2017-05-08から1日間の記事一覧

現代日本では、政界でも親子二代にわたっての首相など、世襲制が強いのが独特だと思います。どうしてここまで強いのか、封建制の名残でしょうか、それとも日本人の価値観の根本に系譜主義的なものがあるからなのでしょうか。

まあ、アメリカでもブッシュが親子2代にわたって大統領を輩出していますし、ケネディを例に挙げるまでもなく、政界に成員を輩出してくる一族はいますよね。いずれの国家、社会においても、ピラミッド構造の上部に位置する階層は、経済的・社会的・文化的資…

近代以前の人々にとっての父祖の物語りは、自分のアイデンティティのようなものだったということでよろしいでしょうか。もしそうなら、中世の宗教戦争は、人々にとって、自らの依存する父祖物語りや族長物語りを絶対視したために起こったと考えることも可能ですか?

宗教や国家といった地縁・血縁を超越する集団が、個人を利用して自らの目的に駆り立てる際には、彼らが重い価値を置く人間関係に訴えてゆく方法を採ります。例えば靖国神社は、近代日本が神道を非宗教化する(それゆえに、信教の自由を超越して全国民が崇め…

古代の品部の名称は職を意味すると習いましたが、なかには実際には存在せず名前だけが残っているものもあると聞きました。それらは王権への奉仕と関係ないのでしょうか?

具体的に何を対象とした質問なのか分からないので、正確な回答にはならないかもしれませんが、品部のうち王権へある職掌をもって奉仕する職業部は、律令体制においても諸官司に配属され遺制を留めていますが、8世紀を通じて解体が進められてゆきます。その…

父祖の語りを権力者との間に行う際に、権力者はその真偽をどのように確認したのでしょうか。

王権との間で父祖語りを行う場合、王権に対する貢献を並べ立てるわけですから、ある程度の情報管理機構を備えた王権の場合、それに関する記録は何らかの形で保管されていたと考えられます。古代日本の事例でいえば、7世紀末の天武・持統朝に契機があるとい…

メトる=女取るから「娶」の成立に至った漢字文化と、7世紀の日本文化は相違していたわけですが、反発もなしに受け容れられたのでしょうか?

中国の言語文化と列島の言語文化は相違しますので、このような齟齬は多く確認することができます。翻訳の際に生じる問題として、現在にも広く見受けられることでしょう。すべての事例にわたって詳細にチェックをしたわけではありませんが、この種のケースで…

系図において、双系制的な要素が父系制に統一されてくるとのことですが、何か契機があったのでしょうか。また、これは万世一系の天皇系譜とも関わりがありますか?

系譜が「仕奉」と密接に関係するなら、問題ある事跡を残した人々は、系譜から排除されるのでしょうか。関連して、孤児や余所者などは、一族や村落にとってどういう存在だったのでしょうか。

重要な質問ですね。後世の客観的な立場から編纂された系図は、諸史料を駆使して描かれていますので、例えば謀反を起こした人物などもしっかりと記録されています。しかし授業で扱った古い時代の単系系譜においては、まず王権と軋轢を起こした人物などがいた…

王の側は、民との関係を表明することはなかったのでしょうか。

「仕奉」との関係で、ということでしたら、儒教的な徳目を基盤にした王は常に民に言及します。民を安泰な状態に保つのが王の役割、責任、というのが建前ですので、詔勅にはことあるごとに民の安寧が言及されます。例えば、天然痘が大流行している際の詔は、…

「仕奉」は支配者層だけに重要であるように思いますが、一般民衆ではどうだったのでしょうか。

まず、当時の一般民衆に、どの程度系譜意識があったのかが問題となります。7世紀まではかなり希薄で、氏族もしくは村落などへの帰属意識はあっても、歴代の系譜意識は未発達だったのではないかと考えます。しかし、7世紀末から戸籍の変成が行われるように…

多遺体再葬について、当時の人々は埋めた骨を掘り起こすことについて、どのように考えていたのでしょうか。

これは沖縄などにも残っていた習俗ですが、「再葬」と呼ばれる埋葬の仕方は広くみられたものなのです。原理的には、一度遺体を埋葬し、身体が分解され骨だけになった頃に掘り出し、洗骨して埋め直すという方法です。多遺体再葬は、このような「浄化」を目的…

多遺体再葬すると、自分たちの父祖のルーツが分からなくなってしまうと思います。なぜそのようなことをしたのでしょうか?

これについてはなかなか分からないことが多いですが、恐らく縄文の段階では祖先は個別の存在ではなく、ひとつの霊的な集合体として意識されていたのではないでしょうか。遺骨は、その呪具・祭具のようなもので、特定個人を意味するものではなかった。始祖神…

多遺体再葬墓の話に関心を持ちました。「死」が血の繋がりを強める道具となっていることが、現代社会とは大きく異なっていると感じました。現代では孤独死なども増え、血の繋がりの重要性が薄れていますが、お墓参りの意味なども、昔とは違ってしまっているのでしょうか? / 現在は、人々の生活圏と墓地とが切り離されてしまっていると感じます。ひとつのケガレ観の結果でしょうが、先祖の扱いはなぜこうも変わってしまったのでしょうか。

死・死者へのイメージ、墓地の位置などは、長い列島の歴史のなかでもずいぶんと変遷があります。縄文時代でも、かつては集落の縁辺部にあり、環状集落が作られるようになって、その中心部に位置づけられるようになるのです。しかし、それもやがて、環状の中…

祖先から繋がっていることを表すのに、なぜ円環の構造が用いられたのでしょうか。直線ではない理由も知りたいです。

円環構造は、自然の運行のサイクル、すなわち死と再生を表しているとみられています。四季の巡行、視覚的には月の満ち欠けなどがモデルでしょう。そうしたサイクルに自分も参加することによって、エネルギーの活性化や死者の復活(新たな生命としての再生)…

トーテムは日本には存在しないのでしょうか。

授業でも少し話をしましたが、ヤマト王権はもともと樹木トーテム、葦トーテムであった可能性があると考えています。『古事記』では、神霊が生まれてくる様子をアシカビと表現していますが、これは低湿地の水のなかから、葦が勢いよく伸びてくる、生命力の横…

動物と血が繋がっているという民族意識は、当時の王朝などから迫害される理由になったりしなかったのでしょうか。

重要な指摘ですね。確かに、中華思想において教化されるべき蛮族=夷狄は虫や獣の同類とされました。東夷・西戎・北狄・南蛮という表記にも、虫や鳥が含まれており、かかる発想が現れています。儒教でも、人と動物とは明確に峻別されています。(書きかけ)

トーテム動物には、虎や狼といった強い肉食獣が選ばれることが多いように思いますが、これらでなかればならない必然性はあるのでしょうか。

やはりその強さ、というのは重要な選択の基準でしょうね。しかし一方で、この虎(アモイトラ)や狼がかなり人間に対し被害をだしていたことも否定できません。とくに中国の山林は虎害が激しく、古代から近代に至る種々の説話・記録に頻繁に出てきます。あま…

トーテムの◎2を読んで、今まで牧羊は草原のようなみはらしのよい場所で行うのだと思っていたのですが、山の竹藪でもできるのかと疑問に思いました。

この羊はたぶん、山羊か羚羊かなあと思います。ぼくも、雲南のかなり山の険しいところで、山羊や羚羊の放牧が行われているのをみたことがあります。

古代の人々は、科学が発展した現代を生きる我々より自然への畏敬の念が強かったと思うのですが、どうして自然の神霊はヒトをモデルに作られたのでしょうか。

まず、近代科学主義の我々が自然/文化を峻別して考えてしまうのに対し、前近代社会、民族社会では必ずしもそうは考えないということに注意が必要です。ヒトを至上だとも考えないかわりに、他の動植物を至上だとも考えない。そうしたフラットな地平で世界を…

『旧約聖書』のアダムのようなフィクションと考えられる話と、后羿のような誇張と考えられる話と、私には同一にみえるのですが、何か見分ける方法があるのでしょうか。 / 誇張の問題ですが、トーテム神話も何かの契機を誇張をしたのでしょうか。

フィクションと誇張とは、厳密に区別して使用しているわけではありません。アダムの何百年も生きたという譜文も、通常の人間の寿命を前提とすれば誇張ということになりますし、それほど長寿の人間がいるわけはないとの前提に立てば、フィクションに過ぎない…

ヤコブ=イスラエルの事跡が北に多いことから、当初の勢力が北に強かったことは納得できたが、南に権力が移ったときに、アブラハムやイサクの事跡が多くなるというのが分かりませんでした。

アブラハムやイサクの伝承が、もともと南部地域の集団の族長語りとして多く残っていたということです。南部のユダ王朝が勢力を拡大したことによって、その事象(発言力)を反映し、統一イスラエル民族の系譜に、南側の始祖伝承が多く組み込まれることになっ…

聖書の登場人物の名前が頻繁に被るのは、やはり父祖語りの反復という意味もあるのでしょうか。

同一名称の人物の存在については、概ね3つの可能性が考えられます。1つ目は、単なる錯簡。同一人物を別々に扱ってしまった結果、あたかも2人の人物がいるかのような記述・伝承になってしまったもの。2つ目は、意図的な架上。実際は存在しないものを、何…

社会が複雑化しなければ「代々」の概念は現れないとのお話がありましたが、出エジプトの前13世紀頃、それなりに社会は複雑化していたとは思うのですが、『旧約聖書』が編纂されたのは前5世紀頃と習いました。「代々」の概念はどちらで生まれたのでしょうか。

系譜の発生と権力・階級の発生が密接であるということは、階級発生以前は自他や共同体の区別が明確ではなかったということでしょうか。

過去とは異なる物語りで自集団をアイデンティファイすれば、権力・階級の発生を伴わなくても、系譜を持たなくとも、自他の集団を区別することは可能です。実際に歴史を持たず、神話のみを駆使して共同体を構築している民族集団は、世界に数多あります。昨年…

私のなかでいま、「神話」「聖書のなかの記述」「歴史」の3つが入り交じってしまっていて、どこまでが歴史でどこまでが神話なのか、判断がつかなくなってしまっています。 / 自分たちのルーツを語るものとして考えると、歴史と神話の区別が曖昧になってしまいますが、神が介在するかどうかで判断すればよいのでしょうか?

次回の授業の冒頭でも扱うつもりですが、神話/歴史の区別というのは、案外に相対的なものです。原則としては、神話は起源を示す太古の一時点と現在を直結させるもの、歴史は過去から現在に至る経過を示すものですが、同じ内容を持つものでも、それを必要と…

世界において、なぜ遠く隔たった地域によく似た神話が残されているのでしょう。人間の思考パターンが根本的に似ているからなのでしょうか、それとも長い年月をかけて伝わっていったからなのでしょうか。

一般的には、伝播論と環境決定論、現実的にはその間のグラデーションで考えています。まず、伝播論はいうまでもありませんが、一地域から別の地域へ、文化の形式が伝播してゆくという考え方です。しかし、何者かによって荷担され運ばれても、その形式に強い…