2017-10-11から1日間の記事一覧

北條先生が平等に歴史をみるとしたら、何を基準として正しいと考えますか?

公正平等にみるためには、何を基準とするかより、まず自分の主観を徹底的に検証することが大切でしょう。自分はなぜこの史料を、いま考えているように読もうとしているのか。自分が下した判断、結論には、政治的なバイアスが作用しているかどうかなど、常に…

日本人について、例えば電車での置き引き被害などが少ないのは、単に他人に対して無関心だからなのではないかと思えます。本当の日本人の姿とは、どのようなものなのでしょうか? こうしたことに答えはあるのでしょうか?

「本当の…」という形容詞を付けると、あたかも日本人たる本質そのものがあるかのように誤解してしまいますが、そもそも「日本人」という括りで表現できるものが何なのかを考えるべきでしょう。それは日本国の国籍を持った国民なのか、それとも日本民族なのか…

ランケについて、なぜキリスト教的な神の占めていた部分に、同じく宗教の神ではなく、天皇が据えられていったのですか? / 日本はそれを、自覚的に行ったのでしょうか?

やはり近代日本においては、天皇が現人神として、強固に位置づけられてゆくからでしょうね。前回お話しした国体の生成過程と対応しつつ、天皇を不可侵で真正な神聖な存在と位置づける議論が展開してゆきます。ナショナル・ヒストリーの編纂を期待された重野…

近代日本の実証主義歴史学には、現在主義的な中国的歴史観が残存していたり、皇国史観もあったが、「愛国心」を育てるために歴史を枉げてしまうことはなかったのですか。

厳密にいうとどうであったか分かりませんが、およその傾向としては少なかった、もしくはなかっただろうと思います。実証主義の価値観に沿って政治に迎合しなかったからこそ、純正史学/応用史学の区別が成り立ち、後者が一種の言い訳の場、逃げ場になってい…

当時の抹殺史学が主張していた、「天皇は朝鮮からやって来た」という説のような、今は抹殺されて、私たちの知ることのできない説や史実はありますか?

「天皇は朝鮮からやって来た」という説は、いまのわれわれが知ることのできない学説ではありません。例えば、江上波夫の唱えた騎馬民族征服王朝説は、「3〜4世紀に大陸から騎馬民族が九州に渡来して崇神王朝を樹立し、5世紀初めに近畿へ移動して応神王朝…

主観性を排除することは不可能ではないでしょうか。史料が文字で記されている以上、無理だと思うのですが、重野がいうように、事実のみをありのままに証明するなど可能なのでしょうか? / 昔の時代の文献には、編纂または記述した人の主観が入っているのでは内か?歴史の史料で過去を明らかにすることに客観性はあるのか?

何度かお話ししているように、真正な意味での客観的な記述は実現することができません。また、これも何度もお話ししているように、歴史は物語りであり過去そのものではありません。叙述・記述である限り、あらゆる史料もまた客観的なものではなく、主観的で…

客観性について、これを研究において重んじているのなら、論がぶつかるのはなぜでしょうか。同じ客観的立場に基づくとき、みているものは別になるのでしょうか。

すなわち真の客観性など実現できず、どれほど徹底しても、せいぜい集合的主観性の範囲を出ないためです。人間の把握している世界=環世界は、言葉と身体によって創出されますが、家族>その他の中間的集合>地域>国家などの共通枠を重層的に持ちつつ、同時…

実証主義によって否定された現在主義ですが、それにも一理あるのではないでしょうか?

もちろんそうです。現代歴史学の最前線では、例えば実証主義歴史学によって生み出された過去をhistorical past、前近代の多様な歴史実践に基づく過去をpractical pastと呼んで区別し、かつて「非科学的」と斥けられた後者の豊かさに注目しています。現在の価…

民間史学は、アカデミズムを批判していたのだと思いますが、のちの実証主義のように排斥されなかったのでしょうか?

近代日本の筆禍事件をみてみますと、たいていは社会が過敏に反応して特定の人物の集中攻撃を始め、それを追認する形で国家権力による処分が行われる形が多いようです。実証主義史学は、それまで一般的であった歴史観を攻撃的に排除したため、そのしっぺ返し…

福澤諭吉は「慰安婦制度を作った」とのことですが、詳しく教えて下さい。

「作った」というのはいいすぎで、正確には、その淵源をなす議論を行った、ということです。福澤諭吉の議論は、明治の廃娼論争に関係して世に出ました。福澤は、近世的娼婦を人間以下の生業と批判しつつも、大陸へ進出してゆく日本人男性のために、日本人女…

私は宮崎県出身なのですが、宮崎県には平和の塔と呼ばれる塔があります。戦中には、八紘之基柱という名で、中国や朝鮮の石や労力が使われて造られた造られたそうです。いま、中国からこの石を返してほしいといわれているらしいのですが、私たちはこの塔を侵略の塔ではなく、自分たちの生活に当たり前に存在する平和の象徴と思っています。しかし、この塔に祈る行為は他の国に対してよい意味を持たないのではないかと思います。福澤諭吉に二面性があるように、歴史にも二面性があります。生まれると人はどこかの国の国民になるわけで、どちらかにアイ

持ちうるでしょう。そもそも、生まれた国によって決定される国籍を絶対視するのは、血縁主義の日本だからともいえます。国籍とは本来制度であり、変更可能なものですが、日本の場合、国籍を得る要件として「父もしくは母が日本人であること」があるため、ア…

戦後日本に対するアジア諸国の損害賠償放棄についてですが、放棄した国々にも責任はあるのではないでしょうか? 何か背景があったのでしょうか?

サンフランシスコ講和条約に参加することで賠償請求を放棄した国々は、要するに冷戦体制下でのアメリカの意向に従ったということです。それを「責任」というのは、例えば当該国の国民ならば国家に対して問責できるでしょうが、道義的にいって、日本の側から…