2017-12-06から1日間の記事一覧

義満が明にこだわる理由は何なのだろう。称号がないと交易ができないのであれば懐良親王と交渉すればいいだろうし、単に称号がほしいだけならば勝手に名乗ればいいのに。実際は冊封体制にも応じていなかったと聞いて、ますます分からなくなってしまった。

義満が明との外交に拘ったのは、やはり交易の利益が大きいためでしょう。その意義について国風文化の単元でみたとおりですが、種々の階層の交易のうえに朝廷の優先的利益獲得を位置づけようとした平安時代より、明の皇帝によって海禁政策が敷かれ、冊封した…

史料◎2に書かれた、「海島の間に漂流していた人々」という部分が気になりました。当時はどれくらいの明の人々が、日本へ漂流してきていたのでしょう?

倭寇の活動によって、往来する船が被害を受けて乗船者が漂流せざるをえなくなったり、海上や海岸で捕らえられ日本へ連れてこられた人々がいたものと想定されます。捕虜の交換に近いものといえるかもしれません。

足利義満は「准三后という称号を与えられ、対明の国書にも使用していますが、これはそもそも皇后などの女性に与えられる称号です。藤原良房も、かつて同じ称号をもらったといいますが、なぜ女性の称号なのでしょうか。

准三后は准三宮ともいい、太皇太后・皇太后・皇后の三宮(三后)に准じて、皇族・公卿・僧侶らへ年官・年爵・封戸などを与え、経済的に優遇することをいいます。実は、貞観13年(871)に摂政藤原良房が、年官・随身兵仗・封戸を三宮に准じて賜与されたのが初…

義満が国書を何度も明に送った際に、明の形式に則ったものではなかったため無礼であったとありましたが、明の求める形式というのは禅宗の僧侶の経由で知るのでしょうか? / 文章の書き方などで、日本と明が違うことは文化の相違で分かるのですが、漢字が伝わってから時間が経つと、少しずつ意味が違ってきてしまうということはないでしょうか(漢字であれば手紙でも意思疎通は可能なのかということです)。

明の定めた律令、礼法などに規定されているものですが、禅僧が外交使節として活躍していた時代にあって、やはり明と交渉のある禅僧らに協力を求めた可能性が高いでしょう。文化が伝播・定着を繰り返すなかで文字レベルで認識が変化することは、往々にしてあ…

当時の懐良親王は、未だ皇子であって天皇ではありません。どうして明は、そんな彼に「国王」の称号を与えたのでしょうか。

これも懐良の具体的な交渉のあり方によることでしょうが、恐らくは南朝の失墜を前に(南朝の天皇は自分の甥の長慶天皇となっていた)自らの即位を希望していたか、南朝による京都の回復を断念し九州を独立王国にしようとしたかのどちらかでしょう。なお、交…

現在、外国からの使者を殺害してしまったら大問題になりますが、懐良親王は明の冊封体制下に降ったのち、それについて咎められることはなかったのでしょうか?

滅びてしまった懐良親王側の史料が残っていないため分からないのですが、恐らく、不利な条件のもとで冊封を受けなければならない情況に立たされたと思われます。明側の主要な目的は倭寇の禁止にありましたが、そのことは、倭寇の一部を勢力に入れつつ北九州…

当時の人々は、どこまで「日本」や「天皇」への帰属意識があったのでしょうか。「日本人」という自覚はあったのでしょうか。

中世においては、例えば仏教による三国伝来史観(仏教が天竺、中国、日本と伝来し、日本こそが仏教の最終目的地であるとする考え方)、元寇など対外的脅威による神国思想によって、古代に比べ、比較的広い階層に「統一的な日本のイメージ」が定着し始めたと…

近代に近づけば近づくほど中国という国の存在感は希薄になると思うのですが、なぜ今日の授業でみたような時代には、中国との関係が大きなキーワードになるのでしょうか。これは、同じ頃の朝鮮半島の国々にもいえることなのでしょうか? 小学生の頃から歴史を習っていますが、中国は漠然と大きな存在であるのか教科書には載っておらず、大変不思議です。日本もかなり高度な文明が発展していたと思いますが、国の小ささや歴史の深さが中国より小規模だから、重要度が低いのでしょうか。

高校時代、世界史は履修しましたか。アジア世界においては、古代文明の発祥以来、政治的にも文化的にも、中華王朝が非常に大きな勢力を保持してきました。ユーラシアの東部において中華王朝に隣接する諸民族、東南アジアの一部や朝鮮半島、海を隔てた日本な…

徳川家康は自ら源氏を名乗り、足利氏の北朝を支持する立場にあったとのことでしたが、徳川御三家の水戸藩がなぜ家康とは異なる立場を正統としたのでしょうか?

『大日本史』は、上にも書いたとおり、北畠親房の『神皇正統記』を受け継ぐ勤王史観に立つ史書です。それだけでは徳川幕府の正当性/正統性を傷つけることにはならず、むしろ天皇の神聖化を図ることで、それにより政権を委任されている幕府の権威拡大を狙っ…

足利氏は天皇を排斥したとのことだが、国王の称号は国内で一番偉い人という意味では使われていないので、排斥したとまではいえないのではないか。南朝は天皇家の血筋を引いているのだし、南北朝から室町時代になっても天皇は存在したのに、「天皇を排斥した」とされた足利氏の評価には、明治政府の思惑があるのではないかと考える。

ちょっと誤解があるかもしれません。鎌倉幕府を打倒し天皇親政を行った後醍醐天皇に対し、最終的にこれを廃して新たな天皇を立てたのが足利尊氏の勢力です。後醍醐は尊氏らに攻められ、この新たな天皇(光明天皇)に譲位することを渋々承諾します。しかし、…

最近ニュースで、今後の日本史の教科書で、「坂本龍馬」や「武田信玄」などの、歴史的にも有名な人物たちが消えると放送されていましたが、先生は、それらの人物が教科書から消えるかもとなった場合、その判断は妥当と思いますか?

この発表を担った高大連携歴史教育委員会には、知人が多くいます。メディアでの報道は多く誤報道、ミス・リードがあるので、正確な情報を知りたい場合には下記のホームページへアクセスしてみてください。なお、同委員会の意図としては、歴史の授業や入試が…