2017-05-13から1日間の記事一覧

弓月君が秦氏の祖であることについて検証が必要、との話であったが、王仁と西文氏、阿知使主と東漢氏の関係も同様にそうなのだろうか。

王仁にしても阿知使主についても、伝説的な人物であることに違いはありませんが、それぞれ『日本書紀』に「書首等祖」「倭漢直祖」と明記されていますので、8世紀初めの段階で、氏族/王権の間に一定の共通認識のあったことは確認できます。しかし始祖伝承…

秦氏は当時の氏族のなかで最も大規模であったとあったが、王権内で登用されていた数も同様に多かったのだろうか。

授業でもお話ししましたが、中・下級の官人としての登用は極めて多いですね。とくに根拠地である山城国へ都が遷ってからは、多くの人材を輩出しています。珍しいところでは、陰陽師でよく知られる陰陽寮や雅楽のメッカ宮内省雅楽寮にも、秦氏の出身者がみら…

夷狄の服属儀礼について興味を持ちました。生殖器信仰と、金剛杵・国土観の問題は、やはり関連があるのでしょうか。

コアな質問ですねえ。昨年の特講でも扱った世界樹、柱、リンガ、須弥山は、すべて世界の中心を示す象徴として、同じものであると考えられます。これも普遍的にみられる神話素ですが、世界に秩序をもたらし所有権を標榜する杖、杭、杵なども同じです。列島を…

路子工の隔離について、隔離は海ではなくとも山でもできると思います。海であることに、何か特別な意味があるのでしょうか。 / 路子工の嶋への隔離は、海へ流すと穢れると考えたからですか。 / 海で散骨をする場合がありますが、これもケガレを流す意味があるのでしょうか。

上でも触れましたが、日本の場合、刑罰としての遠流の地は概ね海に面した周縁部へ設定されています。山への隔離は国の内に危険なものを抱え込むことになるので、国家としては積極的には行わなかったのでしょう。海へ流すことは、やはり上に触れましたが、日…

「海中の嶋」への遺棄について。海へ流すという行為が異界へ帰すという意味ならば、人形を自分の身代わりに川へ流したりする風習は、自分の身代わりを異界へ送ることになるのでしょうか。

もちろんそうですね。人形とは形代ですから。より正確には、自分に付着した罪や穢れを人形に代わって背負わせ、これを他界へ送るということになります。人形のほかにも、平城京段階で人面墨書土器、土牛、土馬、絵馬などが類似の機能を持つものとして用いら…

『日本霊異記』の説話で、長屋王の骨はなぜ土左国に置かれたのでしょうか。

古代律令国家では、遠流の対象国が、伊豆・安房・常陸・佐渡・隠岐・土佐に設定されていました。いずれも島、半島の端、東北地域との境界に当たる部分で、「辺縁部への追放」ということなのでしょう。しかしそのなかでなぜ土佐が選ばれたのかには、少々特別…

日本人は邪なものを川へ流すとの話がありましたが、中国でも死体を川に流すことはありましたし、インドでもガンジス川へ遺体を流す遺灰を流す風習があります。これらはすべて共通の心理に基づくものなのでしょうか。

時代や地域によってずいぶんと考え方が違いますので、一概にすべてを共通とみなすことはできません。ガンジス川は生命の根源たる神聖な河川であり、それゆえに人々は水の物理的な清濁にかかわらず沐浴を行い、魂の浄化と再生を願って遺体を「送る」わけです…

罪や穢れを川に流すこと=浄化と考えられたのはなぜですか。また、穢れの典型である死体を川に流す例は聞いたことがありません。 / 日本に色濃くみられる「ケガレを流す」という考え方は、慰安婦問題への態度にも表れているとの話を聞いたことがある。それは確証のあることなのだろうか。

川や海など、大量の水の持つ浄化作用(もちろん根本的な浄化ではなく、「拡散」に過ぎないわけですが)を、経験的に知ったことに由来するわけですが、それだけ日本列島が水の豊かな環境にあったということです。また、海の向こうには浄穢渾然一体の他界があ…

ハンセン病が古代から忌み嫌われていたとすれば、彼ら独自のコミュニティは存在したのでしょうか。

残念ながら史料的に確認はできません。近代に至るまで、発症者は共同体に止まることができず、漂泊を余儀なくされる場合も多かったと考えられます。中世の『一遍上人絵伝』などにみるように、路傍に座り込むハンセン病患者の姿は、古代でも見受けられたでし…

古代には、ハンセン病の流行はあったのでしょうか。

古代の医療情況では、感染すると完治できない業病であり、それゆえに感染経路や予防措置などは講じられていなかったので、近代以降より発症率は高かったはずです。しかし感染力が弱いことから、いわゆるパンデミックなどが招来されることはなかったでしょう。

古代の日本人は、自分とは異なる存在を畏怖の念をもって神と祀ったと思います。そうした意味でいえば、ハンセン病患者も「神」に当たるのではないかと思うのですが、なぜ差別に繋がったのでしょうか。

確かに、前近代の列島社会においては、他とは異なる障がい者を神聖なものとして遇する風習もあったようです。北海道洞爺湖の入江貝塚から出土した縄文期の人骨「入江9号」は、小児麻痺により四肢の動かなくなった女性が、成人するまで生存していたことを明…

共通との相違ゆえの忌避というのは、マジョリティであらねばならないという現在の風潮に通じるものがある。日本は単一民族国家であるという幻想のなかで生きているせいだと思っていたが、古代でもそうなのだろうか。

確かに、近代国民国家下の社会よりは古代社会のほうが、差異については寛容であり、多様性を保持していたと考えられます。前近代の差別などを扱う通常の研究も、そういう「括り」を付けたがるんですね。しかし今回の講義では、そうした常套的なまとめのあり…

どこの民族がどういう言葉使いだからどこの民族出身だ、などと定義づけられていたが、その地域の一族が別の独立した民族であるという境界はどこなのだろうか。朝鮮半島や中国の場合、陸続きのため、完全に違うというのは難しいのでは?

まず、民族という概念に誤解があるかもしれません。民族とは、人種のような自然科学的生態学的概念ではなく、あくまで文化的社会的概念です。すなわち極端なことをいうと、(そういう事例は滅多にありませんが)人種が異なっていても同一の民族文化を共有し…

この時期に国という単位があったのでしょうか?その国の人々は、自分は○○人だという自覚があったのでしょうか?

近代国民国家のような統一された状態ではもちろんありませんが、多様な事情から移動のなかにあった人々ほど、居住地域のコミュニティに比して高次なレベルの共同体意識を、何らかの形で持っていたようです。それは、交通や流通について、王権や国家などの高…

1923年の『癩患者の告白』は、絶対隔離に対して予想される患者や家族からの抵抗を解消するため、楽園イメージを強調したものではなかったのでしょうか?

当然検証すべき重要なことですが、内容や形式・分量の多様さ、告白内容の苛酷さ、収容所への改善要求が(恐らく自粛のバイアスがかかっていたはずであるにもかかわらず)比較的多いことからすると、捏造というには当たらないだろうと評価されています。収容…