2018-06-04から1日間の記事一覧

古墳時代の前方後円墳の分布図をみていると、畿内と東北・西南地域の隔絶性があまりないように感じられます。ヤマト朝廷ができてからは蝦夷や隼人が朝廷に反抗しますが、古墳時代にはそのような中央と地方という分け方は当てはまらないのでしょうか? / 群馬の古墳は、古墳時代を通じ、ヤマトから離れていたにもかかわらず近隣地域のものより大きいですが、なぜなのでしょう。

上の質問とも関係するのですが、前方後円墳が存在するからといって、その地域が面としてヤマト王権に従属していたわけではないだろうと思います。その支配の浸透の度合いは、やはり近畿を中心として、同心円状に疎密がある。東北の前方後円墳などは、その地…

イザナギ・イザナミの黄泉国神話で出てきた葡萄、筍、桃は、何かしら意味合いがあって、作中で使われているのでしょうか?

桃については、中国の戦国時代という極めて古い時代から、辟邪のツールとして使用が確認されます。『周礼』に書かれた儺という悪霊祓いの儀式は、桃の弓や桃の枝を用いますが、そのまま日本にも採り入れられ、宮廷で追儺として斎行されます。葡萄や筍は、蔓…

黄泉国神話では、ギリシャ神話でもオルフェウスやペルセポネの類似の話を確認できます。両者に類似点があるのはなぜでしょうか?

縄文か弥生のときにも同じような質問にお答えしましたが、とくにギリシャ神話と日本神話に限ったことではなく、世界中の神話にこのような類似点は多く確認することができます。そうした現象が起きる理由として考えられるのは、ひとつに形式の伝播(実際に人…

横穴式石室への追葬について、腐った遺体は再びきれいに包み直さないのでしょうか?

他の時代には、遺体を収集して洗浄し埋葬し直す「洗骨」という習俗が認められますが、古墳時代には一般的ではなかったと思います。以前の遺体が木棺などに納められている場合はよいのでしょうが、授業でお話しした遺体をそのまま寝かせてある場合などは、石…

中期から後期にかけての古墳には、非常に大きな変化が起きているように思われるのですが、そのきっかけは何だったのでしょうか?

重要な質問ですね。幾つかの複合的要因によって生じたものと思われます。ひとつには、中国大陸や朝鮮半島からの新しい形式の導入です。これは、古墳時代における倭を取り巻く国際関係が次第に活発になり、中国南朝や朝鮮半島諸国と盛んに文物のやり取りがあ…

円筒埴輪が何を表していたのか、よく分かりません。辟邪だとしても、なぜ円筒だったのでしょうか?

弥生時代のところでお話ししたように、中国地方は早くに青銅器の祭祀から逸脱し、墳丘墓の祭祀へ移行してゆきます。古墳自体は、出雲から北陸にかけて始まった四隅突出型墳丘墓などが嚆矢です。古墳に使われる埴輪は、吉備地方において、墳丘に備える須恵器…

縄文〜弥生にかけて、死者への畏怖は薄らいできたようにみえたのに、再び墓を厳重に密閉するような死者観へ戻ってしまったのはなぜですか?

古墳が縄文・弥生にみたような一般の人びとの墓ではなく、首長の墳丘墓であることが重要です。常人にはないような力を持つと信じられた首長、王の遺体だからこそ、呪術的な威力のあるものとして畏怖されたのです。一般の人物の遺体がすべて畏怖された、とい…

前期は遺体が恐れられていたとのことですが、古墳時代にアニミズムはあったのでしょうか? 弥生時代にはなかったと思うので。

アニミズムとは万物霊魂論、すなわち森羅万象に人間と同じ精霊が宿っているとの信仰の形態です。宗教学や民族学では最も原始的な宗教の形態とされますが、創唱宗教のなかにもその要素を持つものはあり、現代社会にもそこかしこに残存しています。弥生時代に…

人物埴輪の配置は始皇帝陵の兵馬俑を彷彿とさせますが、このような生前生活の復原、あるいは死後に生前生活と同じものを享受するといった発想は、王権の強化と関わりがあるのでしょうか?

中期古墳の造り出しのジオラマなどは、確かに兵馬俑に近いイメージがありますが、あれが死者の国で始皇帝に奉仕する軍隊とすれば、すこし性格が違ってきますね。列島の古墳のディスプレイは、やはり被葬者の顕彰という要素が強く、いかに偉大な人物であった…

巨大な古墳を作るような稲作集団のほかに、アワ、ヒエ、ソバ、ムギといった雑穀を栽培して生活していたグループはいなかったのでしょうか?

弥生時代のところで述べたかもしれませんが、弥生〜古墳時代の雑穀生産は、考古資料としては極めて少量しか出土していません。また、山地における人間活動の痕跡を調べても、縄文時代まで高い山に登って狩猟していた人びとが、弥生時代以降は次第に高い山に…

前方後円墳に埋葬される人よりも前方後方墳に埋葬される人の方が後期なのは、天円地方説の影響でしょうか?

天円地方はあくまで推測ですので、屋上屋を重ねるようなことはできません。あくまで、前方後円墳がヤマト王権の大王墓の形式として設定されたので、こちらの方がグレードが高いということです。前方後方墳が方形周溝墓から発展したとすれば、その期限はヤマ…

古墳の機能・役割の点で、前首長がカミとして再生する舞台とは、浄仏のような考え方でよろしいでしょうか?

「浄仏」とありましたが、「成仏」のことでしょうか? 成仏とは、人間が悟りを開きブッダになることを意味しますが、浄土教以降は、死後極楽というユートピアに往生することを成仏ともいうようになりました。古墳において被葬者がカミとなることは、そのどち…

古墳時代に権力者を埋葬する際、一緒に生き埋めにされる人びとがいたとの話を聞いたことがあるのですが、それは事実なのでしょうか? / 埴輪は、いったいどのような人びとが制作していたのでしょうか? /埴輪の名前の由来は何でしょうか。

『日本書紀』垂仁天皇32年秋七7月甲戌朔己卯条に、大略次のような伝承が掲載されています。「皇后の日葉酢媛命が亡くなったとき、生きた人間を死の国への侍者として殉葬することについて、天皇は臣下たちに諮った。これに対して野見宿禰が、『君王の陵墓に…

古墳時代の首長たちも、卑弥呼のように鬼道に通じていたのでしょうか?

「鬼道」をどう考えるかが、まず問題です。「鬼」を漢語的に死霊と捉えれば、「鬼道」は祖先信仰・祖先祭祀と考えてよさそうです。あるいはより道教的な、そうした死霊を使い魔として駆使するような内容かもしれません。前者の意味とすれば、古墳祭祀と鬼道…