全学共通日本史(11秋)

動物愛護活動が盛んな西洋においては、殺生罪業の考え方は存在しなかったのでしょうか。あるいは、アジアとは別のあり方で存在したのですか。

西洋の動物愛護思想の淵源は、例えば『旧約聖書』創世記に書かれた自然の支配者としての人間、あるいはそれを転換したスチュワードシップ(神が人間に対し自然の維持管理を信託したとの見方)の考え方に由来しています。いずれにしろ、牧畜文化の発想で、動…

殺生禁断令の手本になった中国では、日本と比べてどのような情況が確認できるのでしょうか。

私たちが一般的に考える中国文化は漢民族の文化ですが、中国には他に、現在55ほどの民族があります。漢文化でさえ、東西南北の地域によって大きな相違がありますので、中国地域全体のことはとても一括してみることはできません。ある地域・民族では稲作農耕…

いわゆる精進料理は、いつ頃から始まったのでしょうか。

精進料理は、起源的には中国仏教にありますが、日本では曹洞宗、黄檗宗などの寺院で、僧侶の日常食として発達しました。仏教が食べることを禁止していた魚や肉類、香辛料等々を予め除いて作ったものですので、やがて、一般の法事の食事にも転用されるように…

被差別者を生み出してゆくまでになる殺生や肉食への忌避意識は、逆に人間には向けられなかったのですか。人を殺したり、差別することに対しては、罪業感は抱かれなかったのですか。

もちろん人間に対する殺生も罪業視されました。しかし差別に対しては、現代のような人権思想などない頃でしたので、社会的格差、境遇の相違などがあることは当然とみられていたのです。仏教の輪廻思想などは、逆に現状の格差を肯定し、正当化する論理として…

殺生功徳論は、人間に適用されるような思想にはならなかったのでしょうか。

授業でもお話ししましたが、もともとそれに近い発想が伝統仏教のなかにあったのです。例えば、奈良仏教の代表的宗派である法相宗。薬師寺や興福寺の所属する宗派ですが、彼らが依拠する根本経論の『瑜伽師地論』には、もし対象の生命がこれ以上生きているこ…

「かつては肉食文化ではなかった」とする歴史学者もいたとのことですが、なぜ歴史学者であってもそうした誤りをしてしまうのでしょうか。

どうなんでしょうね、耳の痛い話です。研究者というのは自分の専門以外のことには多く盲目なので、思わぬ「穴」をたくさん持っているということでしょうか。自戒します。

浄土真宗はとくに「悪人」を救済する宗教だとのことでしたが、真宗を信仰する人はみな悪人なのでしょうか?

「悪人」とは、平安期の顕密仏教の位置づけでは「悪人」にしかならない、つまり救済の対象に入っていないということです(自覚の問題でもあります)。しかし彼らのいう「善人」は、社会から隔絶した生活を営んでいない限り実現できない。生き物を殺して食べ…

「何も悪いことをしていないのに、何で私がこんな目に遭わなければいけないのか」と日本人はよくいいますが、こういった思想はどのように形成され、また納得されていたのでしょう。

確かに仏教の影響はありますが、まず仏教伝来以前の中国では、占いの経典である『易経』のなかに、「善い行いを積み重ねた家には、必ず余りある幸いが訪れる。善くない行いを積み重ねた家には、必ず余りある災禍が訪れる」という記述があります。家を単位に…

法が施行される過程で、仏教や儒教と結びついてゆくのは、現代の法社会に生きる私たちにとって非常に不思議である。法に宗教のバイアスがかかっていたのはいつの時代までなのか。

近代法以前の法律概念は、多く宗教思想を根本に置くものが多いですね。法というのは一定の価値観をもって社会を維持するためのものですので、その構成員に共有しうる何らかの思想が必要になってきます。前近代においては、それが、儒教や仏教であることが多…

御歳神の神話で、白猪・白馬・白鶏を供えるとの記述がありましたが、なぜこの3種だったのでしょう。

中国の礼制では、牛・羊・豚が代表的犠牲動物で、これは牧畜文化の産物ですね。道教の祭祀などをみると、鶏が捧げられる事例もよくあります。牛や豚には劣りますが、これも家畜の代表ということなのでしょう。また、朝を告げるということで、太陽との結びつ…

仏壇に肉を供えないのは、仏様や先祖が肉を食べないからなのですか。

7日の講義でも扱いましたが、大乗仏教では基本的に殺生と肉食を禁じています。これは罪業となりますので、お供えをする生者にもされる死者にも悪い結果しかもたらさないことになります。仏教的に考えれば、肉を供えられた死者はそのことで悪所に生まれ変わ…

神聖視されているのにいちばん食べられているという鹿は、そもそもなぜ大切に扱われるのでしょうか。

鹿の神聖視は弥生時代に始まりますが、これは地霊の象徴だろうと考えられています。鹿の角が樹木を思わせるので、生命の生育それ自体を体現する獣だと認識されたのでしょう。弥生時代には稲作が始まりますが、それは、人間の日光=太陽・天=雨・土地に対す…

肉食文化に地域差はなかったのですか。例えば、沖縄や北海道でも肉食はあったのでしょうか。 / 動物の種類によって、食べてよい・わるいが規定されることはなかったのですか。 / 列島の肉食文化が、牛・豚・鳥の定番になったのはいつでしょう。

もちろん地域差はありますが、逆に北海道や沖縄は、稲作イデオロギーの浸透する本州各地域より、肉食文化が前近代から持続的に存在するといえるかもしれません。北海道はアムール川流域の狩猟採集文化に接続しており、アイヌなどはまさに狩猟採集民族という…

そもそも、肉食はなぜ忌まれるのでしょうか。

肉食忌避の早い例は、仏教教団におけるもの、あるいはアジア文化では、服喪や潔斎に際して回避される場合もありました。これらは、肉食による軽い興奮状態が精神の安定を乱すため、とみられています。そもそもが、生命尊重という考え方ではないんですね。

鹿などが川で狩られるのは、やはり動きにくいので狩りやすいのでしょうか。

そうです。北部アメリカに生活する狩猟採集民チペワイアンは、同じく北アメリカ産のトナカイ「カリブー」を主要タンパク源として狩猟しています。彼らのカリブー猟は、秋、北のツンドラ地帯で出産・子育てを行っていたカリブーが、寒さを避けて南の針葉樹林…

カチカチ山の話について、先生は「おばあさんを騙した狸は、これを殺して婆汁にしてしまう」と紹介していましたが、ぼくの読んだ話では、おばあさんは殺されることはなく、最終的にウサギの力を借りて狸を反省させる筋になっていました。このような相違はどうして出てくるのでしょう。

昔話は、伝承される地域の文脈で、内容に微妙な差異を生むことになります。それは普通にあることなのですが、上のような事例は、恐らく出版社が幼児用に改変したバージョンだと思われます。一般的に昔話には残酷な要素も強いのですが、これが近現代に国家利…

牧畜技術が起源となって王権の支配機構が構築されてゆくと考えられるとのことですが、これはオリエントだけでなく、中国など他の地域ではどうなのでしょうか。

確かに、中国王朝も牧畜を基底に発展した支配機構を持っていますね。古代国家論や王権論は、歴史学の分野においては、未だその起源に属する議論が活性化されていません。かつてマルクス主義歴史学が全盛であった頃は、エンゲルスの『家族・私有財産・国家の…

民が首長に、また天皇に各地の産物を捧げるシステムが確立されたのは理解できるが、本当に民衆の一人ひとりに供犠の概念が植え付けられていたのだろうか。

ちょっと誤解があるかもしれません。供犠は王権や国家が始めたものではなく、一般の共同体単位でふつうになされる祭儀です。昨年私もパネリストとして参加した御柱祭のシンポジウムでは、60年余り前まで実施例のあったという、「通りがかった妊婦を殺して神…

人身供犠というと、神との婚姻というイメージが強いのですが、人間も神の食料として捧げられていたのでしょうか。

多様性はありうると思いますが、個人的には、神の嫁とするより神の食料とする方が古い形態であったろうと考えています。性交渉は、象徴的には、食事との類同性を極めて強く持っています。現代日本でも、「食べる」という表現が、性交渉を意味するスラングと…

トイレの歴史について学んだとき、江戸初期には金肥は野菜や米などと交換され、後、地域ごとに金肥をとりしきる業者が出現したと知りました。農村に貨幣経済が浸透して成金や破産者が出たことと、このトイレの歴史とは関係あるでしょうか?

密接な関連があると思います。金肥の使用は、大都市を抱える地域の郊外農村から普及してゆくとみられますが、それと貨幣経済の浸透とは比例的に進行するものと思われます。昔話によくみられる形式のひとつには、貧しい暮らしを送る老夫婦や独身男性が、外部…

比叡山そのものが信仰の対象であったため、御所の門松にもその竹が使用されたのでしょうが、そうした神聖な山から木を切り出すことに畏れはなかったのでしょうか。

中世の文書群からは、寺社の領域に武士や庶民が押し入って伐採や狩猟を行い、寺社が幕府へ訴えたり、あるいは呪詛の法会を行ったりする争論の事例が多くみうけられます。樹木を伐ったことによる仏罰、祟咎の物語などは多く確認できますので、確かに畏怖もあ…

森林破壊は思ったより古くから存在しているのに驚きました。ほかにも、現代的問題と思われてるのに実は昔からあった、というような問題はありますか?

環境問題でいえば、鉱毒などによる汚染もあります。奈良の大仏造立は有名な話で、必ず高校までの日本史でも学びますが、その鋳造過程で生じた銅の毒が平城京を汚染した可能性が指摘されています。確かに、東大寺周辺に繋がる平城京の水路からは、銅の成分が…

なぜ日本の王朝・国家は、日本の風土に適したものではなく、米を税の主要な対象に据えたのでしょうか。

中国を模倣したこともありますし、弥生〜古墳期にかけてある程度普及していたこともありますが、やはり財源として計算がしやすいことでしょうね。水が豊富な日本列島の環境においては、確かに水田稲作が適合的な部分もあるのですが、北方地域や山間部にまで…

里山は、どうして現在のように理想化されてきてしまったのでしょうか。これは上からの政策でしょうか、それとも民衆の発想なのでしょうか。

単に上からの政策とばかりはいえません。政治・社会・経済全般において米が至上の価値を持つものと扱われてきたために、それを生み出す里山の価値も高く置かれるようになったのでしょう。しかし、恐らく高度経済成長が終わるまでの日本では、それほど「里山…

現代において、科学技術が発展しずぎると自然との共生が難しくなるのでしょうか。科学はすでにヒューマニズム批判を受けて変化していると思います。

私も、人間の社会や文化の豊かさを持続できる科学技術の発達には、完全に希望を失ったわけではありません。ただし、今回の原発事故のように、豊かさを求めてきた結果が破綻に繋がることも充分にありえます。最新技術の知識や限界について、もはや一般社会が…

大河ドラマなどで、山の木に隠れて相手を攻めたりする映像をみたことがありますが、同じ山でも、戦略的に利用しうるものとそうでないものとが区別されていたのでしょうか。

主に大河ドラマで舞台となるような戦国時代には、中心集落の周辺には草山・芝山が広がっていたものの、まだまだ雑木の森や第一次植生の森林を擁する山々も多かったと思われます。しかし、兵農分離と社会的安定が進んだ江戸前期には、授業でお話ししたような…

古代では中国、現在ではアメリカ、大陸から孤絶しているがゆえの特異な海外への幻想、ナショナリズムこそ、長期にわたって受け継がれている独自の心性ではないでしょうか。

そうですね、確かに海外に対する憧憬は存在します。海の彼方に理想郷や死後の世界をみる海上他界観などは、その典型でしょう。他界から来訪する神は、正しく応対すれば幸福をもたらしますが、邪険に扱うと災禍を及ぼすといわれています。列島に暮らしてきた…

毛皮を着ると動物になれるという思想は、能などで仮面を被ることでその霊性を得るということと、何かしら関係があるのでしょうか。

変身の際に何かを身に付けるのは、基本的に上記の神話的想像力に由来するのではないかと考えています。ヨーロッパ中世の狼男に対する後半資料には、被告の男が変身ベルトを身に着けて狼になるとの一節があり、まさに仮面ライダーではないかと驚愕してしまい…

人間が動植物とトランス・ポジションする神話について、植物への転換はどのように行われたのでしょう。また、植物の場合の「毛皮」は何に当たるのでしょうか?

実は、樹木については、人間が樹木から生まれるとか、人間が人の姿となって現れた樹霊と結婚するとの神話・伝承は多く伝わっているものの、人間自身が樹木に変身するという形式はほとんどみられないのです。日本神話のオホゲツヒメのように、屍体から五穀な…

異類婚姻譚が世界的に存在するということについて、どの地域でも人間と動植物との関係が密接だったと考えてよいのでしょうか?

狩猟採集社会に一般的な神話ですので、例えばヨーロッパでも同様に動植物/人間が近しい時代があったと想定されます。キリスト教が両者にある程度の境界を設定しても、古ヨーロッパ的な心性は民俗として残り、多様な伝説や祭礼を生み出してゆきます。異端審…