2018-05-07から1日間の記事一覧

死体を葬る際、埋葬ではなく火葬にはしなかったのか。再生の信仰を持っていたためだろうか?

日本列島の火葬例として最古のものは、7世紀近畿の須恵器登窯からみつかっている、恐らくは渡来人のものですね。東アジアでも、火葬は仏教徒以外には忌避されてきたので(とくに儒教文化圏においては、父祖から受け継いだ身体を損壊するとみなされたので)…

ネイティヴ・アメリカンが開拓者に渡した彼らのコミュニティーの地図では、ネイティヴの集落が円で、開拓者の集落が四角形で表されていた。彼らの視点では、自然なものが円で、人工のものが四角なのだそうだ。縄文や弥生、他の少数民族ではどうなのだろう。

円形・方形は地域や時代によってずいぶん大きな差異があります。古代中国では「天円地方」といって、天を円形、地を方形で表現しました。都城が方形なのはそのためです。縄文期はあらゆるところに円形のシンボルがみられますが、これは世界各地で生命力の象…

環状配石祭場に移行したあとは、人骨はどのように処理されていたのでしょうか?

環状配石祭場は、列島の各地に普遍的に存在するわけではありません。東日本で特徴的にみられた環状列石=墓域が到達した、最終的な形態です。環状空間に葬られなくなった人骨は、集落内もしくは集落外近隣に墓域を造り、土壙墓もしくは配石墓として埋葬され…

何を契機に、祖先の遺体を信仰するようになったのでしょうか。

よくは分かりませんが、やはり、集落の離合集散と再葬という事象と密接に関係するのでしょう。すなわち、前期の巨大集落が解体して人びとが離散してゆくとき、埋葬された死者をどう扱うかが問題となったと考えられます。人びとが長距離を移動する暮らしをし…

祖先の誕生によって、〈死〉自体の考え方はどのように変わったのでしょうか?

ああ、面白い質問ですね。祖先以前の死の観念が、もし再生までの一定期間を表現するものであり、死や死者を忌避するような呪術を伴っていた点から恐怖の対象であったとすれば、一方で死はやや身近なものとなり、一方で再生までの期間や道筋には変化が生じた…

なぜ縄文は、生と死に関する信仰が強いのでしょうか? / 半定住を行っていた縄文の人びとにとって、自然環境はそこまで脅威だったのでしょうか?

災害だけが生活の脅威ではありません。自然環境への依存度が強ければ強いほど、彼らの生活は自然の情況に左右されやすく、例えば気候条件が悪化して生活地域で食物が得られなくなれば、飢え死にをする人間、体調を悪くして病死する人間も増えることになりま…

蛇は現在、金運との関係で信仰されることが多いですが、それがどこから来ているのでしょうか?

今期別の授業でもお話ししたのですが、やはり再生のシンボルである点に起因しています。農耕の豊かな収穫を保証することと、富を持つ者であることとはイコールです。各地に、蛇が財宝の守り神であるとか、天の蛇と観念される虹の足もとには、財宝が埋まって…

頭に蛇を載せた土偶には驚きました。シャーマンには女性が多かったのでしょうか。

実は、あの土偶がシャーマンを示しているかどうかは、曖昧なところが多いのです。土偶を何らかの神格、例えば大地母神のようなものとみなせば、その性格と蛇の性質とが一致しているがゆえに、まさにギリシャ神話のメドゥーサのように造型されたのだとも考え…

長野県に蛇の遺物が多いとのことでしたが、列島の他の地域には、そうした自然の恵みに関する遺物はありますか?

例えば、クマ型土偶や狩猟紋土器でしょうか。これは、青森県からしか出土していません。当時におけるツキノワグマの分布にも関係があると思いますが、クマを狩猟することに特別な意味を見出した集団が制作したものと考えられます。某考古学者のように、縄文…

石棒は壊されなかったのでしょうか? もし壊されたのが土偶だけなら、それは女性差別ではありませんか?

石棒は、その素材、屹立させることに意味があったと考えられる点などから、故意の破壊の対象にはなっていませんでした。また、破壊自体がマイナスの意味を持つと考えるのは早計です。再生は死が前提になければありえないように、破壊も次なるステージを生み…

古代では女性が崇められていたことを初めて知りましたが、恵みの象徴である女性に対し、男性はどのように扱われていたのでしょうか? / 縄文時代の人びとは、自然を父としても信仰していたと思う。火焰式土器など、自然の荒々しさを父性と捉えて表現しているのではないか?

先史社会で再生産機能を持つ女性がそれゆえに母性を認知されるのに対し、父性はその独自性を持たず、ジェンダー役割が確立し父系的な家制度が受け継がれない限りは、ほとんど重視されません(母系に比べて、父性概念の成立は遅いのです)。縄文時代は性を直…

土偶はなぜ、晩期に向けてまたシンプルになってゆくのでしょうか?

これも授業で述べましたが、早期の形状は造型技術不足によるところが大きいものの、晩期の形状は、指し示す対象がより抽象的な概念に発展したためだと考えられます。つまり、中期や後期の個別具体的な女性像から、その性的特徴のみを抽出し抽象化したような…

縄文の神話は特定できないとのことですが、『古事記』などを使ってアプローチできないのですか?

『古事記』が成立したのは8世紀ですし、その内容も7世紀より前にはなかなか遡ることができません。さらに重要なのは、『古事記』の語る神話はヤマト王権の宮廷神話であり、さらに相当な編集が加わったものであって、当時の一般社会に同様の神話が存在した…

土偶の神話的背景をなす発掘がないのは、神話は口頭で伝わっていたからですか?

実際にどのような神話が存在したかは分かりませんが、縄文時代には文字は存在しませんので、もちろん口頭で伝わってきたと思われます。しかし口頭伝承が馬鹿にできないのは、例えば王を持たないエチオピア・ボラナ社会の人々について、年齢階梯制に基づく首…

土偶の破片で神話の話が出ましたが、外国と同じ発想が偶然に一致したのでしょうか。それとも何らかの方法で伝わったのでしょうか。 / 土偶が人為的に破壊されたものか、自然に破損したものか、区別はできるものなのでしょうか。 / 遮光器土偶には片足がないものが多く、何か理由があったはずと思うのですが、これも「殺された女神」と同じと考えていいのでしょうか。

土偶の大部分が人為的に破壊されていることは、授業でもお話ししたとおり、1体の土偶を構成する破片が集落内の離れた場所からみつかることによって、立証されています。すなわち、完全な形のものが打ち捨てられた結果、そのうえへ堆積していった土砂の重み…

現在、鹿を神の使いなどとする神社はみかけますが、イノシシについては存在するのでしょうか?

岡山県に立地する、奈良〜平安期に活躍した和気清麻呂を祀る和気神社は、猪を神使としており、狛犬の代わりに猪が配置されています。一般に、『古事記』や『日本書紀』の世界では、鹿が人間と融和的な関係を持つ神獣と位置づけられているのに対し、猪は同じ…

オタマジャクシがカエルになるということが、どのような点で死と再生の世界を行き来していると理解できるのでしょうか?

両生類は持つ成長過程での変態のあり方、つまり水のなかで生活しているオタマジャクシがメタモルフォーゼし、陸上でも生活しうるカエルになることを、ひとつの世界で死に別の世界に再生したものと解釈したのだろう、とみられています。カエルが女性生殖器と…

縄文時代は母系社会だったのでしょうか? / 動物のシンボルで、メスが重視された事例などはあったのでしょうか。

縄文時代については、墳墓のあり方や遺存人骨のDNAを調査してゆくと、母系制社会、もしくは父系偏重でも母系偏重でもない双系的な親族構造がみえてきます。例えば成人儀礼である抜歯の習俗の実施情況をみると、女性・男性の区別はほぼ存在せず、すなわち大人…

土器などに表現されている動物種の「確定」は、どの程度正確なものなのだろうか。乳首は男性にもあるのだから、伊勢堂岱の三角土偶など男性と考えてもいいのではないか(逆三角形の体型だし)? / 土偶に男性像はあったのでしょうか?

土偶は授業で紹介した表にあるように、時代・地域によって多種多様な様相を示します。しかし、現在みつかっている土偶を精査しその特徴を調べてみると、乳房・臀部・生殖器の強調された造型から、ほぼ女性を表現していると同定できるのです。他の遺跡や遺物…

蛇は生命力の象徴と崇拝されていた割には、怖ろしい悪者の面があったりします。見た目や毒を持つ種がいるのが原因でしょうか。 / メドゥーサにはよいイメージはなく、信仰の対象であるか疑問です。

そうですね、怖ろしいからこそ信仰された、という面は大きいと思います。小さな存在でありながら、大きなものを倒してしまう。人間とまったく身体の構造が違う。いわゆる他者性の大きなことが、信仰を生む契機にはなっているのでしょう。ちなみにメドゥーサ…

縄文時代にクジラを獲っていたとのことですが、あんなに大きなものをどのように狩猟していたのですか?

クジラ漁は、寄り鯨が対象ですね。つまり、沖に船でこぎ出して網や銛で獲るのではなく、誤って入江に入って来たものを岸辺に追い詰め、狩猟するのです。沖で獲るよりも、遥かに少ない労力で捕獲することができます。

動物の主などの信仰で、動物の本体である精霊は人間の姿をしていると聞きました。それはなぜなのでしょうか?

やはり、われわれが人間だからでしょう。近年、南米や北方狩猟民を対象とした文化人類学において、パースペクティヴィズムという考え方が提示されています。狩猟民たちは、人間をあらゆる生命の根源と考え、それゆえに、例えば豹の世界観を、「豹は自分を人…

殺しながら信仰するという姿勢は、現在の私たちの宗教観とはズレがあるように思いました。 / 動物の主と似ているということでアニミズムを思い浮かべるのですが、縄文や弥生ではそうした信仰はなかったのでしょうか?

確かにそうかもしれません。それは、われわれの社会が狩猟採集社会から農耕社会へ移行したためですが、しかし例えば、列島文化において〈主食〉と位置づけられている稲米はどうでしょうか。現在の列島の基本的な祭祀習俗、年中行事は、稲に宿る根源的エネル…

縄文=アイヌという考え方は違うと思いましたが、アイヌ文化も動物信仰の文化だからそういう意見があるのでしょうか?

もともとは、縄文人たちが弥生人たちに追いやられ、東北方と西南方へ至ったのがアイヌと琉球である、という見方に基づいています。古くは、差別的なニュアンスも含んでいました。しかし、例えばアイヌと一口にいっても、かつて東北に分布していたと考えられ…