2017-11-15から1日間の記事一覧

「言葉が違えば世界が違う」ということも納得しました。言霊というものは、日本独自の文化だからです。

残念ながら、言霊的発想は日本独自のものではありません。『旧約聖書』ヨハネ黙示録にも、まず言葉が誕生し、世界が作られてゆく様子が語られています。また、アニミズム(万物霊魂論)などの宗教的特徴が強い社会では、森羅万象にも人間と同じ精霊=生命が…

琵琶法師が行っていたことも、歴史を物語る行為に当たるのでしょうか?

そうです。平家語りや太平記語りは、歴史語りの最たるものです。現在文化人類学などでは、いわゆる実証主義の近代歴史学とは異なる基準で語られる、個々の民族集団の歴史語りが大きな注目を集めています。これは授業で扱った、近世以前の物語的な歴史理解に…

個人の偏向した主観こそ、彼しかなしえない洞察を可能にするとの説明がありましたが、歴史の解釈はそれぞれ異なっていてよいのでしょうか。

授業でも話をしましたが、歴史学が学問であることの証明として、史料を通じて必ず過去へ方向付けられること、反証可能性を持ち学界はもちろん社会へ開かれていることがあります。すなわち、個々人の主観は、まず史料により放縦な解釈を誡められ、そして他の…

言語論的転回のところで思ったのですが、赤インクで「あお」と書いて、「何色ですか」「何と書いてあるか」と訊かれて迷ってしまうのは、色として目から入ってきた情報と、言葉として自分たちが理解している情報が異なるからなのでしょうか。

正確には違うだろうと思います。上記のような迷いが生じるのは、その問いが、文字の色を回答として求めているのか、それとも文字/言葉の意味するところを回答として求めているのか、明示されていないからに過ぎません。言語による世界の分節というレベルに…

実証主義歴史学では、経験によって価値のある文献と偽書とを読み分けるという話があったが、それは完全に職人的な第六感なのでしょうか。

経験的に獲得した知識も、ある程度までは整理して秩序立てること、洗練して理論化することも可能です。しかしそれが、多くの経験的知識によって支えられている限りは限界があり、例えば例外的な事象には対応できない、これまでの知識に基づき推測することし…

日本では、言語論転回による実証主義批判に関する議論は振るわなかったとのことだが、その原因がよく分からなかった。 / 実証主義の理論を持たない歴史学者について、真偽は経験をもとに測られ、議論は歴史哲学分野に丸投げしてしまったとのことだが、歴史哲学分野には理論があったのだろうか?

まず、実証主義歴史学には理論が存在しませんので、多くの専門的歴史学者は理論を学んでいません。とくにマルクス主義が崩壊して以降は、理論に対する忌避感が強くなった面もあり、とにかくできるだけ多くの史料をできるだけ深く読むことに、歴史学教育の主…

歴史はその時代を照らして叙述されるとあったが、それと同時に歴史は過去から繋がっている。そのような意味で、歴史の物語り論がいまいち理解できませんでした。 / 実証主義への批判としてなされた、歴史が一定の形式を持つナラティヴである、ということがよく分かりませんでした。

歴史が物語られるとき、そこに含まれるさまざまな要素、例えば登場人物(過去の人物)やその事跡、過去の事件などが、何らかの形で過去に起源を持つことは間違いありません。しかしそれをどのように語るかといったことは、時代情況の大きな束縛を受けるわけ…

性犯罪の被害を受けた人々が自分を責めてしまうのは、日本特有のことなのでしょうか? / 女性差別の話について、なぜ日本は女性の社会進出が遅れているのか、私が考えるのは、儒学・朱子学の名残が女性の社会進出を妨げているのではないか、ということです。「妻は夫に従い、子が育てば子に従う」という昔ながらの価値観が、現在の女性の全般的な苦痛に繋がっているのではないでしょうか。

世界にも、少なからずある/あったと思います。授業でもお話ししたとおり、これは、社会における女性の地位の未確立と関係があります。社会の構成員が、子供のときから、何を直接いわれ、何を間接的に聞かされて育っているか。人間は自らを社会に適応させよ…