2017-06-16から1日間の記事一覧

吉原は水にまつわる場所であるが、同じ京都や金沢の花街も河川の側にあったと思う。この配置には、何か意味があるのだろうか。

どうなのでしょうね。あまり軽々なことはいえないのですが、ひとつには花街が置かれるような場所は、まず交通の要衝であったということでしょう。いわゆる非公認花街の岡場所も、当然のことながら、人が往来し宿泊する宿場や街道沿いに出現します。新吉原も…

◎1について。蛇に転生した姥を神として祀る話が出てきますが、災禍をもたらすものをなぜ祭祀しようと思ったのでしょうか。

列島文化における神祇への信仰は非常にプリミティヴで、神は、常に災禍と福慶の双方をもたらす両義性を持っていました。神の求める祭祀を適切に行えば、神は我々を守護し豊かな実りを授けてくれる。しかし適切な祭祀が行われない場合には、天譴とも祟咎とも…

姥ヶ池の伝承では、どのパターンでも娘は殺されてしまいますが、例えばやはり神として信仰されるなど、殺された娘へのケアなどはないのでしょうか。

浅草の姥ヶ池の伝承ではみたことがないのですが、

「水の女」という云い方は、江戸だけでみられるものなのですか?

遊女はおしなべて差別される存在だろうとは思いますが、花魁のようにその知性から尊敬される遊女もいたと思います。私は、こうしたセックスワークの差別には、学の有無もあるような気がしますが、どう思いますか?

女性に対する差別は、例えば鎌倉時代では、女性が家督を相続することもあり、女性の権威は弱くなかった印象がある。『もののけ姫』で出てきたような。「女が元気な村はいい村だ」といった考え方は、女性差別と何か関係があるのだろうか。

女人禁制の寺院やパワースポットなどもありますが、それらも性差別だといえるのでしょうか。また、先生は宗教と性との繋がり、そのなかの差別についてどう思いますか。

女性の社会進出にいって子育てをする余裕がなくなり、少子化に繋がっていると聞いたことがありますが、この両立は難しいでしょうか。

「男は外で働き、女は家庭を守る」という考えは確かに近代化において作られたステレオタイプであるが、旧石器時代からの男女の体質などの条件から、向き不向きがあって生まれてしまったものなので納得できるところもある。

もし租税が米に設定されていなければ、地域それぞれの環境ごとに多様な食文化が根差していたはず、とのお話がありましたが、以前他の先生の講義で、「歴史を学ぶうえで過ぎたことに対し、あのときどうしてこうしなかったのか」と現代の人が思ってはいけない、と話されていました。しかし、現状として、かつてアイヌが直面したような情況が世界各地で繰り返されているとすると、現状はもちろん、過去の人々を批判する気持ちも生まれます。どういった目線で歴史的事実を捉えるべきなのか、分からなくなりました。

アイヌに限らず、多くの少数民族は支配されてきた側だが、支配されなかったら繁栄していたのか?といわれれば、そうでもないような気がした。大きい枠組みに支配されることで、文化の波から守られたのではないかと思う。

男尊女卑の根源となる考え方は、いつ、どこで生まれたのでしょうか。