2018-12-12から1日間の記事一覧

日本史をずっと学んできて疑問に感じていることとして、日本人にはやたらと異質な存在、とくにアジア人などを下にみる習慣が歴史的に垣間見えるが、これは他のアジア人も同じなのだろうか。

歴史的にみれば、自らを政治・文化の中心とみなし周囲を蛮族と捉えるエスノセントリズムは、まずは中国王朝において強烈にみられます。倭=日本も当初はその差別的視線にさらされますが、古代国家形成時、それ自体を自らのものとして小中華的な世界観を築い…

近代においても、首級を挙げるといった中世のような行為が行われていたのはなぜなのでしょう。近代の戦争において、リーダーを殺したうえでさらし首にする必要性があったのでしょうか。

中世から戦国期に「首級を挙げる」ことと、近世から近代初期に「梟首にすること」とは、やや性格が違います。前者は人類学的にみれば首狩りの一種でしょうが、後者はみせしめの性格が強い刑罰です。日本軍の東学党農民軍に対する措置には、早くから「見せし…

のちにアイヌが同化されてゆく段階にあって、分断され幕府と関わらなかったような地域では、アイヌ文化を維持できたのでしょうか。

上にも触れたとおり、幕府直轄化による和名化などは進められてゆきますが、アイヌの文化が全面的に破壊されていったわけではありません。アイヌ文化自体が交易のなかから形成されてゆくことを考えれば、文化とは常に変転を繰り返すものなので、和人やロシア…

アイヌたちにとって、松前藩や商人たちとの交易は有益だったのでしょうか?

少し授業でも触れましたが、場所請負制に関しては、平和裡に開かれ、アイヌに歓迎された漁場もあったようです。同時期のエトロフでは、1800(寛政12)に石高換算で2700石、翌年には5220石の魚油を産出し、それなりの利益がアイヌ社会にも流れたようです。同…

クナシリ・メナシの戦いについて、松前藩は約束を反故にして和人殺害の実行犯たちを処刑しましたが、幕府による直轄化はその事実を隠蔽するためだったのではないかとも思います。そうした意図はなかったのでしょうか?

江戸幕府のあり方は、一応は各藩を統率管理する日本政府としての体裁を持っていますが、もとは戦国大名同士としての競合関係を基盤にしています。幕府の初発期、各藩に些細な瑕疵を認めて取りつぶしを行い、その武力・財力を削減していったように、彼らには…

クナシリ・メナシの戦いについて、松前藩は飛騨屋と折り合いが悪かったのに、なぜアイヌが彼らを襲撃した際に鎮撫軍を送り、欺してまで処刑したのでしょうか。

松前藩は、これまでのシャクシャインの戦い、豊臣・徳川による朱印状・黒印状を背景にしての恫喝でもみてきたとおり、アイヌと交渉する和人の代表としての立場を持っています。いくら折り合いの悪かった飛騨屋とはいえ、和人がアイヌによって殺害されるとい…

日本にとって不利となる歴史的に重要な史料がみつかったとき、それを隠蔽しようとしてばれて、大きなスクープになったことはないのでしょうか?

まさに、徴兵工や慰安婦をめぐるいま現在こそ、その状態にあると思います。例えば慰安婦をめぐる朝日バッシングなどは、虚偽であった吉田証言に基づく誤報を朝日が陳謝したことに始まり、メディアでは産経がこれを攻撃、国家として国際的には慰安婦の問題を…

キツネの養殖について、記録がほぼ残っていないとのことですが、調べれば出てくるものなのですか?

当時刊行されていた(すなわち当時の価値観で書かれた)カラフトの写真集や、毛皮養殖に関する技術書、皮革産業の歴史書などが存在しますので、それを手がかりに分析してゆくことが可能です。7月に行った国際会議での報告を準備してゆく際、僥倖であったの…