2018-12-05から1日間の記事一覧

史跡レポートですが、春学期の「アジア・日本史系概説」に提出した場所について、別の観点からみるものではいけませんか?

いちいち、同じ学生がどこを選んでいるかは調べないと思いますが(笑)、まったく同一ではないほうがいいですね。いろいろなところをみにいってもらう、というのがそもそもの意図ですでので、鋭意努力を。

『歴史秘話ヒストリア』などの説は、ほぼ間違っているのでしょうか? とくに気になるのは、イスラエルから秦氏がやってきて、日本はイスラエルとの関わりが強いという話を信じているのですが、先生はどう思われますか?

『ヒストリア』は、まるっきり間違いを描いているわけではありませんが、見せ方に問題がありますね。秦氏とイスラエルの話は、史料的にはまったくのデタラメですので、あまりこだわらないほうがいいでしょう。そもそも「秦」字を太秦景教と結びつける説です…

蝦夷地の全容を幕府が知ったのはいつだったのでしょうか。

まずは寛永12年(1635)、幕府の版図地図作成命令に応じて、松前藩が藩士村上広儀らに船で全島を一周させ、樺太にも別働隊を派遣して大勢を把握し、その成果を「正保国絵図」に反映させています。しかし画期的だったのは、授業でも触れた天明5〜6年(1785〜8…

今までの歴史のなかで、領域国家の抑圧に負けなかった民族は、存在しなかったのでしょうか?

歴史学者・政治学者のジェームズ・スコットが研究している、中国西南部から東南アジアの山岳地帯に住む少数民族たちは、焼畑農耕や狩猟を主な生業に移動を繰り返し、突出した首長を持たない平準化された社会を営み、文字も持たず、歴史や神話をも柔軟に改変…

松前藩は、なぜアイヌとの良好な関係を保とうとしなかったのでしょうか?

もともと松前藩の側に中華思想的な夷狄観があり、アイヌに対する優越性が存在したことは確かです。そこへ東北の不作を契機とする財政の逼迫があり、藩政を維持するために抑圧的な態度を取らざるをえなかったのでしょう。環境史のところで言及しますが、実は…

そもそも、なぜアイヌに対して差別的な考えが生まれたのですか? / 言語や服装、文化の相違が原因でしょうか? / 松前藩とアイヌが、意識的に平等だったのはいつまででしょうか?

アイヌの人びとに対する差別感情は、古代の蝦夷の人びとに対するそれに起源します。古代国家は中国王朝の中華思想を受け容れ、自らを世界の中心として認識し、周縁の人びとを夷狄として疎外し、その生活文化を中央=文明との対比において野蛮化してゆく。「…

松前氏の系図について、パワーポイントの本文には「安東」氏、系図には「安藤」氏という表記がありました。どちらが正しいのでしょうか。

どちらでも表記しますので、どちらも間違いではありません。

清朝のホジホン/サルガンジュイの制度ですが、女性側の抵抗はなかったのでしょうか?  / 辺民に娘を与えるのは嫌だという反発は存在しなかったのでしょうか?

サルガンジュイとなった女性たちの父親は、三等侍衛、護軍参領、前鋒、馬甲、驍騎校、委署親軍校などとなっていますが、これらはほとんど禁旅八騎、すなわち北京において皇帝を守護する親衛隊の一員です。その娘たちにとって、辺境の有力者の妻になることは…