2018-10-01から1ヶ月間の記事一覧

アジア的生産様式について学べる本があれば、教えていただきたいです。

残念ながら、アジア的生産様式について、一般的に分かりやすく書いている本はありません。とくに1980年代よりも前、マルクス主義全盛期に書かれたものは、文章自体が極めて難解です。専門書ですが、同様式の議論が世界中でどう展開したかを網羅したものに、…

近世まで、統治者の権威・権力には呪術的信仰が伴っていたというが、現代では、合理的でなければ民は信用しないだろう。この違いは、信教の自由がもたらした変革によるものだろうか?

どうでしょうか。われわれが、それほど合理的・論理的に思考判断できる主体かどうか、あまり過信しすぎるのもよくないかと思います。まあ、個人の政治的志向が入ってしまいますが、本当にぼくらが合理的なもののみを支持するのであれば、これほど疑惑や汚職…

一見するとアナール学派にはあまり弱点がなさそうですが、個別分散化以外に何か批判される要素はあったのでしょうか。 / アナール学派に影響を受ける国もあれば、懐疑的だった国もあるのだろうか?

例えば、ロシアの歴史家アーロン・グレーヴィチらが、「アナールに理論がないこと」を批判しています。授業でもお話ししましたように、アナールはグランド・セオリーを批判し、個別具体性の探究を重視しましたので、歴史全体を俯瞰するような枠組み、理論を…

今でも社会史という言葉をよく聞きますし、衰退したというより一分野として落ち着いた印象です。ただ、いろいろな分野に深い知識が必要そうなので、やはり難しそうです。大学で社会史をやる人はどれくらいいるのでしょうか。 / 社会史は網野善彦らが亡くなったあと衰退したとのことだが、いま、現在の主流はどのようなものなのだろうか。

確かに「落ち着いた」というものの見方はできますが、一時期は「網野善彦が指摘したことには何の意味もなかった」といった見解がまかりとおっていましたので、「衰退」「反動」といってもよい情況だったと思います。また社会史は、単に社会を研究対象とした…

人間と神の境界が曖昧ということは、日本人にとっての神とはけっきょく何なのでしょうか。キリスト教などの一神教の神=the Godと同じ日本語なのが不思議です。

その感想・疑問はよく分かるのですが、同時に、神を人間から屹立させるキリスト教的な神観念自体も、普遍的事実ではないことを理解すべきです。つまり、人間/神が連続するような神観念、これは実は世界的に強固に広がる観念で、神は精霊的な存在といいかえ…

社会史について、巨視的なものから微視的なものへの歴史の転換という話題があったが、微視的なものは巨視的なものへ自ずから昇華していく、あるいは昇華させていくべきかと考える。

注意しなければいけないことは、個々のものを集積してもそれは集合性には直結しない、ということです。これは、社会学の生みの親のひとりデュルケームが強調したことですが、集合性を明らかにするためにはそれ独自の方法を採らなければならないということで…

1950年代、「記録の時代」の「記録」には、どのような性格があったのだろうか。 / 国民的歴史学運動においては、どのような人たちがどのような歴史を学ぶのがよいとされたのでしょうか?

「記録」の時代の「記録」は、現在でいう実証主義的な「ありのまま」よりも、より広汎で豊かな記述の仕方を含むものでした。それは必ずしもリアリズムではなく、散文でもなく、例えば詩歌の形をとって、東アジアの間に広汎な共感と協働を呼び起こしました。…

日本ではなぜ天皇制が支配的となり、民衆による革命が起こらなかったのでしょうか。

いわゆる革命が必然的か、ということについては、ぼく自身は否定的です。天皇制についても、そもそも近世までの政治・社会において、天皇の存在は打倒しなければいけないほど抑圧的、かつ絶対的な権力だったのか疑問です。近代天皇制は、天皇自身や皇室関係…

歴史学においては、80〜90年代までマルクス主義の影響が強かったとのことだが、その後短い間になぜ180度異なる考え方が広まってしまったのだろうか。

授業でもお話ししましたが、180度というわけではありません。現在でも40代より上の研究者は、世界史の発展原則自体は信じていなくとも、マルクスの思想にはシンパシーを持っていると思います。1960、1970年代の安保闘争は、学生運動・市民運動と一般社会を断…

戦後のマルクス主義は、戦前・戦中の弾圧に対する反動で流行したということなのですか? / 冷戦時代アメリカ側だったのに、マルクス主義はアメリカから圧力を受けなかったのでしょうか?

日本列島の社会は共同体の力がずっと強固でしたので、財を集団で共有するという社会主義の発想には、もともと適合性があったとみることもできます。しかし実際のところは、多くの人々が戦時下の抑圧からの自由を求めていた、マルクス主義がその自由を体現し…

唯物史観について初めて勉強したが、最終的に共産主義を希求していく必要があるということについては、現在の世の中の学問体系では、無理があることなのではないだろうか。

共産主義にしても、社会主義にしても、まだ人類の歴史において、その理想が実現されたことはありません。それゆえに、ソ連や東ヨーロッパ諸国が崩壊したことで、「社会主義は終わった」と判断することも短絡的です。事実、現代思想の世界では、社会的格差の…

マルクス主義について、複雑でよく分からなくなりました。簡潔にいうとどういうことですか? / マルクス主義の主な考え方は、「資本主義より社会主義」と捉えてよいのか?

マルクス主義の思想は、簡潔ではありません。世界は複雑です。どうか、ものごとを簡潔にみようとすることを、一歩踏みとどまって下さい。「簡潔にする」ことによって零れ落ちてしまうもの、隠されてしまうことは極めて多いのです。なお、マルクス主義につい…

国体の定義は、来たるべき戦争に向けて行われたのでしょうか。ならば、国民は何か反対運動を起こしましたか? / 近代の教育のあり方がもっとアカデミックであったら、社会的混乱は生じたのでしょうか?

国体の定義については、非常に長い時間をかけて徐々に行われていったので、一般社会においては大きな混乱は起きませんでした。しかし、大正12年(1923)の関東大震災前後から昭和15年(1940)の皇紀2600年に至るまで、国家・社会全体でみるとかなりひどい弾…

通説だった天皇機関説が排斥されたのは、満州事変で勢いをつけた陸軍が政治を操りやすくするため、岡田啓介に国体明徴声明を出させたからでしょうか?

天皇機関説においては、軍事における天皇大権の行使に内閣の輔弼が認定されています。軍部としてはこれを排除し、軍事における陸軍の自由度を向上させようとしたのは確かでしょう。そこで、陸軍中将でもあった貴族院議員の菊池武夫が美濃部学説への攻撃を行…

美濃部達吉の天皇機関説が、なぜ国家も認める通説であったのか、よく分からなかった。大日本国憲法では、天皇大権で、国民はあくまで天皇に使える臣民だったはずであり、最初から批判されていてもおかしくはない。

天皇機関説は大日本帝国憲法下における解釈学説で、「統治権は法人である国家に属し、国の最高機関である天皇が国務大臣の輔弼を受けてこれを行使する」との考え方が基本であり、天皇大権を尊重しこそすれ制限するものではありませんでした。帝国憲法をその…

神道と仏教、天皇による国体の確立について、詳しく書かれた書籍はあるでしょうか。

以下に、コンパクトに読めるものを掲げておきましょう。・安丸良夫『神々の明治維新』岩波新書、1979年・原武史『〈出雲〉という思想』講談社学術文庫、2010年・島薗進『国家神道と日本人』岩波新書、2010年・伊藤聡『神道とは何か:神と仏の日本史』中公新…

講義とは直接関係ありませんが、『古事記』や『日本書紀』に人類創造の話がないことは、前から疑問に思っていました。

実は、イザナキ・イザナミに類する始原の兄妹・夫婦神が、現在の民族の祖先を産むというタイプの民族起源神話は、東アジアの少数民族の間に広く残っています。そこではヒルコを想像させる肉塊から、人間と羊や豚が生まれたり、あるいは隣接する民族が複数生…

中世以降の日本では、天皇制を維持したまま実質的な国家運営権力を争う形が多いと思いますが、なぜ天皇制そのものをなくして新たな王となろうとする人物がいなかったのでしょうか。

授業でも少しお話ししましたが、古代から現代に至る日本列島の歴史のなかで、近現代が最も天皇制が安定している時代です。それ以前は、いつ天皇制が消滅してもおかしくない情況にありました。近世の江戸幕府などは、よく「宗教的権威は天皇、世俗的権力は将…

近代に神道が激変した際、人々は、それを容易に受け容れることができたのでしょうか? / 天皇支配の基盤である神道に教派による争いがあったにもかかわらず、宗教紛争のような戦いが起こらなかったのが不思議だと感じました。

一番下の参考文献をみていただければ分かりますが、確かに士族反乱のような大規模な暴動はなかったものの、いつそれが起きてもおかしくない状態は持続していました。また見方を変えれば、例えば島崎藤村の『夜明け前』の主人公など、平田国学に傾倒して明治…

復古神道の三派が勃興する以前は、神道の最高神は定まっていたのでしょうか?

古代の、国家主導の神祇制度においては、最高の位置に付いていたのは皇祖神のアマテラスでした。しかし、『古事記』や『日本書紀』のなかではそれが必ずしも一貫しておらず、また天皇中心の構成にもなっていません。どうやらアマテラス以前は、造化三神のう…

マジョリティの歴史が優先されてしまうと、マイノリティの歴史はないものにされてしまうというお話を、序盤で聞きました。それを分けて考えることはできないのでしょうか? マイノリティの歴史は積極的に排除されてしまうものなのでしょうか?

のちの中世史のトピックでは、アイヌを扱うつもりでいます。その際に具体的に示してゆきますが、皆さんが学んできた高校までの日本史では、アイヌをどのように学んでいたでしょうか。恐らくは中世〜近世で琉球とともに、列島の北端と南端(西端)の歴史とい…

学問としての歴史と教育としての歴史が異なるのは、内容が異なるということですが、方法や解釈が異なるということですか?

この授業を半年受けて、そのことに自分なりの結論を出してください。学期末の小テストの問題に関わりますので、ここでは保留にしておきます。

現在の教育のあり方は、戦前の教育のあり方に近づいているとの指摘がありましたが、現在だからこそ同じ過ちを犯さないように、何ができますか?

「戦前回帰」といわれる問題ですが、ぼく自身は、単純にこの一言で片付けられる問題ではないと考えています。授業でも少しお話ししましたが、当時と現在とでは、日本を取り巻く世界情勢も、国内の事情も異なります。しかし、教育において国権が強化されてい…

水戸学についてですが、水戸学を興した水戸藩は徳川御三家、すなわち徳川政権の一部であるはずなのに、なぜ武家政権を批判しうる、王権を軸とした『大日本史』を編纂したのでしょうか。

徳川政権も、天皇から征夷大将軍を拝命している意味では、王権に依存した機関です。そもそも幕府とは、中国南北朝時代の府官制に起源する機関で、皇帝権力を分有する将軍が、内乱地域を安定させるため、一定期間臨時政府を設置することを認められたものです…

ナショナル・ヒストリーは、必要ではないものなのでしょうか。国家にとって、ある程度の統一感は必要に感じます。

皇国史観のところで触れたように、ナショナル・ヒストリーが基本的には怖ろしいものである、国家の目的に国民を動員してゆくために、その自由はもちろん、基本的人権さえ侵害する危険性を持つことを、まずは充分に認識すべきです。国家が正当なものとして公…

歴史学には主観も大切、ということが印象に残りました。しかし、主観は人によって違うわけですが、ならば「歴史」とはどう完成されるのでしょうか。歴史学者が書いたもののなかで、共通点だけ残したものが「歴史」ですか?

授業でもお話ししましたように、この全世界で1秒間に起きる出来事のすべてを記録することすらできない以上、「完全な歴史」はありえません。歴史叙述は、永遠に完成することはないのです。いいかえれば、偏重や欠落を、集合的主観の創り出す多様性で補完し…

江戸時代には階層、藩ごとに考え方や価値観が異なっていたものを、明治に統合してゆくのは困難が伴ったとのことですが、現在の日本もマジョリティの考え方によって人が動いているので、歴史もマジョリティの思考を教えるしか余裕がないのではないでしょうか。

マジョリティの思考とは何でしょうか。端的に「大多数の」と考えた場合、それは一般庶民の歴史観ということになり、現在主義的な教訓や、多くは現状を正当化するために物語的な歴史が再生産される状態でしょう。実証主義的な〈事実〉は、それほど重要視され…

現在主義的な歴史の捉え方とは、例えばどのようなものでしょうか。

すでに授業でお話ししましたが、マルクス主義歴史学なども現在主義です。ランケの実証主義は、それぞれの時代に優劣はなく、古代には古代の、現代には現代の固有の価値があると考えますが、現在主義では文字どおり現在が最も重要で、先行する各時代は現在を…

国史・西洋史・東洋史の3区分で捉えているのは日本と韓国のみとのことですが、中国は国史と西洋史の2区分ということでしょうか。

一般的には、自国史とそれ以外の国々の歴史=世界史、ということになるのでしょう。中国では、広大な地域において種々の事情の相違がありますので、やはりナショナル・スタンダードが完徹されているわけではありません。1999年から現在まで続く教育改革のな…

定期テスト期間中、テストはないという理解でよろしいでしょうか。

ありません。基本的に平常点、その平常点を少し拡大した小テストのみです。