2019-10-01から1ヶ月間の記事一覧

美濃部達吉の天皇機関説が、大正デモクラシー期に至るまで日本法曹界の通説であったということは、とても驚きました。なぜ、これほどまで天皇が神格化されていた時代に、機関説が認められていたのでしょうか?

天皇機関説は、国家を法人とみて、天皇はそれを運営する機関=オルガンであると位置づけるものです。天皇大権を認めた大日本帝国憲法自体が、その権能を規定している点で立憲主義に則っており、支配の正当性には神話を置きながらも、その神聖性を無制限な権…

中国や韓国からすると、日本の首相が靖国神社を参拝するということは侵略戦争を起こした人物を肯定しているのと同じだ、日本は戦争に対して反省していないというが、戦争を肯定しているのは中国、韓国だろうと思う。軍事費を増やしたり、積極的に戦争を意識していると思う。

困りました、これまでこちらが講義でしてきた話を、8割方聞いてくれていなかったのでしょうか。私も中国や韓国の政治的な駆け引きを100%肯定しているわけではありませんが、慰安婦問題にしろ徴用工問題にしろ歴史認識問題にしろ、彼らが日本に対して主張し…

大正デモクラシーが続いていたら戦争はなかったかもしれない、と仰っていましたが、その場合、皇国史観にあたるものとしては何が考えられますか?

まず、同時期のドイツにおいて、ワイマール憲法に基づく民主的な体制からナチスが生まれてくることを考えても、世界恐慌からの復帰のために強固なナショナリズムが志向されることは、当時ひとつの必然だったのかもしれません。日本ではさらに関東大震災が重…

ヨーロッパでキリスト教、ユダヤ教、イスラム教などが発生し爆発的に広がったのに対し、東アジアではあまり一神教の概念自体が生じなかったのではないか、と思います。それはなぜだったのでしょうか?

身も蓋もない云い方になってしまうのですが、実は、現在の宗教学では、一神教/多神教というカテゴライズの仕方自体に疑問が提示されています。例えば、日本古代国家の神話的世界観では、皇室の祖先神=アマテラスを中心とした天神のパンテオンが高天の原に…

なぜ日本は昔、「瑞穂の国」と呼ばれていたのですか。

「豊葦原瑞穂国」とは、豊かな葦原の生い茂る、瑞々しい稲穂の稔る国、という意味です。弥生時代以来、列島社会における権力の伸張は、灌漑稲作の展開とともにありました。これから行われる、天皇の即位祭儀としての大嘗祭も、稲作を前提として成立していま…

マルクス主義が入って来たことで、具体的によい影響はあったのでしょうか。

歴史学の観点からいいますと、それまでの皇国史観が天皇中心の歴史観、すなわち支配者の視点による歴史観であったのに対し、マルクス主義歴史観は一般の人々の視点から歴史を考えようとしました。国家によって編纂された、あるいは支配者層によって記録され…

マルクス主義の件ですが、なぜ歴史学において法則性が重視されるのでしょうか。〈繰り返す〉ことに何の意味があると考えられているのでしょう。 / 歴史における法則とはそもそも何でしょうか、どの程度まで許容されるものなのでしょうか。

詳しくは次回お話ししますが、マルクス主義歴史学(唯物史観)の重要な点は、社会・経済が別の形式へ展開してゆく仕組みを、厖大な歴史資料から明らかにし理論にまで高めた点です。マルクスはまず、歴史を人間の自由な意志や観念の展開のうえに位置づけてき…

現在ウサギは命の大切さを知る、というような名目で飼われていますが、戦前・戦中に毛皮・非常食用として飼育されていたなんて、衝撃を受けました。何か、転換の契機があったのでしょうか。 / 一般の家庭でも、ウサギの屠殺を行っていたのでしょうか。

それほど明確な契機はなかったと思いますが、しいていうならば「敗戦」でしょうね。戦前・戦中は、戦争継続の諸物資を確保するため、人間も含め、動物の素材化が著しく進んだ時代です。家族として大切に飼育されていた、犬や猫も供出されてゆきました。各地…

樺太でキツネ養殖を行っていたのは国営ではなく、個人が多かったと仰っていました。そののち、全国に養殖施設が拡大すると、利益を得たい者による独占的な動きなどはなかったのでしょうか?

残念ながら、まだそのあたりの趨勢は詳しく調査していません。ただし、各地域ごとに会社や組合ができ、それらが養殖の知識・技術を詳述した書物や情報交換の雑誌を創刊していたところからすれば、競合してつぶし合うというより、団結して発展してゆこうとす…

現代オカルティズムを囓っていた宮澤賢治が、北方に行けば死んだ妹と交信できる、と考えた理由は何でしょうか。

これは、近代オカルティズムというより、もっと伝統的な思考との関係で考えたほうがよいかもしれません。東北地域は、近世から近代にかけて数々の深刻な飢饉にさらされますが、その大部分は寒冷地における無理な稲作の展開です。寒冷な気候を象徴する北とい…

日本の毛皮獣養殖の実態で、ホッキョクギツネの色相がさまざまあるなか、銀黒狐が主要というのは、単にその数が多かったからでしょうか。

まず、近世の北方毛皮交易の段階で、クロテンと銀黒狐が最も高級な毛皮として取引されていたためです。カナダでその養殖が開始されたのも、銀黒狐が高級取引品だったからにほかなりません。日本では、プリンス・エドワード島に由来するチャールズ・ダルトン…

養狐の開始が、なぜロシアから獲得した樺太だったのか。樺太の産業育成のためですか。

樺太の産業育成、というのはもちろん理由のひとつでしょう。しかし単純に、プリンス・エドワード島と類似の環境を日本の領土内に探したとき、樺太や千島が浮かび上がってきたものと思います。当初、1909(明治42)年に木谷秀五郎がキツネ飼育を試みた豊原=…

全国樺太連盟所蔵の手書きの地図は、引き上げてきた元の住民の方々が集まって作ったものだと聞きました。人の記憶なので誤っていることもあると思うのですが、どこまで信憑性のあるものとして使えるのでしょう。

上記手書き地図は、純粋に記憶のみからできているわけではありません。当時の町並の写真や映像、絵画、記録などは多少は残っていますし、当時の行政文書や統計文書もあります。それらをできるだけ収集し、住民の方々の複数の記憶を繋ぎ合わせて作られたもの…

キツネの養殖について、ロシアはカナダのケージ飼育の方法を知っていたのでしょうか。知っていたなら前例のある巣箱ではなく、なぜ放牧を選んだのでしょう。

授業でもお話ししましたが、チャールズ・ダルトンがケージによる飼育方法を確立する1894年よりも前に、ロシアでは、アリューシャン列島〜プリビロフ諸島の調査中に青狐の棲息する島を発見、試験的飼養を開始しています。ダルトンの飼育方法も、当初は周辺の…

マルクス主義的な歴史観が1989年頃まで長く日本に影響を与えていたという話があったけれど、1989年以前の論文などには、同歴史学の影響を受けたものが多くあるのでしょうか。また、そのような論文をどう扱ってゆけばよいのでしょうか。

もちろん、多くあります。例えば、日本史研究で最も「権威のある」概説講座ものの『岩波講座日本歴史』、1960年代版を紐解いてください。マルクス主義歴史学の用語・概念で埋め尽くされ、なかなか読み進めることも難しいのではないでしょうか。しかし、問題…

自国の文化を純粋なものと誤認しがちな日本人の国民性は、いつ・なぜ生まれ、今なお目立って存在するのでしょうか。

古代からエスノセントリズム的なものは、必ず何らかの形で存在はしたのですが、その表現形式は、多く外来のものから成り立っていました。例えば、朝鮮半島を諸蕃、東北の辺境民を蝦夷、南方のそれを隼人と位置づけるような日本的中華思想は、もちろん中国王…

最近、オオクニヌシ、アマテラスなど日本の神話における神々をエンタメ化し、ゲームの一部にするのが流行のようです。これに限らず、歴史を表層的に抽出してエンタメ化することに、私は反対です。歴史の本質を読み解く阻害になりかねないからです。

誠実な考え方だと思います。しかし、描き方に問題は種々あるでしょうが、ぼくはそれが、信仰を有する人たちを冒瀆するものであったり、社会的弱者を抑圧するものでない限り、強く反対はしません。なぜなら、前回お話ししたアマテラスのように、時代のあり方…

スサノオのヤマタノオロチ退治は、一体何を意味するものだったのだろうか。 / 『古事記』でアマテラスの弟、スサノオにスポットが当てられたのはなぜですか。

スサノオの神格の意味、起源については複雑で、諸説がありますが、台風や疫病などの災害を表象する神で、朝鮮半島や列島の日本海側にオリジンを持つ存在であったようです。『古事記』はそのスサノオを、アマテラスの弟に設定し、最終的に地上(豊葦原中津国…

江戸時代、伊勢神宮に参拝していた人々は、アマテラスを信仰していたと考えていいのでしょうか。 / 近世以前、日本は多神教という概念はなく、一神教の人が多かったのではないでしょうか。。 / 

近世以前において、基本的に列島社会の信仰のあり方は、当たり前のことながら多神教的です(逆になぜ、「一神教が多い」と思ったのでしょうか?)。授業でもお話ししたように、神仏習合が一般的な状態でしたので、種々の神社仏閣に、たくさんの多様な神仏が…

辺民に下賜された絹織物は、どれくらい価値のあるものだったのでしょうか。

清王朝が黒貂の毛皮に対して下賜した錦がどの程度だったのかは不明ですが、アムール川流域で行われた山丹交易全般においていうならば、辺民たちはかなり高価な錦織物を手に入れていました。その様子は、間宮林蔵『東韃地方紀行』の記録した、満族商人と辺民…

ホジホン・サルガンジュイの制度は、「辺民」たちの文化を王朝至上主義に染め上げてゆく機能があったのではないでしょうか。「物質的な豊かさ」と「他者への想像力」は両立しないのでしょうか?

1709年、康煕帝の命令を受けてアムール川下流までを調査したイエズス会士レジス、フリデリ、ジャルトゥたちは、ウスリ川周辺で「ウスリの貴婦人」と呼ばれる女性に会っていますが、彼女は漢語を解し、容姿も所作も周辺の辺民とは異なっていたといいます。サ…

近世・近代の帝国による征服や戦争と、グローバリズムの加速は、どちらが少数民族の社会や文化を抑圧しているのでしょうか。私は後者だと思うのですが。

これも大きな問題です。近年のネオリベラリズムとグローバリズムによる侵蝕は、現代思想の世界では、〈みえない帝国〉といわれたりしていますね。かつての帝国が行ってきた分かりやすい暴力、抑圧行為に対して、現在の帝国の支配は目にはみえにくく、意識さ…

近世の和人による北海道侵蝕と、それへの抵抗の戦いについて。なぜ和人かそうでないかということが、お互いを理解し尊敬することに対してこれほどまでに大きい障害になったのでしょうか。

大切な問題ですね。中国王朝に主催されていた東アジア世界には、まず前提として、文明/野蛮の差別構造があります(この点は、ヨーロッパも同じです)。松前藩士や和人商人らの意識の根底に、アイヌをそうした観点から卑賤視するベクトルがあったことは否定…

グローバル化とはいったいいつから始まったのでしょうか。国家という枠組みができてからですか?

現在のグローバリゼーションは、狭義には戦後、航空網が世界的に拡大し、人・モノ・情報の国際的移動が活発化、人々の政治・社会・経済・文化的活動が、国民国家の枠組みを超越して展開されてきたことを指します。しかしご指摘のように、国境を越えたさまざ…

なぜ江戸時代は過剰に幻想化されるのでしょうか?

江戸時代の幻想化自体は、近代に始まります。いわゆる、近代化の揺り戻しとしての懐古趣味です。明治後期、失われてゆく情緒に対するノスタルジックな憧憬が、文化人を中心に始まりますが、そのなかで江戸期特有の苦しみや痛みは、忘れ去られてゆくことにな…

歴史小説も歴史理解に影響があると仰っていましたが、大河ドラマなどについてはどうお考えですか。

ぼく自身は、歴史小説にしても歴史ドラマにしても、factチェックという意味での関心はあまりありません。それらはあくまでフィクションであるわけで、事実の改変などに対する批判は、そもそも必要のないことです。むしろ、それらのフィクションを通じて過去…

「表現の不自由展」が再開されました。そのなかに、東北における東日本大震災の被害を揶揄するような展示がありましたが、先生はそれについてどう思われますか?

Chim↑Pomさんの映像作品ですね。実際に福島において、自分たち自身も被災しながら、救援活動、復興活動に尽力してきた若者たちの言葉なのだ、という点が重要でしょう。つまり彼らは当事者である、ということです。もちろん、当事者であればすべてが許される…

実証主義の立場に、「無用より有用を重視する」とあったが、歴史における無用なものとは何だろうか。何をもって有用/無用を分けてゆくのか。

これは、実証主義歴史学というより、コントの実証主義の立場ですね。コントのあり方としては、哲学に科学としての価値を与えることが目的です。現代の日本史においても実学(=自然科学や社会科学の一部)重視、虚学(人文科学)批判が叫ばれていますが、そ…

先生は実証主義についてどう思われますか。 / 現代の価値観で過去を捌くことは誤りであると思うが、現代をよりよく生きるために過去に関する知識を用いることは重要と思う。実際に、現代の歴史学はどのような立ち位置なのだろうか。

まず、実証主義歴史学の特徴は、史料を分析することによって〈事実〉を明らかにできるとする認識論、それを公平無私な叙述によって表現できるとする叙述論が根本です。この2つは、1990〜2000年代に世界を席巻する〈言語論的転回〉(後述します)によって否…

ナショナル・ヒストリーを鵜呑みにするのはよくないと思うのですが、基本的な知識がまずなければ、歴史を考える段階にまで至らないのではないでしょうか。

歴史総合などの思考型歴史教育が始まるのを受けて、高大連携歴史教育研究会などでは、例えば授業で学ぶ必要のある語彙の精選などを行っています。最低限必要と考えられるのはいかなる知識か、ということですね。しかし、ここでよく考えていただきたいのは、…