2019-10-09から1日間の記事一覧

ナショナル・ヒストリーは国家を正当化するためのもの、とのことだが、その正当化は誰に向けられているのか。国家は事実存在しているのに。

国家が厳然として存在し、正当化する必要がないと感じるのは、まさに国家によって「自国を正当なものとして認識する」教育が達成されているためです。なぜなら、ぼくらの世代はつぶさにその状況をみてきましたが、国民国家が統治の正当性を失って崩壊してゆ…

ナショナル・ヒストリーの機能からすれば歴史教育は記憶型にならざるをえない、とのことでしたが、現在も強い国民国家を構築しようとしている国では、歴史研究は発展しないのでしょうか。

歴史教育と歴史研究の関係がどのように位置づけられているか、ということに関係すると思います。例えば、強固な国民国家を建設するために国家が歴史教育に介入してゆくとしても、歴史教育にある程度の自由が保障されているならば、学問としての歴史研究には…

2020年より思考型歴史教育の授業として「歴史総合」が始まるに際し、国家の介入があるとすれば、それは実現可能なのでしょうか。あるいは、単なる記憶型ではない授業によって、ナショナル・ヒストリーに限定されることは回避できますか?

重要なポイントです。講義でも少し触れたのですが、思考型授業の有意義な点のひとつは、記憶への定着が強まることです。単に受け身的に、教員の話し説明したことを記憶してゆくより、自ら調査し、史資料を解釈し、考え、複数の人たちと議論して到達した見解…