全学共通日本史(12秋)
花矢(ヘペレアイ)は、精霊の世界へ帰る熊へのお土産だと説明されます。鏃が取り外された矢先にはイナウの飾りが付いていますので、射られても身体に刺さることはありません。イオマンテの祭儀中では、仔熊を広場で遊ばせている間に、古老たちによって次々…
仰向けの状態になっている毛皮を、まず前足、後足の順で内側に折り畳みます。そのうえで、身体の側面をさらに内側へ折り込み、頭部を軸とする細長い形態に畳みます。さらにその胴体を何段階かに折り畳み、最後、そうしてできた方形のうえに頭部を載せるよう…
すべてがそのように実施されているのかどうかは分かりませんが、現在のイオマンテでは、広場で遊ばせ殺される瞬間までを仔熊を対象に進め、殺害=肉体と霊魂の分離の段階で、予め殺しておいた成獣の雄熊に取り替えるということが行われています。これは、仔…
「効果」というのは、どのような意味の「効果」でしょうか。たくさんの肉を持ってきてくれるようにとの豊饒の願いという意味でなら、あまり効果は期待できなかったでしょう。しかし、授業でもお話ししたように、この祭儀の本当の意味は「送り」です。こう断…
うーん、それぞれがたどった歴史的プロセスの相違、とみるべきでしょうね。日本で火葬が一般的になったのは非常に新しいことで、例えば東北地域などでは、1970〜80年代くらいまでは土葬が主流だったのです。前近代においては日本列島中が土葬であって、火葬…
赤い熊と黒い熊は、単に毛色が赤っぽい、もしくは黒っぽいだけなのか、あるいはもっと象徴的な意味があるのか。この伝承だけからでは分かりにくいですね。ただし、物語を複雑に、また「面白く」してゆく形式として、主人公が対立する集団のどちらかに味方す…
授業でも少しお話しし、また上でもアニミズムの解説で述べましたが、狩猟採集民のアニミズム的世界観では、毛皮の着脱によって、人間が動物になり、動物が人間になることができるのです。両者は截然とは区別されておらず、本体としての精霊を共有する同一の…
朝鮮半島において、虎よりも熊の神的イメージの方が強く、また親近性があったからでしょうね。中国周辺の少数民族の神話について調査してみると、虎を先祖に仰ぐ虎トーテムを持つ人々は江南地方から南西の地域に集中し、熊トーテムを持つ人々は北方・東北方…
いえ、そんなことはありません。今回の話も、ちゃんと聞いてくれていれば分かったはずですが、動物が人間になりたがる話はひとつしかしていません。動物と人間が同じレベルにいて、それぞれ自由に人間の姿になり、動物の姿になったりするのです。これが古い…
上にも指摘しましたし、授業でもナーナイやインディアンの話を出しました。全世界的なイメージ連関です。日本古代の神話でも、川上から流れて来た矢を拾って床辺に置いておくと、その矢に化身していた神の子を妊娠してしまうという話が残っています。京都に…
以前とあるシンポジウムで、知人の研究者と、人は殺生に対して後ろめたさを覚えるのか、それとも快楽を覚えるのか、という激論を交わしたことがあります。現実には、このような二者択一の問題設定はありえず、快楽も覚えるが後ろめたさも感じる、とした方が…
すでに授業でお話ししたように、山羊との異類婚姻神話はインディアンなどに語られています。現在でも、性愛の最高表現のひとつとして「食べてしまいたい」というものがありますが、食事と性行為とは象徴的に重ね合わされやすい性質を持っています。ゆえに狩…
私が「特有」といったのは、人間も動物も死者も生者も渾然一体となった、魂の原郷のような他界観のことです。錬金術の思想には、確かにキリスト教以前の古ヨーロッパ的発想も混じり合っているようですが、やはりさまざまな要素を神秘的に繋ぎ合わせた「新し…
ワニについては、大別して3つの考え方があります。1つ目は、南方の神話的要素として実際のワニのイメージが入ってきているという考え方、2つ目は、ワニをサメの異称とする見解、3つ目は、南方のワニのイメージは引きずっているものの想像上の動物である…
半人半獣の考え方は、動物/人間が別個の存在と明確に分けられた結果、生まれてくるものと思います。上で述べたアニミズムのように、本体の精霊はまったく同じ姿形をしており、動物が人間にも、人間が動物にもなれると考えられていた段階では、両者が結婚し…
うーん、必ずしもそうとはいえないでしょうね。大化改新の単元でも触れましたが、日本の古代で人名に動物の名称が付けられている場合、それはその動物の力強さ、優れた力などを言祝いで用いることが多いようです。それ自体は非常にトーテミズム的な、異類婚…
キリスト教の「聖霊」とは違います。アニミズムの説明でも述べましたが、生命そのもののことですね。万物に共通です。現在のスピリチュアリズムに託して述べるなら、「霊魂」といってしまってもよいかと思います(アニミズム自体、「万物霊魂論」と翻訳され…
以前に別の質問に対してした回答ですが、隔絶した地域に酷似した文化形式が残っている場合、大別して二つの要因が考えられます。ひとつは伝播論で、ある地域から人やモノ、情報の移動によって伝播してきたというもの。もうひとつは環境準拠論で、類似の自然…
熊はもちろん危険な動物であり、それゆえに畏怖されるのです。人間が襲われることも当然あったでしょう。しかし、アイヌにおける神=カムイの概念は、やはり主や精霊に近いものですので、キリスト教の神とはニュアンスが異なります。熊が、まったく落ち度が…
獣姦の問題については、確かにこれをタブーとする文化は広汎に存在します。しかしこれは、タブーを設けることで人間/動物の峻別を図ろうとしたもので、必ずしも抑制が必要なほどそうした行為が流行したわけではなかった、とみられています。むしろ例示した…
いろいろありますねえ。これからの授業で紹介してゆこうと思いますが、皆さんがいちばんよく知っているのは、「鶴の恩返し」でしょう。いわゆる「鶴女房」として昔話に多くみられます。厳密にいうと、生業的な狩猟に関わる「活きた」動物の主神話ではなく、…
現代社会においては、無闇に動物の自由を奪うことは、それこそ虐待として法律に抵触します。動物園は、希少動物の生態を研究しその保護に役立てる、一般の人々の知的欲求に応える、人間と動物とが平和的に触れあう機会を提供する、といった建前のもとに存在…
基本的に、アニミズムは人間もその考え方の対象としています。第1部でお話しした、王の力を次の王に移すといった考え方は、アニミズムやマナイズムに基づくものです。しかし、〈動物の主〉神話が動物と人間との間を縛る規制であることからも分かるように、…
うーん、それは逆ですね。殺害することに対して後ろめたさ、何らかの罪悪感を持っているからこそ、その行為を正当化しようとするのです。そのストレスに耐えられないからこそ、ストレスを感じなくても済むように物語を作るのです。正当化の動きがないのは、…
〈動物の主〉神話が機能している社会においては、動物/人間の間の相違は本質的ではなく、常に交換可能、入れ替え可能な存在であるとみなされていました。近年ではこれを、〈対称性〉と呼ぶことが多くなっています。動物の持つ特殊な能力の源泉は毛皮にある…
「神話を用いたのはなぜか」という考え方自体が、実は、近代の論理的思考に大きく影響されているんですね。民族社会・前近代社会においては、神話が道徳・倫理・法律など、さまざまな役割を果たしていたのです。それは、我々が普通に用いる「論理」とは、ま…
それでは逆に、アニミズムを信仰した人々は何を食べていたのでしょうか。宗教の歴史のうち、もっともプリミティヴな形態がアニミズムとすれば、その信仰が支える生命活動のあり方は、人間の自然状態に最も近いはずです。それは、あらゆるものを食物にし、し…
こちらは質問ではありませんが、よいリアクションだと思ったので掲載しました。現代社会を狩猟採集社会に戻すのは不可能ですが、せめて我々を取り巻く生命に対し、食物や害獣、マスコットとしてではなく、それぞれ自己の生命を全うするベクトルを持った生物…
『もののけ姫』の作品世界のなかでは、コダマのみがシシ神と感応しうる存在です。乙事主やモロなどの巨大動物神は、シシ神の思惑を推し量ることさえできません。人間が森林に対する征服者とすれば、動物神たちは森林の「原住民」に当たり、ともに自然に寄生…
仏教は、生まれ変わり死に変わりといった輪廻のあり方を苦しみと捉え、そこからの解脱=成仏を最終目的とします。草木成仏論も同じことで、植物が輪廻の鎖を断ち切ることを意味するのです。よって、質問にある命の連鎖と草木成仏とは関係がないことになりま…