃興してきたにすぎません。欧米では環境問題の自覚が、破壊の責任とともに早かったので、環境史の開始…