2018-10-24から1日間の記事一覧

人間と神の境界が曖昧ということは、日本人にとっての神とはけっきょく何なのでしょうか。キリスト教などの一神教の神=the Godと同じ日本語なのが不思議です。

その感想・疑問はよく分かるのですが、同時に、神を人間から屹立させるキリスト教的な神観念自体も、普遍的事実ではないことを理解すべきです。つまり、人間/神が連続するような神観念、これは実は世界的に強固に広がる観念で、神は精霊的な存在といいかえ…

社会史について、巨視的なものから微視的なものへの歴史の転換という話題があったが、微視的なものは巨視的なものへ自ずから昇華していく、あるいは昇華させていくべきかと考える。

注意しなければいけないことは、個々のものを集積してもそれは集合性には直結しない、ということです。これは、社会学の生みの親のひとりデュルケームが強調したことですが、集合性を明らかにするためにはそれ独自の方法を採らなければならないということで…

1950年代、「記録の時代」の「記録」には、どのような性格があったのだろうか。 / 国民的歴史学運動においては、どのような人たちがどのような歴史を学ぶのがよいとされたのでしょうか?

「記録」の時代の「記録」は、現在でいう実証主義的な「ありのまま」よりも、より広汎で豊かな記述の仕方を含むものでした。それは必ずしもリアリズムではなく、散文でもなく、例えば詩歌の形をとって、東アジアの間に広汎な共感と協働を呼び起こしました。…

日本ではなぜ天皇制が支配的となり、民衆による革命が起こらなかったのでしょうか。

いわゆる革命が必然的か、ということについては、ぼく自身は否定的です。天皇制についても、そもそも近世までの政治・社会において、天皇の存在は打倒しなければいけないほど抑圧的、かつ絶対的な権力だったのか疑問です。近代天皇制は、天皇自身や皇室関係…

歴史学においては、80〜90年代までマルクス主義の影響が強かったとのことだが、その後短い間になぜ180度異なる考え方が広まってしまったのだろうか。

授業でもお話ししましたが、180度というわけではありません。現在でも40代より上の研究者は、世界史の発展原則自体は信じていなくとも、マルクスの思想にはシンパシーを持っていると思います。1960、1970年代の安保闘争は、学生運動・市民運動と一般社会を断…

戦後のマルクス主義は、戦前・戦中の弾圧に対する反動で流行したということなのですか? / 冷戦時代アメリカ側だったのに、マルクス主義はアメリカから圧力を受けなかったのでしょうか?

日本列島の社会は共同体の力がずっと強固でしたので、財を集団で共有するという社会主義の発想には、もともと適合性があったとみることもできます。しかし実際のところは、多くの人々が戦時下の抑圧からの自由を求めていた、マルクス主義がその自由を体現し…

唯物史観について初めて勉強したが、最終的に共産主義を希求していく必要があるということについては、現在の世の中の学問体系では、無理があることなのではないだろうか。

共産主義にしても、社会主義にしても、まだ人類の歴史において、その理想が実現されたことはありません。それゆえに、ソ連や東ヨーロッパ諸国が崩壊したことで、「社会主義は終わった」と判断することも短絡的です。事実、現代思想の世界では、社会的格差の…

マルクス主義について、複雑でよく分からなくなりました。簡潔にいうとどういうことですか? / マルクス主義の主な考え方は、「資本主義より社会主義」と捉えてよいのか?

マルクス主義の思想は、簡潔ではありません。世界は複雑です。どうか、ものごとを簡潔にみようとすることを、一歩踏みとどまって下さい。「簡潔にする」ことによって零れ落ちてしまうもの、隠されてしまうことは極めて多いのです。なお、マルクス主義につい…

国体の定義は、来たるべき戦争に向けて行われたのでしょうか。ならば、国民は何か反対運動を起こしましたか? / 近代の教育のあり方がもっとアカデミックであったら、社会的混乱は生じたのでしょうか?

国体の定義については、非常に長い時間をかけて徐々に行われていったので、一般社会においては大きな混乱は起きませんでした。しかし、大正12年(1923)の関東大震災前後から昭和15年(1940)の皇紀2600年に至るまで、国家・社会全体でみるとかなりひどい弾…

通説だった天皇機関説が排斥されたのは、満州事変で勢いをつけた陸軍が政治を操りやすくするため、岡田啓介に国体明徴声明を出させたからでしょうか?

天皇機関説においては、軍事における天皇大権の行使に内閣の輔弼が認定されています。軍部としてはこれを排除し、軍事における陸軍の自由度を向上させようとしたのは確かでしょう。そこで、陸軍中将でもあった貴族院議員の菊池武夫が美濃部学説への攻撃を行…

美濃部達吉の天皇機関説が、なぜ国家も認める通説であったのか、よく分からなかった。大日本国憲法では、天皇大権で、国民はあくまで天皇に使える臣民だったはずであり、最初から批判されていてもおかしくはない。

天皇機関説は大日本帝国憲法下における解釈学説で、「統治権は法人である国家に属し、国の最高機関である天皇が国務大臣の輔弼を受けてこれを行使する」との考え方が基本であり、天皇大権を尊重しこそすれ制限するものではありませんでした。帝国憲法をその…