2017-01-01から1ヶ月間の記事一覧

東学農民に対して殲滅作戦を展開した日本に対し、いま国際的な批判があまりないようにみえるのは、北大の頭蓋骨発見以降、かなりきちんとした対応がなされたからでしょうか。歴史的事実としては、もっと批判されてしかるべきだと思うのですが…。

全面的に「そうだ!」といえるならよいのですが…。確かに、一方でこの件に関しては北大などが対応を誤らなかった(北大が、というより、事件に直面した教員たちが、誠心誠意尽力したのだと思います)ことは間違いありません。だからこそ、韓国国内でも大きな…

『夷酋列像』の左衽ですが、ただ単に書き手の誤りということはないのでしょうか。 / 昔、「アイヌの人は衣服を左前に着ていることがありますが、これはアイヌの伝統です」との文を見た記憶があります。曖昧な記憶ですが、これは書き手が誤った知識を持っていたということでしょうか。

「被髪左衽」は、中国文化においては夷狄表象の最も一般的なものなので、知識人の常識のひとつです。また、蝦夷錦は中国清の官服ですので、すべて右衽で着るようにできており、左衽では着られないものなのです。よって、『夷酋列像』の左衽表現は書き誤りな…

エミシの時代にも、アイヌのような北方交易はあったのだろうか?

授業でも源頼朝が水豹の障泥を用いていた事例を紹介しましたが、もちろん北方交易は存在したと考えられます。すでに10世紀の『延喜式』交易雑物では、獣皮や熊胆などが貴重な交易品として規定されていました。『奥州後三年記』『台記』『吾妻鏡』など、院政…

東学党の思想のうち、「有無相資」は、現在でも広まればいいなと思います。それは可能だと思いますか?

例えば、一昨年話題になったピケティの議論では、資本主義に内在する社会的格差を是正してゆくためには、国際的な富裕税の導入、すなわち世界規模での富の再分配を制度化してゆくしかないといわれています。これは、表面上は「有無相資」に近いですが、「人…

邪教とされた東学党が、現在、民主運動の始まりとして理解されているのはなぜですか。

当時東学党が邪教とされたのは、反政府運動すなわち逆賊であったことや、日本政府の喧伝によるところが大きかったものと思われます。現在は、客観的な歴史理解のなかで、民衆救済を意図したその思想や運動が評価されているということでしょう。その民族運動…

東学党は、もともと反乱を起こすために創られたのでしょうか? 下層民に支持されるような教え、斥倭斥洋の思想は、日本に対して非常に好戦的であると感じました。また、19世紀には、日本でも天理教、大本教、黒住教などさまざまな新宗教が誕生していますが、何か共通の理由があるのでしょうか。

最初の党首であった崔済愚には、反乱の意志はなかったかもしれません。しかし、彼が無惨な殺され方をしたために、政府に対して不満を持っていた民衆のエネルギーが爆発した、といえるでしょう。当初の反乱は政府に対してのものでしたので、日本軍に立ち向か…

司馬史観は、どのような経緯で発生したのでしょう。また、どうしてある程度世間に共有されるような思想になったのでしょうか。

司馬遼太郎は、一時期、国民作家ともいえるほどに「読まれた」、時代小説家でした。『竜馬がゆく』『花神』『翔ぶが如く』『最後の将軍 徳川慶喜』『功名が辻』など、NHKの大河ドラマ化された作品も多く、他の局のドラマ、映画になった作品も数えきれません…

中学までの私は、日本は支配したくて戦争をしたと思っていましたが、本当は朝鮮の独立を望んでいたのだと知りました。

え、どうしてそういう理解になってしまったのでしょうか。「日本は朝鮮の独立を望んでいた」などという話は、一切していませんので、もう一度プリントなどしっかり読み直して下さい。日本は朝鮮を大陸進出の足がかりとして植民地化してゆきますが、その最初…

東学党首魁の首が、なぜ北大に持ち込まれたのか不思議です。そのリーダーは、日本と何か直接的な関わりを持っていたのでしょうか?

日本と何か意味のある繋がりがあったのではないと思います。佐藤政次郎が珍島を調査した際に、さらし首になり、恐らくは腐敗して、白骨化した頭蓋骨を発見したのでしょう。墓暴きなどより、楽に採集ができたのだと思います。また、「日本に反抗的な朝鮮人の…

北大の頭蓋骨の件、発見状況からすると、1995年以前にも、その存在を知りながら隠匿していた人々がいるということだろうか。

戦後しばらくの間は恐らく事情を知る人間がいたはずですが、70年代以降は、何の骨か確認されずに、他の標本類と一緒にされていたのではないでしょうか。「人骨」「ワレモノ」というダンボールのマジック書きも、あまり悪意はなかったのだと思います。ぼくも…