2017-06-09から1日間の記事一覧
授業で説明したとおりですが、日本史リブレットなどが、全体を時間をかけずに読むのには手頃です。関口明他編『アイヌの歴史』も、教科書的な簡便な記述で、古代から近現代に至る長い歴史を整理しています。コシャマインのよい史料というのは、実はなかなか…
ちゃんと説明していなかったかもしれませんが、中近世移行期までの白神山地は、針葉樹林主体、ブナなどの落葉広葉樹林がそれに混在する形の植生でした。それが、略奪林業によって針葉樹林が伐採された結果、用途のないために残されたブナ林が成長・拡大し、…
辞書をみてください、ルゲンまたはルゴンとも読みます。確かに、一般的な読み方ではないかもしれませんが。ぼくは僧侶なので、漢字を呉音で読む癖がありますが、呉音読みは漢音読み、唐音読みよりも古い読み方であるだけで、間違いではありません。
やはり、蝦夷地の厳しい自然環境を考慮しての差別的措置でしょう。さらに、3万人にも及ぶ一般農民を移住させれば、諸藩の財政が立ち行かなくなります。生産活動に従事していない被差別部落の人々を「駆使」するのが、最良の方法と考えられたのでしょう。
アイヌの交易は、樺太アイヌや千島アイヌと連携しつつアムール側流域の山丹交易とも結びついていましたので、松前藩としては彼らを必要以上に抑圧するのは、手の届かない樺太や千島との関係悪化も招き、得策ではなかったと思われます。最上徳内らが調査した…
鷹匠や鷹待は、戦さとは関係がありません。彼らが使う鷹は鷹狩りの鷹で、高貴な人物への、あるいは高貴な人物間の贈答品として用いられます。これもアイヌにとっては重要な交易品であったわけですが、和人の鷹待が直接蝦夷地へ入り込み、彼らの狩猟のルール…
北海道旧土人保護法のところでもお話ししましたが、アイヌは土地所有の観念を持っていません。より厳密にいえば、狩猟や漁労の場として活用するそれは共同体所有であり、個人の所有ではないのです。松前藩やその許可を得た承認、金掘人夫、鷹待らが押し寄せ…
やはり、前回の質問に対しても述べましたが、幕府では田沼意次頃に至るまで、蝦夷地を日本領とは一切考えていなかったということが重要です。それはある意味で松前藩も同様であり、いわゆる領域支配は行っていなかった。田沼の行った勘定奉行普請役、最上徳…
先行の研究書では、「松前藩の所行は戦国大名として特別異常であるわけではない」という表現をしています。確かに、だまし討ち、皆殺しは、戦国時代の各地にみることができます。ただし、アイヌ社会においてはそうした所行は一般的ではなく、それゆえに何度…
蝦夷地は松前藩の領土ではなく、その土地が家臣らに分割されているわけではありませんので、彼らは基本的に城下町に集住しています。アイヌの領域に設定された場所=商場における交易権が知行として与えられたといっても、まずは交易に必要な物品を確保し、…
どうなんでしょうねえ。蠣崎はあくまで武田信広が女婿となって嗣いだ氏姓であり、檜山安東氏の分家を意味しているので、豊臣・徳川から独占的権益を承認されたことを契機に、安東を宗主とする血族関係から独立する意味で、「松前氏」を名乗ったのではないか…
統一政権の認可ですから、当然必要です。蠣崎氏が特別にというわけではなく、各地の大名たちが、天下人に追従することで本領安堵を求めたのと、まったく変わりません。承認を得ずに交易を続けることは統一政権に逆らうことであり、また場合によっては政権の…