2018-11-14から1日間の記事一覧
公文書館、史料館、民俗資料館なども、博物館の範疇に含めます。
前々回お話ししたように、やはり、宗教に対する寛容さの象徴のように位置づけられる神仏習合を、列島文化として考えたい欲求が強いのでしょう。もちろん、正確な知識がほとんど広まってないことも原因です。一般社会は、「本当のことを知ろうとする」知的好…
神武天皇は、国家の始まりを象徴する存在です。7〜8世紀の古代国家が、国内外に「日本」の起源を説明しようとするとき、中国王朝の始祖たちに準えて創出したものと考えられます。その描写には、漢籍に基づくフィクションも多いのですが、大王家はもちろん…
縄文時代の遺物や遺構を分析してみると、どうやら当時の人々は、死と再生という自然の循環のサイクルを、神的なものとして信仰していたらしいことが窺えます。森羅万象に精霊の宿るアニミズムは、そのうえに展開していたと理解するならば、かかる〈死と再生…
重要な指摘ですね。より正確にいいかえると、勧農イデオロギーの不全、ということになるかと思います。8世紀は温暖化により農業の収量が増え、条里制にも基づく耕地開発や、三世一身法から墾田永年私財法に至る土地制度が整備されてゆき、有力農民から新興…
神が苦しむ存在とみなされた理由は、上記のとおりです。また極楽というのは、仏教のうち阿弥陀信仰に基づくユートピア=仏国土であり、解脱したもののみが往生できる世界ですので、そこに存在するものはすべて仏です。未だ輪廻する存在である神は、天道には…
中国で作られた神身離脱の形式において、神が苦しむ存在、罪を作り続けるものとされたのは、まずはその信仰のあり方にあります。中国における祠廟の神々に対する祀り方は、当時、酒と肉を供えて祈願するのが一般的でした。これは、超越的存在に犠牲を捧げる…
初期神仏習合は、仏教の側による神の〈解釈〉なので、力関係において仏>神と認識されてしまうのは、仕方がありません。ただし、日本的特徴の箇所でお話ししたように、古代日本の神身離脱説は、廟神を解体する中国のそれとは異なり、神祇の再活性化へと向か…
もともと「仏」は目覚めた人を意味していましたが、大乗仏教化のなかで神格化が進んでゆきます。しかし、人間が修行を重ねて「なる」存在であることに注意が必要です。一方の神祇信仰の「神」は、やはり自然を直接的に表象するものであり、人間が「なる」も…