2017-05-26から1日間の記事一覧

1948年に制定された「優生保護法」について調べているのですが、これも「旧土人保護法」同様に差別感のあるものでしょうか。

妊娠中絶の権利、あらゆる個体生命の尊重という点が密接に関係してきますので、一概に価値判断を下すことは難しいですね。例えば、時代性の問題。東京大学の東洋文化研究所の所長を務め、国立民族学博物館の創立にも加わった文化人類学者泉靖一は、朝鮮半島…

適切な表現かどうか分からないのですが、アイヌ語を他の方言と同じだと考えると、同じ日本人なのかなと思います。差別されたアイヌ民族は、抵抗や反乱はしなかったのですか。 / 本州で生まれた人間が、アイヌ民族や沖縄の人を同じ日本人だと思うことは、よくないことですか。

まず、国民国家の主権概念としての「日本国民」と、民族文化的要素を包含する「日本人」という語を、きっちり区別して議論しなければなりません。そのうえで、彼らの主体性に立って、ものごとを判断すべきです(アイヌ語については、いわゆる日本語とはかな…

日本は明治以降万博に出展し、先住民族の文化としてアイヌの展示を行ったとされています。なのに現在その先住性を否定するというのは、ダブル・スタンダードで違和感を覚えました。

確かに、「先住性を認めるか否か」という点では、180度意見が違ってしまっていますね。しかし、差別性という意味では、同じ構造を抱えています。先住民族としてのアイヌ文化を「展示」するということは、実はこの時代、優生学的な差別思想を含んでいるのです…

たしかに先住民族に対する政府の対応はよくないものだと思う。しかし私は、阿寒湖にあるアイヌコタン村へ興味本位で行ったことがあるが、とても不気味で二度と行きたくない触れたくないと一種の恐怖を感じた。これが昔もそうだったら、支配し和人化したくなる気がした。みんなも、まずアイヌを体験してから意見をいうべきだと思った。

うーん、難しいですね。傷つかずに聞いてほしいのですが、そうした「不気味さ」を覚える感性こそ、実は差別の根源です。なぜ不気味だと感じるのか、恐怖を感じるのか、そのことをよく考えてみてください。実際には何もされてしまうのに、何かされるように勝…

アイヌ解放同盟は道庁爆破を行うなどの新左翼系の組織であると思うが、連合赤軍のような吊し上げの行為に及んでいるならば、機動隊の存在も当然のことであるのではないか。

どこでそういう話を聞いたのかは分かりませんが、1976年の北海道庁爆破事件については東アジア反日武装戦線が犯行声明を出しており、これも明確な証拠がないので分かりませんが、左翼過激派で同戦線とも交流があった大森勝久が逮捕されています。前後の爆破…

北大の事件で、「アイヌを排除した」という講義は具体的にどういうことなのか。区別ではなく排除、というのが気になりました。

「排除」は、「北海道経済史は日本人を主体にした開拓史であり、アイヌの歴史は切り捨てる」という林教授の宣言を意味します。つまりその学問のあり方自体が、アイヌの存在を排除することによって成り立っている。林は、「開発は和人が主体であり、アイヌは…

先住民族の権利に関して、国連から勧告があるにもかかわらず、日本政府が公認しないのは、政府にとってどのようなデメリットがあるからなのでしょうか。

例えば沖縄について、琉球王朝を独立した主権国家として認めてしまうと、それを強制的に併合した帝国日本の責任が問われます。賠償責任なども生じうるので、例えば現在のように沖縄へ日米安保に基づく基地負担を押しつけるなどの理不尽は、まったくできなく…

固有の民族文化を守ろうという現代の人々の上からな「保護意識」も、同じようなものに感じました。

「サバルタンは語ることができない」、すなわち代弁の暴力という意味では、そのとおりです。しかし誤解してほしくないのは、国連の「先住民族の権利に関する国際連合宣言」は世界の先住民族が主体的に働きかけた結果として採択されたものであり、いわゆる「…

「旧土人保護法」について、アイヌの教育支援を行うことがアイヌ文化の村長になっていないなら、共存は非常に難しいと感じました。昔になればなるほど、なぜ排他的思想が強いのでしょうか。

「旧土人保護法」の同化政策は、アイヌの独自の文化を解体することに主眼があり、そもそも「共存」ではなく「吸収」を目的としていたのです。異なる価値をお互いに尊重し合うのではなく、自分の価値に屈服させようとしたわけです。現代と当時とどちらが排他…

2015年に修訂される前の教科書は、なぜ認可されていたのですか。政府の考え方が変わったということですか。

そうです。2015年に適用された新検定基準には、「政府の統一的見解がある場合は、それに基づいた記述をする」との項目が、新たに付け加えられました。これは、例えばまったく政治思想の異なる政権が誕生した場合、そのイデオロギーに基づいて歴史記述の取捨…

渡来人の問題について、一方で差別し抵抗意識がありながら、一方で受容しあるいは信仰する心理が、正直よく分からなかったです。心のどこかで畏怖の念を抱いていたのでしょうか。

非常に難しい問題ですが、渡来人に限らず、人間は自分の日常的世界を侵犯する未知なるものについて、期待と拒絶という両義的な心理を持ちます。これは共同体の古代祭祀にも反映していて、村落の周縁=境界で行われる祭儀は、来訪神が善なるものであった場合…

国誉めが占有に繋がるということが気になった。なぜそのような論理になるのだろうか?

国誉めは、言葉の力を借りて土地のエネルギーを活性化する行為です。大化前代においてそれが許されたのは、その地域と人格的な繋がりを持つ地域首長であったと考えられています。それゆえに、国誉めは支配の確認であり、例えばその地に名を与えるという地名…

新羅の王子が帰属を求めて日本へ来たというのが本当だとすると、そのメリットは何でしょうか。わざわざ日本に属する理由が思いつきません。

いや、アメノヒボコ伝承自体、やはり、史実として「帰属」を願い出たものと読むことはできないでしょう。『日本書紀』のほうにみえる帰属の経緯を語る具体的な記述は、恐らくは粉飾です。しかし、「弟に王位を譲ってやって来た」という言説形式は、自国で政…