2017-12-08から1日間の記事一覧

日本神話の研究で、読むべき研究書は何でしょうか?

非常に厖大な研究蓄積があるので、どのような研究の流れがあるのかを把握しておくことが重要です。まず、『古事記』『日本書紀』の相違など前提となるテクストの問題に注目したもの、神野志隆光さんらの研究があります。またテクストの関連で、その言説がい…

『竹取物語』のような植物が重要な役割を果たす神話、昔話は少なくありませんが、それらを体系的に説明している本はありますか?

樹木の神聖性について論じた古典といえば、まずはフレイザーの『金枝篇』でしょう。種々の文庫で読めますが、国書刊行会から完全版が刊行されています。近年の成果では、ジャック・ブロスの『世界樹木神話』、フランシス・ケアリーの『樹木の文化史:知識・…

ギリシャ神話のヒュアキントス、中国『長恨歌』の連理の枝など、神話の悲劇において樹木に化身することを最終的な救いと描くのは、どのような意味があるのだろうか?

ケース・バイ・ケースでしょうが、やはり授業でお話しした、樹木の持つ「永遠性」が強調されるということでしょうね。しかし、ヒュアキントスの場合はもともと植物神であったものが、文芸的な神話の段階において悲劇の主人公に位置づけられたもので、『長恨…

現代を生きる人間が植物と交感することは、不可能に思えてなりません。雑草は抜く、花を付けたり秋に色づいたりする「よい」草木だけは管理する。自分勝手に扱うことを「緑化」だとかいっているのが、とても自己中心的、自己陶酔的だなと思います。美しい部分だけを切り取って人の手で管理するものを「自然」とばかり思っているのは、改めるべきだと考えました。

そのとおりですね。とくに現代日本はその傾向が著しく強く、それによって自らの正当化と、「日本文化」なるものの称揚を図っています。この講義では、そのことを破壊する話を最後にする予定です。

『竹取物語』と『斑竹姑娘』、なぜ後者はハッピーエンドなのでしょう?

これは一概にはいえないことなのですが、私は異界と人間との交流を描く物語のうち、ハッピー・エンドを持つものは成立が新しいのではないか、あるいはかつてバッド・エンドであったものが変質したのではないかと考えています。なぜ悲劇的な結末に至るのかと…

『竹取物語』を人と植物というテーマで扱う場合、かぐや姫は「人」と捉えるのでしょうか?

ああ、確かに難しいですね。『竹取』の文脈に則していうならば彼女は天女で、もともと神仙世界である月に住まう者です。それが何らかの罪を犯し、地上世界へ流謫されている。すなわち異界の存在ですが、しかし神仙は人間が修行を重ねてなるものと考えれば、…

人民のことを「民草」というのは、「蒼生」「青人草」から来ているのでしょうか?

「民草」は「民の草葉」の略語で、放っておいても増えてゆく様子を庶民に譬えたもののようです。その起源にはやはり「青人草」があるのでしょうが、そこにはもはや、トランス・スピーシーズな想像力は働いていないものと思います。雑草のような民という、上…

日本以外の国の神話では、人間の起源について詳しい記述があるのでしょうか。

東アジアにも、多くの人間の起源が語られています。中国の河南省では、半人半蛇の男女神伏羲・女媧のうち、女媧が泥をこねて人間を創造した、ゆえに人は死ぬと土に帰るのだという神話があります。中国の西南少数民族には、世界を破滅させる洪水を乗り越えた…

他の授業で、記紀における初発では「三柱が高天の原に成った」と解説されており、その起源や経緯が不明瞭なままでしたが、やはり「神が成る」という行為・状態はうまく説明できないものなのでしょうか?

そうですね、まずは近代的な意味での論理性をもっては語られない、ということでしょう。論理とは細かく分節することですので、詳細な論理が付属すればするほど、共有できない感性や思考も生じてきてしまう。するとどうしても、その神話が伝承される範囲も狭…

雪男の正体がクマというのは、人間と基本的な骨格が似ているからではないでしょうか?

そうですね。クマは、例えば中沢新一氏によって、最古の神の姿だといわれています。北方狩猟民の神話には、異類婚姻譚の相手としてクマが顕著に出てきますし、トーテム動物としても一般的です。ヨーロッパにおいても同様で、アーサー王の名は熊の古名であり…