2017-06-05から1日間の記事一覧

レポートは3000字さえいけば、何字まで書いても大丈夫ですか?

大丈夫です。どんと来い。しかし、限度は弁えてくださいね…。

史学系以外の参考文献「のみ」引用して、レポートを作成することは大丈夫ですか?

そのことに必然性があれば構いません。しかし、歴史系の授業で、しかも課題が歴史学的な内容なのに、非史学系の参考文献のみで書くというのは、かなり恣意的なのではありませんか? 他学科からの受講としても、そもそも他学科の授業を取って勉強する意味がな…

博物館レポートについてですが、美術館でも大丈夫でしょうか? / 博物館レポートの〆切や様式について教えて下さい。

一度ガイダンスのときに説明したことですが、なるべく歴史に関係あるものをみていただきたいものの、美術館見学でも構いません。また形式については、1000字程度であれば、どんな形式でも構いません。内容は見学したものの概要と、それに対する自分の感想・…

季節の始まりを冬にすることは理解できたのですが、1週間の始まりには理由があるのでしょうか?

キリスト教的には、創世記に由来する天地創造の日数です。また七曜は、太陽・月をはじめ、天文学上の重要な天体を用いて暦をなすもの。これらの知識から、時間を分ける基礎的なカテゴリーとして設定されたのが、現在の「週」の原型です。きちんと立証したわ…

メモワール間で、年代や日付、人名の相違など、意見や事実が食い違っていることはあるのですか?

上にも少し述べましたが、同じ事象を扱っていながら、そうした細かな差異がみられることは確かです。実証主義歴史学の全盛期においては、そうした場合どちらが正しいのか、あるいは両方ともが誤っているのか、史実か否かの検証が第一義とされ、それに叶わな…

ルイ14世の親政の前後に流行したメモワールは、読者に読まれることでどのように自分のポジションが変わることを期待したのでしょうか?

例えば、フロンドまっただなかの1652年に枢機卿に就任した、ジャン=フランソワ=ポール・ド・ゴンディ(レ枢機卿)。彼のメモワールは名作として高く評価されていますが、他の史料では検証が難しい出来事、事実か虚構か判然としないこともさまざまに記され…

ルイ14世の治世以前には、メモワールのようなものはなかったのでしょうか?

もちろん、自伝や回想録の類は書かれていました。ユリウス・カエサルの『ガリア戦記』や、アウグスティヌスの『告白』なども、いってみればひとつのメモワールでしょう。しかしヨーロッパにおいて、実際に"mémoires"という書名を持った書物は、16世紀より前…

コンドルセの時点で、キリスト教と科学が完全に分離し、対立したという理解でよいのか?

実は、次回お話しするランケの実証主義歴史学においても、宗教と科学は完全に分離していません。彼も、客観性の根拠としてしきりに〈神〉を持ち出します。また、冒頭の授業でもお話ししたように、それは現在も同じなのです。単に、説明の仕方が宗教に依拠し…

コンドルセ『人間精神進歩史』の進歩史観が、量的拡大を基準にしている点に限界があることは理解しました。しかしその「限界」とは、何に対しての限界なのでしょう。

重要な質問ですね。ここでいう「限界」は、現在の歴史学、あるいは思想を基準にしてその到達度を測ったものでしかありません。具体的にいえば、太古から現在に至る時間の流れを単純に進歩と捉えるのではなく、個々の時代の特徴・固有性を充分に認識し、展開…

科学革命について、ニュートン以前/以後で時間の認識が異なることに驚きました。しかしその「認識」が、人々にどの程度浸透していたかを確認することは可能なのでしょうか?

ニュートンらの影響を受けた啓蒙主義の議論については、アカデミー・フランセーズを中心に起きたものですので、みな何らかの著作を残している知識人であり、そうした限られた階層、範囲ならば検証することが可能です。ただし、一般庶民も踏まえてとなると、…

ラ・ポプリニエールについて、「神」を理由にしてしまったら、客観的といえるのでしょうか。

あくまで、キリスト教の価値観が中心をなしていた時代のことです。神は絶対的な存在で揺るぎないものであり、善悪、真偽、さまざまな判断基準が神に帰せられます。同時に、それが信仰というものです。

中立の立場というものは、いつの時代にも何らかの制約を受けていたと思いますが、今もこのような事象は起こってしまうのでしょうか。

中立というのは、現実にはなかなかありえないでしょうね。例えば、AがBをいじめている、Cはそれを一歩下がって客観的にみている、このCの立場はAのあり方を強化し、Bの置かれている情況をさらに悪化させるだけです。表面的に中立にみえることが、何かに対し…

ラ・ポプリニエールがいうところの「トゥキディデスからランケへ」というフレーズにヘロドトスが入っていないのは、彼が実証主義的な記述をしていなかったからと考えていいですか。

ぼくの説明の仕方が悪かったのかもしれませんが、質問の「 」内はラ・ポプリニエールの言葉ではなく、一般に実証主義歴史学の成立を論じる場合には、という意味です(ポプリニエールの生きた時代に、未だランケは生を受けていません)。しかし一般的な意味で…

カトリックとプロテスタントの年代計算が異なってしまうのは、同じ聖書を根拠にしているのになぜ生じたのでしょうか? 言語の相違、翻訳のずれでしょうか?

例えば、ギリシャ語訳聖書として最古の七十人訳では、ヘブライ語やアラム語の聖書に含まれない、外典や偽典とされたテクストが多く含まれます。プロテスタントでは、ルター以来、ヘブライ語・アラム語の古写本を持たないものは聖典として認めない立場をとっ…

キリスト教普遍史の年代学論争が不毛だと思う前に、プロテスタントがイエス生誕を創生紀元3963年としたならば、終末はまだまだ先なのではないか?

授業でもお話ししましたが、プロテスタントの依拠したタルムードのエリアの預言は、世界自体を6000年の持続とみたほか、「我々自身の罪のために月日は更に省かれる」とも述べていました。それが明確な年数でないところがミソですが、すなわち自分たちに対す…

実証主義以前の歴史観にキリスト教の影響があったことはよく分かったのですが、これは例えば、他の地域・宗教にもみられることなのでしょうか。 / キリスト教が普遍史の根拠になったのは、何か必然性があるのでしょうか。もしキリスト教がなかったら、他の宗教でも普遍史を形成しえたのでしょうか。

例えば仏教にも、キリスト教の創生紀元、キリスト生誕紀元ほど統一的な議論は行われていませんが、種々の教派、経典に仏暦、ブッダの死後現在に至るまで何年が経過したかという計算が存在します。それを通じて、インドでも中国でも、キリスト教のような終末…

なぜヨーロッパの人々は、大航海時代を通じて得た中国史の知識を、論理的に否定することができなかったのでしょうか?

もちろん、科学革命と大航海時代のなかで、聖書に書かれていない、中世的神学では想像だにしなかったような現実が出来し、聖書のみを盲信する姿勢に種々の疑惑が生じていたことが大前提です。まずそのために、「聖書は神の歴史であり、誤りなどはない」とい…

「歴史が繰り返される」ことと、「同じ社会情況が生じる」こととは、どのような違いがあるのですか?

「歴史が繰り返される」のは、古典古代的な意味で、文字どおり。円環的な時間認識において、まったく同じことがまた起きるということです。しかしそもそも、現在の学問的認識においては、「歴史」は言語による構築物に過ぎず、過去そのものではありません。…