2019-12-18から1日間の記事一覧

中世末期から近世初期にかけての略奪林業によって破壊された環境は、その後の幕府・各藩の植林政策によって多少なりとも回復した…とのことですが、これは1666年の「諸国山川掟」を指すものでしょうか。

「諸国山川掟」については、果たして全国的な開発抑制策であったのか、淀川水系の治水目的に限定されるものではないか、との指摘がなされています。しかし、明らかにこれを受け継ぐ(授業でも触れた)貞享の禁令や、伐採禁令・土砂流出抑止策が諸藩から打ち…

草山・芝山の歴史には驚きました。世界遺産にもなっている熊野は、日本列島のなかでも緑の多い地域とされていますが、ここは何らかの形で保護されたのでしょうか?

熊野に限らず、寺院や神社の境内あるいは所領は、神仏を荘厳する道具立てとして、寺社が自らの用途に用いる以外、許可なく伐採することは禁じられていました。それらは神霊の宿るところである、無理に伐採すれば神仏の罰が降る、といった説明もなされてきた…

〈集合的アムネジア〉は、環境問題だけでなく、他の文化的・社会的な事象として確認できるかと思います。詳しく知りたいのですが、何か参考になる文献はありますか。

ひとつ重要な著作として、 アルフレッド・クロスビー『史上最悪のインフルエンザ—忘れられたパンデミック—』(西村秀一訳、みすず書房、2004年〈原著1989〉)があります。いわゆるスペイン風邪(スパニッシュ・インフルエンザ)の大流行をアメリカからの視点…

草山が当時の人々の生活にとって必要不可欠なものであったということについて考えたとき、所有者は果たしてどのように決められていたのか疑問を抱いた。

概ね、個人所有ではなく入会地(共同体所有)です。共同体所有の土地と環境問題について考えた有名な概念に、ギャレット・ハーディンの〈コモンズ(共有地)の悲劇〉があります。どういう考え方かというと、例えば、複数の共同体成員が牛を放牧している牧草…

人間が生活してゆくのに自然は不可欠であるとすれば、どのように向き合ってゆくのが最適なのでしょう。環境史を研究している学者たちは、どのように考えているのでしょうか。 / 〈共生〉とはそもそもどのような状態なのでしょう。

この問題は、単に政治や社会、経済の問題としてのみ捉えるのではなく、ヒト以外の生命をどのように考えるのか、われわれは彼らとどのような関係を取り結んでゆくべきなのかという、倫理の問題でもあります。ぼくは仏教者でもありますので、あらゆる生命に優…

列島文化=自然との共生といった見方や、里山=伝統的農村景観のような言説は、一種イデオロギーやナショナリズム的であると思われますが、実際のところはどうなのでしょうか?

すべてがそうだ、とはいえませんが、ナショナリズム的側面を持ちうることは確かです。1990年代の後半に、オーストラリア大学の日本史研究者テッサ・モーリス=スズキが、〈エコ・ナショナリズム〉という言葉で、現代日本の自然観の一端を表現しました。彼女…

現在の日本史の教科書に環境史に関する記述が少ないのは、どのような意図によるものなのでしょうか?

ひとつには、教科書編集における保守性が原因でしょう。環境史という領域が、学界において一定の地位を得たのはそう古いことではなく、またその視点を援用すると、政治史や国家史の知見、社会史や思想史の知見にさまざまな変更を迫る事態が生じます。授業で…