2019-10-25から1日間の記事一覧

現在ウサギは命の大切さを知る、というような名目で飼われていますが、戦前・戦中に毛皮・非常食用として飼育されていたなんて、衝撃を受けました。何か、転換の契機があったのでしょうか。 / 一般の家庭でも、ウサギの屠殺を行っていたのでしょうか。

それほど明確な契機はなかったと思いますが、しいていうならば「敗戦」でしょうね。戦前・戦中は、戦争継続の諸物資を確保するため、人間も含め、動物の素材化が著しく進んだ時代です。家族として大切に飼育されていた、犬や猫も供出されてゆきました。各地…

樺太でキツネ養殖を行っていたのは国営ではなく、個人が多かったと仰っていました。そののち、全国に養殖施設が拡大すると、利益を得たい者による独占的な動きなどはなかったのでしょうか?

残念ながら、まだそのあたりの趨勢は詳しく調査していません。ただし、各地域ごとに会社や組合ができ、それらが養殖の知識・技術を詳述した書物や情報交換の雑誌を創刊していたところからすれば、競合してつぶし合うというより、団結して発展してゆこうとす…

現代オカルティズムを囓っていた宮澤賢治が、北方に行けば死んだ妹と交信できる、と考えた理由は何でしょうか。

これは、近代オカルティズムというより、もっと伝統的な思考との関係で考えたほうがよいかもしれません。東北地域は、近世から近代にかけて数々の深刻な飢饉にさらされますが、その大部分は寒冷地における無理な稲作の展開です。寒冷な気候を象徴する北とい…

日本の毛皮獣養殖の実態で、ホッキョクギツネの色相がさまざまあるなか、銀黒狐が主要というのは、単にその数が多かったからでしょうか。

まず、近世の北方毛皮交易の段階で、クロテンと銀黒狐が最も高級な毛皮として取引されていたためです。カナダでその養殖が開始されたのも、銀黒狐が高級取引品だったからにほかなりません。日本では、プリンス・エドワード島に由来するチャールズ・ダルトン…

養狐の開始が、なぜロシアから獲得した樺太だったのか。樺太の産業育成のためですか。

樺太の産業育成、というのはもちろん理由のひとつでしょう。しかし単純に、プリンス・エドワード島と類似の環境を日本の領土内に探したとき、樺太や千島が浮かび上がってきたものと思います。当初、1909(明治42)年に木谷秀五郎がキツネ飼育を試みた豊原=…

全国樺太連盟所蔵の手書きの地図は、引き上げてきた元の住民の方々が集まって作ったものだと聞きました。人の記憶なので誤っていることもあると思うのですが、どこまで信憑性のあるものとして使えるのでしょう。

上記手書き地図は、純粋に記憶のみからできているわけではありません。当時の町並の写真や映像、絵画、記録などは多少は残っていますし、当時の行政文書や統計文書もあります。それらをできるだけ収集し、住民の方々の複数の記憶を繋ぎ合わせて作られたもの…

キツネの養殖について、ロシアはカナダのケージ飼育の方法を知っていたのでしょうか。知っていたなら前例のある巣箱ではなく、なぜ放牧を選んだのでしょう。

授業でもお話ししましたが、チャールズ・ダルトンがケージによる飼育方法を確立する1894年よりも前に、ロシアでは、アリューシャン列島〜プリビロフ諸島の調査中に青狐の棲息する島を発見、試験的飼養を開始しています。ダルトンの飼育方法も、当初は周辺の…