2017-05-19から1日間の記事一覧

神話には、複数のもので一部内容が酷似しているものがあると思いますが、それはどのようなメリットがあってオマージュしたのでしょうか。それとも偶然でしょうか。

神話は概ね集合的なものですので、作家主体の明確な文学のように、意図的に何かをオマージュして構築される、という見方はできません。国や地域、始祖に関するさまざまな伝承、森羅万象の起源を伝える多様な神話は、それぞれ、世界中にさまざまな形式があり…

ヒボコの神宝のひとつの布(領巾)とは、夫の船出を見守る松浦佐用姫伝説にも登場しますが、昔から波などと関連づけられていたのでしょうか?

必ずしもそうではありません。日本では女性の装飾具で破邪の呪力を秘めたものとされ、古くは『古事記』神代巻におけるオホナムチの根国訪問譚で、スサノヲの試練として蛇の室、呉公・蜂の室で一晩を過ごすことになったオホナムチが、スセリビメの助けを得て…

アメノヒボコは新羅の王子なのですから、朝鮮式の名前もありますよね? その名前から、どうしてアメノヒボコという名になったのでしょうか?

これが本当に新羅に由来する神話なのか、それとも幾つかの半島由来の要素を組み合わせ、日本で作り上げたものなのかは、議論が分かれるところです。後者の場合、「ヒボコの朝鮮名は何か」という問いには、あまり意味がありません。ただし、朝鮮三国も漢字・…

天之日矛の話で、「卑しい女」「卑しい男」が出てきて、男は女から赤い玉を貰っていますが、この赤というのは、太陽を表す意味での赤なのでしょうか。また、「卑しい女」というのは、生み落とされたものの高貴性を妨げることにはならないのでしょうか。

恐らく、太陽の力の象徴とみてよいのでしょう。「卑しい女」「卑しい男」は、一般の男女という意味で構わないだろうと思います。しかし、この筋書は確かに複雑で、なぜアカルヒメの誕生にこの男女を介在させなければならないのかは、よく分かりません。恐ら…

牛が疫病の象徴としても現れることを考えると、水の神と疫病の神が、同じモチーフに委ねられるというのは、水害と疫病が密接に関係しているため、とみることは可能ですか(半島では疫病を牛モチーフでみることはあるのでしょうか)。

その可能性はありますね。一昨年の特講ではそのあたりを詳しくお話ししたのですが、中国南北朝時代には、洪水と疫病流行がセットになった終末観が語られます。そこでの疫神の継承は人間形であって牛ではないのですが、やがて仏教における地獄の獄卒が牛頭・…

北陸出土の新羅の遺物という方形板は、何に使うものなのでしょうか。

冠の装飾ですね。講義で例示した、方形に対角線が入り二葉文を用いる形式は、中国遼寧など東北部から高句麗を介し、新羅へ受け継がれる様式であると考えられています。

厳島神社と市杵嶋姫命は、読みは同じで漢字は大きく異なっていますが、二つに何か関係はあるのでしょうか。

厳島神社も、市杵嶋姫命を祀る神社です。宗像三女神は航海の安全を保障する神格として各地に波及し、平安京内、例えば藤原良房の邸宅にも奉祀されていたことが確認されます。イツクシマ自体は、シマそのものを神格としてイツク=崇め祀ることを意味しますの…

秦河勝が建てた広隆寺が、かつて北区の平野神社の付近にあったのはなぜでしょうか。また、秦氏は仏教興隆に尽くした氏族なのに、彼らの本拠地の太秦周辺に神社ばかりあるのはなぜなのでしょうか。

葛野秦氏は7世紀に至っても前方後円墳を造営していたとのことですが、他にも同時期に前方後円墳を造営していた氏族はあったのでしょうか。

なぜ、大酒神社は「辟」の字を使わなくなってしまったのでしょうか。

恐らく、松尾大社が中世から近世にかけて酒の神としての霊験を強めていったこと、秦氏の伝説的始祖酒公に仮託したことが原因です。治水の機能、水路保護の機能などは広隆寺や大井神社も分有していたため、大酒神社のオリジナリティを強調する必要があったの…

葛野秦氏は、玄界灘の宗教環境を本拠地に再現していたため、北陸から可能性は低いとのことでしたが、このような宗教環境が伝聞によって再構成された可能性はないのでしょうか。 / 葛野秦氏は、なぜそもそも玄界灘の宗教環境を再現したのか。玄界灘に宗教的なアイデンティティーを持っているのでしょうか。

考古学的には、秦氏の渡来と前後して、海人集団の東遷という事態が生じています。北九州地域の海人集団に固有の遺物が、瀬戸内海や淀川周辺の古墳等から発掘され、北九州から畿内諸国へ、海岸部から内陸部へという、同集団の移動があったのではないかと推測…

ハタ・ハダなどの読み方の違いがあるが、それらはどう推測するのか気になった。また、漢字の読みなども、本当に当時の人々はそう読んでいたのだろうか。

漢字を表音文字として用いる部分があれば、中国音韻との関連などから、どのように読んだかは推測かのうです。秦氏の「秦」も現在はハタと訓むのが一般的ですが、波陀との音韻表記があり、蔚珍波旦との関係が強いとすれば、ハダと訓むべきだとの見解も出て来…

秦氏の由来や古韓音の話を聞いて考えたのですが、日本の古代の書物に出て来る人名などの由来を考えるときは、本文に用いられる漢字より、その音の響きを重視して考えた方がよいのでしょうか?

そうですね、まずは音です。奈良時代までの場合、人名表記が異なる漢字で書かれることも少なくありませんので、音に注目したうえで、なぜその字が当てられているのか、あらためて考えてみる必要があります。例えば「蘇我蝦夷」ですが、エミシというのはもと…

ギルガメシュ神話や『古事記』に出てきたように、不老不死に憧れを抱くのは、いつの時代も同じなのでしょうか。

ギルガメシュ神話などでは、これまで怖いもの知らずだったギルガメシュが、親友エンキドゥの死によって生の有限性を痛感する、という流れになっていますね。『史記』始皇帝本紀では、皇帝となって絶大な権力を掌握した秦王政が、神仙思想との出会いを通して…