2017-06-01から1ヶ月間の記事一覧

小レポートは、やはりマイノリティに関係する博物館でないといけないでしょうか?

そうですねえ、やはりもう最初のガイダンスの際に説明して、それでレポートを提出している人もいますので、今さら変更はできません。しかし、すでに説明したように、どんな史跡や博物館・美術館展示でも、マイノリティーを重視する視線に立って分析すること…

やっぱり遊女が罪の意識を持っていたという事実自体が、変だなと思いました。

ぼくも変だな、と思いますね。彼女たち自信が自発的にそう考えたというより、社会や宗教の仕組みが、彼女たちにそう「考えさせた」というほうが、真実に近いでしょう。遊女たちに自分を罪業深い存在だと認識させるのは、遊廓の経営者らに有利に働くイデオロ…

吉原には花魁のような上流の遊女から最下層のものまでいたと思うのですが、その身分の差が、信仰の深さや自身の立場の認識の差になって表れることはあったのでしょうか。

蛇を食べるという行為について、食べたものを自分の身体に取り込むという発想は前近代にあると思うのですが、蛇が捕食者の邪悪さを助長するといった考え方はなかったのでしょうか? / 現在の猪について考えると、猪はまっすぐしか走れず、蛇を捕まえて食べることができたのか疑問に思います。

確かに、捕食者の力が脆弱だと、かえって食べたものの毒に当てられる、という認識はあったでしょう。今回紹介したガルーダやイノシシの場合は、いずれも天敵的な位置づけをされている動物であったり、神格化されているものなので、立場が逆転するという危惧…

浄閑寺の豕塚ですが、吉原大門で飼われていた白い猪について、白は神聖であるとの考え方はどこから来たのでしょうか。

白色については、さまざまな象徴性があります。まず祥瑞に定められているような白い動物は、概ねアルビノで自然界に存在することが珍しいことから、希少価値で尊ばれたものでしょう。白色が清潔な色というのは普遍的な考え方でしょうが、儒教ではそれが転じ…

近世に猪を飼う習慣は珍しいものだったと思うのですが、どこで捕まえたものだったのでしょうか。

近世のことですから、江戸近郊でも猪を捕ることはできたと思うのですが、白猪、恐らくはアルビノの猪ですので、大変珍しいものであった可能性があります。白猪は祥瑞ですので、吉原の常連である武家や商家から贈られたものかもしれません。

平安時代の白拍子は巫女としての役割も持ち、一種の信仰対象となっていたと聞いたことがあります。そこからどのようにして、近世的な遊女が成立するのでしょうか。 / 身体を売ることでお金を得るというメカニズムは、なぜ江戸時代に入って顕著になったのでしょうか。それまで人身売買はされていなかったのでしょうか。

日本では、律令国家の段階から人身売買が是認されていました。中世の一時期には、公事負担の責任者である百姓の家主が家人を売買することを、幕府が公式に認めていました。しかし、娘が売られてもそれは雑役労働者としてで、いわゆる傾城になるのは、身寄り…

中世〈遊女〉においては、芸能とセットで論じられることが多い印象を受けるが、近世遊女というのは、芸能面を論じられることはあまりないのだろうか。遊女と芸者はどこかで分岐したのか?

吉原にも芸者はいましたが、彼女たちは身体を売買することはなく、歌舞音曲において遊女の接待をサポートするのが役割でした。遊廓という経営体において、そこで働く女性たちにも、社会的分業が進んでいると考えていいでしょう。遊女と芸者は長い間混同され…

非人小屋というと、江戸期の東北飢饉における非人の実働部隊化と非人化した民衆の収容を思い出しますが、江戸のそれとも関係がありそうに感じます。

西洋的性道徳、近代的な家族のあり方は、どのような手法で民間に広められていったのでしょうか。

ジェンダーの話になると、男性よりも女性が取り上げられるのはどうしてなのでしょうか。

それは、まだまだ日本社会が男性優位社会であるからですね。その是正のためには、女性の権利、社会における平等の扱いを求めるような注意喚起を、続けてゆかねばならない。そのために、「女性○○」といったテーマ、スローガンがどうしても増えてしまうことに…

フェーヴルが、全体史を志向しながら個人の伝記に注目していったことに関心を持ちました。心性史を究明することで、個人の思想からその時代固有の考え方を探るということですよね。 / 個人を醸成する社会を理解するのには、何をすればよいのでしょうか?フィールドワーク、現地の人々へのヒアリングくらいしか思いつきません。

それまでの伝統的な歴史学が、praxisをなすものとしての個人に注目してきたのに対し、フェーヴルは、社会が個人を生み出す集合性の部分に着目をしたわけです。そうした観点から、伝記研究の刷新を図ろうとしたということです。これは、授業でお話をしたとお…

徳川将軍の神格化について、金地院崇伝や天海などの僧侶が、幕府に協力していたことも思い出しました。当時は神仏習合状態だったので、とくに違和感もなく死後の神格化を受け入れられたのでしょうか?

そのあたりは、まったく問題ないはずです。むしろ家康の神格化は、神道と一体となった仏教により進められました。家康を死後神格化することは、すでに豊臣秀吉が豊国神社に祀られた先例があるように、既定事項だったようです。事実、家康の葬儀を統括したの…

「猫絵の殿様」で描かれている新田岩松氏の猫絵は、なぜねずみよけの迷信を持つようになったのでしょうか。

『太平記』にも多少語られていますが、岩松氏の祖先である新田義興は、南北朝の動乱において矢口渡で謀殺され、付近にはその祟りが吹き荒れたため、怨霊を鎮めるために新田神社が創建されたと縁起にあります。この物語は、のちに平賀源内によって肉付けされ…

ユダヤ人は常にマイノリティー的な立場に置かれているとはよく聞く話なのですが、マルクスや他の著名なユダヤ人もそうだったのでしょうか。マルクスは晩年までマイノリティー的存在だったのでしょうか?

授業では、「ユダヤ人はマイノリティー的立場で」とはいっておらず、「マージナルな立場にあって」と説明したと思います。マジョリティーのなかにおいてもマージナルな情況は発生しますので、両者は類似はしていても同一ではありません。マルクスは活動家で…

ブロックの、「パパ、歴史は何の役に立つの?」に対して、先生なりの答えはありますか?

一言でいってしまえば、現在を理解するために参照できる枠組み、思考の道筋を増やすということです。西アジアにおける国際的な紛争、東アジアにおける領土問題などの現実からすれば、歴史が現代的諸問題の解決に資するとは、必ずしもいえません。多くは、政…

歴史学の常識として、「主観的になってはいけない」とされている一方、「主観がなければ研究は始まらない」ともされているように感じる。私としては、「感性の歴史」などはどうしても主観が介入せざるをえない気がして、「歴史学らしくない」と感じてしまう。先生は、「主観」や「感性」と歴史学の距離感について、どのようにお考えですか。

以前にもここに書きましたが、現代歴史学のひとつの到達点として、「人間は誰しも主観から逃れられず、それは矮小で偏った視座でしかない。しかしそれゆえにこそ、その人間にしか発見しえない過去の局面がある。狭小な主観しか持ちえない人間がそれぞれ過去…

期末レポートは同時代史でも可ですか?

もちろん構いません。時代、対象についてはまったく自由で結構です。

なぜ現在の日本人は、遺体の骨を大事にするのでしょうか? 仏教だと輪廻転生するわけですから、遺体はどうでもいいのでは?

人間の遺体に対する執着は、時代的な変遷をしつつも長い間持続していて、仏教思想などで原理的に処理できるものではなくなっています。まず縄文時代において、環状集落の中心に骨を集めて共同体結束のよりどころにしたとき、列島文化において、〈祖先〉の概…

シミアンが歴史学を、社会科学的に転換させようとしたのは、そもそもなぜなのでしょうか。

シミアンのセニュボスに対する批判は、あくまでセニョボスが「新興の社会科学は歴史学に学ぶべき」としたことへの反論です。当時、デュルケームらを中心とする社会学ほか、地理学や心理学、民族学といった社会科学諸分野が勃興し大きな成果をなし、その端々…

歴史学にはさまざまな学派がありますが、学派が設立するのは、自分たちで主張すれば認められるということでしょうか。

自分たちで派閥を組む場合ももちろんありますが、多くは自然発生的で、ものの見方や方法論、思考様式を同じくするグループを、とくに同じ大学や研究機関、強固な師弟関係から成っている場合、〈学派〉と呼ぶことが多いですね。ちなみに授業でも注意しました…

ブロックはレジスタンスの活動が原因でナチスに処刑されたとありましたが、盟友のフェーヴルはナチスに目を付けられたりしなかったのでしょうか?

フェーヴルは、ナチス・ドイツへの敗北後に成立しそれへの迎合的姿勢を強めるヴィシー政権に妥協し、何とか『アナール』を継続させる道を選んだようです。その間、ブロックが処刑され、その教え子アンドレ・ドゥレアージュも処刑、デュルケームの弟子であっ…

感性史には、五感などが主に含まれていると思うのですが、例えば好き嫌いのような深さがあるとして、どのくらいの深さまで調べるのでしょうか?

まあそれはケース・バイ・ケースでしょうね。しかしフランスの人文・社会系学問の場合、好き嫌いなどの問題は、社会に由来する部分と個人に由来する部分とを分けて考える場合が普通ですね。一般には、好き嫌いは個人に帰せられてしまいますが、実はデータを…

ブローデルの歴史の三層構造は、マルクスの階級闘争を歴史に当てはめたようなものと考えていいでしょうか? / ブローデルが評価された理由が、いまひとつよく分かりません。

マルクスの唯物史観とブローデルの三層区分が異なるのは、以前に授業で指摘したとおり、まずはpratiqueとpraxisの相違になりますね。マルクスの場合、歴史を展開させる革命は、イデオロギーから解き放たれた自由な個人の自覚的な実践によりますが、ブローデ…

ブローデルが社会学と敵対していたとのことでしたが、それはなぜでしょうか。社会学と社会科学の相違もよく分かりません。

社会科学とは、ヨーロッパにおける学問のありようを3つに区分したときのカテゴリーの1つです。もともと人文科学として未分離であった学問から、科学革命を通じて自然科学が分離し、20世紀前後に集合性を扱う分野として社会科学が分岐します。まさにその流…

セニョボスが、史料はその作者の現実に依拠せざるをえないというとき、それはE.H.カーの、歴史記述には著者の主観性が入り込んでいるという主張と同じ意味なのだろうか。

類似の意味だと捉えてよいでしょう。しかしセニョボスの問題点は、史料批判を個人心理の探究に単純化してしまったことにあります。個人の心理が種々の動きをみせるのは、常にそれを取り巻く外部との関係、相互交渉においてです。外部刺激がまったくない世界…

デュルケームは歴史を個人について考えることを批判したというが、なぜそんなにだめなのだろうか。

当時の典型的歴史学は、例えば政治史や国家史が主要なテーマで、そこに登場する個人、すなわち著名な政治家や軍人、思想家、英雄などによって、「歴史」が作られてゆくかのように記述していました。史料批判にしても、最終的に個人の心理のみに拘泥してしま…

なぜ19世紀フランスでは、歴史家が官僚として育成されたのでしょう。現在でも、歴史家が官僚として政治に関与することはありますか。

実際に官僚として活躍した人物もいたのですが、これはひとつの譬えです。つまり、19世紀フランスにおいて、第3共和制を正当化するナショナル・ヒストリーを創出すべく、古文書学校、高等研究院やソルボンヌといった国家的研究・教育機関に実証史学のパラダ…

集合的記憶は、心理学の集合的無意識に似ている気がしました。心理学は当時の歴史学に影響を与えたのでしょうか?

ユングですね。むしろ、デュルケーム学派の集合性に対する関心が、ユングに採り入れられたとみていいでしょう。ユングの師であり友人でもあったフロイトは、無意識の概念を見出しました。フロイトにとって、個人の心理の展開過程は種のそれをなぞるものであ…

人がノスタルジーを感じるのも、集合的記憶によるものなのでしょうか。

授業で紹介した『里山という物語』でも取り上げていますが、小学生を対象にしたある調査では、地方に田舎を持たない小学生も一律に、里山的景観を「懐かしい」と感じる傾向があるようです。考えてみると、教育の各段階でも、さまざまな形で里山イメージは喧…