2019-06-03から1日間の記事一覧

中国では、周朝、漢代では武帝や景帝といった1文字の名前の皇帝が多く、北魏の時代には太武帝、孝文帝など2文字の皇帝が現れ、隋・唐・宋では1文字に戻り、そののちはまた2文字の皇帝が増えました。これには、民族的な理由などがあるのでしょうか?

これは、中国皇帝に対する一般的な呼び方が、諡号、廟号、そして元号に基づく呼称などを、混乱して用いているための誤解だと思います。中国では、周王朝の時期に、皇帝の業績に応じて臣下が諡号を奉呈する仕組みができあがりました。これは、『逸周書』諡法…

天皇制をめぐる「神話の歴史化」が興味深いです。ギリシアなどでは、為政者が神の子孫ということはなく、神/人の線引きがしっかりできていたように思います。それはギリシアが民主制だったからでしょうか?(書きかけ)

天皇=神というのは、直系のみに当てはまるのですか?

あくまで天皇の位に関するものです。柿本人麻呂が即神表現を生み出している段階では、高市皇子や忍壁皇子など、天武の皇子たちも「神」として扱われていますが、それはやはりプリミティヴな段階にあったからでしょう。伝統的には、古墳時代の首長が、古墳祭…

天皇による開発事業が天皇の神性を生み出す結果となったと理解したが、世界史的にみて開拓や灌漑は支配者に神的要素を与えるものなのか。現実に開発を行う人民の存在は、そうした言説の妨げにならないのか?

まず、中国において最初の人間の王朝=夏を開いたとされる禹王は、中華全土の治水に成功したため、帝舜から禅譲を受けて即位をしたとされています。古墳時代のところでも言及しましたが、水をコントロールすることが王権を生み出す、あるいは強化することは…

藤原四子亡きあと、藤原氏からの権力者をしばらく聞かないが、恵美押勝が権力を握るまでの藤原氏はどうだったのか。皇族に親族を多く持っていたため、その血縁を活かしたのだろうか。

古代から書き継がれてきた公卿の職員録である『公卿補任』によると、まず、藤原四子の死亡直後の天平10年(738)の廟堂の構成は、下記のとおりとなっています。橘諸兄は、授業でもお話ししたように不比等の女婿であり、藤原光明子の異母兄に当たる人物なので…

年表で「光仁朝」といった表記がありますが、〜朝というのは、単に天皇が治めた時代といった意味でしょうか。王朝交替を前提とした表記に思えてしまうのですが…。

「朝」には朝廷、治世・御代などの意味があります。世界史的な王朝交替を前提にすると誤解が生じますが、東洋史や日本史ではある皇帝、天皇の治世を「○○朝」と表現します。しかし、これも確かにさまざま問題があるいい方であることは確かです。「○○朝」と時…

藤原京の造営時に、墳墓を破壊していたというのは意外だった。いくら都を造るためとはいえ、抵抗はなかったのだろうか。当時の人々は、どのような理屈でそれを乗り越えたのだろうか。

『日本書紀』持統7年(693)2月己巳条に、「造京司衣縫王等に詔して、掘るところの尸を収めしむ」との記載があります。造営工事に際して暴かれてしまった遺体を収容し、いずれかへ埋葬したとの内容でしょう。藤原京域には、例えば畝傍山北東の京域に、古墳…

巨大な都城を造営し、視覚的イメージによって天皇の力を誇示することは理解できるのですが、中国の権威を用いることに意味はあったのでしょうか。当時の一般の人びとに、中国王朝の知識はあったのでしょうか。 / そもそも古代に人びとにとって、天皇とはどのような存在だったのでしょう。

やはり、都城の造営には、律令国家を運営することの実質的機能とともに、ご指摘のとおり権力の誇示の問題があります。その「誇示」には大きく分けて2つの面があり、ひとつは新羅や唐に対し、倭=日本の文明性と国力の大きさを知らしめること。中国的な都城…

多くの天皇が出てきますが、当時、天皇の優秀さというものは問われたのでしょうか。

大きな時代の流れ、もしくは一時代の政治的局面によりますね。飛鳥時代は大王から天皇への移行期ですので、実力重視の段階から王統重視の方向へ舵を切り、例えば蘇我氏が朝廷に大きな権力を得ていた段階では、蘇我氏との血縁関係や、あるいは王権を支える畿…

藤原京についてですが、石材も離れた場所から運搬されてきたのでしょうか? 低湿地帯に石切場がある印象がないのですが…。

最初の中国的都城である藤原宮の大極殿は、土で固めた基壇表面を加工石材で装飾した、切石積基壇をもちいた最初の宮殿でした。斉明朝以来の飛鳥京の荘厳、あるいは重要な墳墓の造営においては、同地ともほど近い河内との境界に位置する、二上山の凝灰岩が頻…

称徳天皇は道鏡を皇位に即かせようとしたとのことですが、本来僧は世俗から切り離された存在であり、彼らが王位に即くのは道理に反しているのではないかと思います。

そうですね。このことを理解するためには、奈良時代、僧尼が置かれていた環境について知っておく必要があります。現在の感覚でいうなら、個人がいかなる信仰を持とうが、仏教に帰依し出家をしようが、国家がそれに介入をするのは不当でしょう。しかし、まさ…

墾田永年私財法は国家にとってプラスであったかマイナスであったか、教科書等の記述でコロコロ変わっています。先生はどうお考えですか?

政策を歴史的に評価する場合、現時点で当面する課題に効果的であったかということと、将来にわたってどのような影響を及ぼしていったのか、ということがポイントになるでしょう。前者においては、三世一身法から墾田永年私財法にかけての政策的流れは、それ…

天智天皇の「智」はあまり良い字ではなく、この諡号が贈られているのは、あまりよく思われていなかった人だという話を聞きました。本当でしょうか?

井沢元彦説ですね。まったく根拠のない、いわゆるトンデモ「学」説です(正確には学説ではなく、評論に過ぎません)。信じてはいけません。授業でもお話ししましたように、奈良王朝は天智天皇を皇位継承の正当性の根拠に据え、さまざまに顕彰していました。…