2018-12-19から1日間の記事一覧

スナイドル銃の口径が大きかったのは、実用的ではなかったのでしょうか、また人道的視点が考慮されたのでしょうか?

銃弾の射程距離を延ばし命中率を高めるためには、口径をある程度小さくし流線型にするほうがよいので、この時期に口径が大きいのは、単にまだ技術は発展途上であったからでしょう。また、大きな口径の弾丸を撃ち出すためにはそれなりの爆発力が必要であり、…

当時の作戦の遂行過程において、現地の人とは何語で話をしていたのでしょうか。

通訳がいました。朝鮮王朝においては、通訳官養成所において日本語の書物が翻訳され、日本語の研究も行われていました。同時に日本でもハングルの読める知識人はおり、福澤諭吉門下の井上角五郎などが、ハングルによる新聞の発刊を援助しています。日本軍の…

外国人に比べ、日本人は過去の問題に対する憎悪があまりないように思えますが、教育のせいなのでしょうか?

「国民性」という不正確な言葉はあまり使いたくないのですが、確かに列島社会には、感情の爆発について抑制的なところがあるかもしれません。しかしそれは必ずしもよいこと、理性的なことを意味しません。むしろ事を荒立てない、問題を対象化するのを避けて…

日本兵に朝鮮への蔑視があったということですが、それはなぜなのでしょうか?

もちろん、統一新羅以来の半島を仮想敵国とする考え方(それは例えば、天然痘の起源は挑戦であるなどの民俗知を生みだし、根付かせてゆく)の影響もあるでしょうが、直接的には、明治18年(1885)に発表された福澤諭吉の「脱亜論」や、その背景にある政治的…

殲滅作戦に参加した日本の兵士たちは、倫理的感覚が麻痺しているように映りますが、それほど、一般国民に対する日本政府の力が大きかったということでしょうか?

現代的な価値観で当時の戦争行為をみると、確かに「狂気」が浮かび上がってきますが、それが当時の日本の戦争の常識だったのだ、と捉えると話は変わってきます。授業でも少しお話ししましたが、明治10年(1877)の基礎史料である『従征日記』を読むと、幕末…

当時、敵国ではない朝鮮において、しかも兵士ではない一般市民を相手に行われた皆殺し作戦は、戦いとしてはどのような位置づけになるのでしょうか。 / 国際法違反とのことですが、当時国際法はどの程度守られていたのでしょうか。

1880〜90年代にかけて、日本では国際法の翻訳ブームが起こり、盛んに訳書が刊行され急速に理解が進んでゆきます。そのなかから、有賀長雄、寺尾亨、高橋作衛、中村進午といった、国際法を専門とする法学者が登場してくるのです。川尻文彦氏(「『万国公法』…

なぜこの、東学党農民殲滅の愚行は、日韓において、慰安婦のように問題にならないのでしょうか? / この事実は、韓国の一般市民にどの程度知られているのでしょうか?

韓国では民主化の動きと連動し、1994年の100周年までには大きく研究が進展、史料も集成・刊行され、多くの研究書も出版されて、従来マイナス視されることの多かった東学党の再評価が進んだようです。その結果、2004 年に「東学農民革命参加者の名誉回復に関…

「戦前への反省」という日本人の言葉には、日清戦争や日露戦争は含まれていないように思えます。なぜこのような区切りが発生してしまうのでしょうか。

やはり、授業でお話ししたような司馬史観、別のいい方をすれば明治礼讃史観が極めて強い、ということでしょう。19世紀後半のアジアは欧米列強による植民地分割の舞台となっており、日本もいつその対象になってもおかしくなかったけれども、明治維新によって…