2016-12-21から1日間の記事一覧
この結論は、ぼくの方からは出さないことにします。最後の授業の課題へ向けて、しっかりと考えておいてください。
沖縄文化が広くみなおされてゆく90年代以前には、就職、結婚などをめぐって、沖縄出身者が不当な差別を受けることが多くありました。戦前、戦中においては、ハジチ(女性に成人儀礼としてなされる入れ墨)など沖縄独自の習俗が未開なもの、原始的なものとし…
まず、検定教科書がナショナル・ヒストリーの提供メディアであることは間違いないとして、その記述すべてを国家主義と価値付けることはできません。もしそうなら、教科書の内容は非民主的なものとなり、事実などほとんど影を潜めてしまうでしょう。そのうえ…
まず大きな誤解であるのは、「民族」という概念が社会的・文化的なものであり、自然科学的・生物学的なものではないということです。例えば、現在国際社会で最も一般的な、エクアドルの人権学者ホセ・マルティネス・コーボが国連への特別報告書で行った定義…
それは違います。そもそも、農耕が狩猟より優れているとの認識自体、極めて限定的なエスノセントリズムに過ぎないことは、これまでの講義のなかでも指摘してきたとおりです。しかも、この同化政策による農民化は、アイヌの人々の望まぬものであったわけです…
まず、上記の法律がアイヌを「保護」する目的で作られたとは、考えない方がよいでしょう。これは前提の話です。「土人」という言葉は、もともとは漢語で現地の人という意味に過ぎませんが、中央による収奪の対象となった作物を「土毛」というように、やはり…
ひとついえることは、まず、富士山がなかなか世界遺産に登録されなかったのは、ゴミ問題が原因であったということです。最近は外国人観光客によるゴミ問題が取りざたされていますが、そもそも、世界遺産登録を目指し始めた1990年代、富士山の五合目以上の屎…
うーん、これも説明の仕方が悪かったのかもしれませんが、上の回答も参照してみてください。つまり、集合的アムネジアは個人的な現象として起きるわけではなく、多く社会的、政治的要因が関係してもたらされるのです。それを防ぐためには、メディア等によっ…
確かに、リセットはいいすぎだったかもしれませんね。しかし柴草山の問題からいうと、農村からもその記憶がほとんど消えてしまっているのが現状なのです。これは、世代論だけでは説明できない現象です。集合的アムネジアの問題は、例えば世界的には、「スパ…
柴草山の集合的アムネジアにおいて特徴的なのは、その記憶喪失が都市部だけではなく、農村においても起きているということです。これは、農村の生活サイクルが変化したために、生業と密接に結びついた柴草山の記憶が塗り替えられてしまったものと思われます…
関係しますね。かつては、いわゆる野生の領域と人間の生活領域が、里山的なものによって明確に区分されていたものが、その衰退で緑が繁茂したことにより曖昧になり、野生動物の増加と里への進出を引き起こしていると考えられています。例えばイノシシやクマ…
すでに中学の地理、あるいは世界史あたりで、地中海性気候などは勉強していると思います。ぼくの説明の仕方がよくなかったのでしょうが、局所的な気候については、緯度・経度のほかに、周辺の地形やそれに伴う大気の循環など、さまざまな要因が関連してきま…
捕鯨については、まだまだ研究の余地があります。日本列島のなかに、鯨を捕り、食用その他に満遍なく利用する文化が、早くから存在したことは確かです。しかし、それら捕鯨を行っていた地域で、自分たちで消費する以上の量を捕獲してゆくようになるのは、列…
なるほど、そういう解釈もありうるかもしれませんね。一般的には、山姥には、里の人間にとって有害な部分と、恩恵を授けてくれる部分の両義性があると指摘されており、これは山の神の性格に基づくと考えられています。日本列島で崇拝されてきた自然神は、概…
野焼きが単に環境へ悪影響を及ぼすものでないことは、前回の質問への回答でも述べました。人間の生産活動の善し悪しは、その地域の環境にとって好適か否か、環境への負荷ができるだけ少なくなるよう配慮されているかどうかが重要と思います。野焼きは一般的…
自然環境の善し悪しの基準は、一般的に生物多様性の観点から考えるべきとされています。すなわち、より多くの生命が生育できる状態が望ましいということです。そうした意味では、柴草を肥料として利用するため、これらを選択的に生育できるよう圧力を加えた…
江戸時代の場合、技術改良は拡大する米穀の需要に応えるため、寒冷地にも適応しうる稲の品種改良、栄養価の高い米穀を多く得るための肥料の改良、そして水田地の造成(新田)などの形で進行しました。その結果が、柴草山の拡大と、その衰退に軌一する金肥の…
刈敷は稲作のみでほぼせいいっぱいの情況だと思いますので、原理的には畑作にも使用可能で、農書にその類のことも出てきますが、水田以外にはあまり使用されなかったと考えられます。米が歴代王朝、政府によって租税化されたことは、その制作過程における労…
いわゆる百姓であることが、まさに柴草山の解釈から見出されると思います。ただし、一般の農業労働においては女性も重要な働き手ですので、必ずしも「桃太郎」昔話が、女性のジェンダーを家内労働に固定化して語ったわけではなかろう、とは思います。しかし…
うーん、ぼくの説明の仕方が悪かったのかもしれませんが、「創世記」の記述をもとにキリスト教の責任を問うことは、リン・ホワイトが1960年代に指摘したことながら、それが誤っていることは、環境倫理の世界ではもはや常識です。ぼくも、10年以上前に編んだ…